第150回 株式会社サウンドクリエーター 取締役 安福元柔 氏【前半】

2018年2月20日 12:00
株式会社サウンドクリエーター 取締役 安福元柔氏

今回の「Musicman's RELAY」は株式会社ジャパンミュージックシステム(JMS) 鈴木健太郎さんからのご紹介で、株式会社サウンドクリエーター 取締役 安福元柔さんのご登場です。兵庫県宝塚市出身の安福さんは、大学入学後にコンサート業界でバイトを始め、コンサートのあらゆる裏方仕事を経験。紆余曲折を経てサウンドクリエーターに入社されて3年後に10-FEETの担当に。結成10周年を記念して開催した「京都大作戦」はアーティスト主催のイベントの先駆けとなり、現在も大人気イベントとして毎年開催されています。そんな安福さんにご自身のキャリアから、10-FEETと「京都大作戦」、そして地方におけるイベントの今後についてまでお話を伺いました。

 


1. バレーボールに熱中した少年時代

 

ーー前回、ご登場いただいたジャパンミュージックシステム(JMS)の鈴木健太郎さんとはいつ頃出会われたんですか?
 

安福:鈴木君との出会いは多分10年くらい前になります。とあるアーティストがタワレコの大阪店でインストアするときに、JMSの新入社員だった彼が営業担当として来て、僕はそのアーティストの担当だったんです。でも、そのときは「スーツを着てピシッとした若い子がおるな」くらいの印象しかなくて、その後、僕が松原君と一緒にやっていたEGG BRAINというバンドの流通担当が鈴木君で、「ああ、久しぶり!」となったんですよ。それからは一気に仕事し始めました。
 

で、今、松原君と一緒にやっているROTTENGRAFFTYというバンドがおるんですけど、そのバンドが松原君の事務所に入る前に、メンバーから「リリースしたいんやけど、誰か動いてくれへんかな?」みたいな相談を受けたので、JMSの鈴木君に「一緒にやらへん?」と。それはちょっと形にならなかったんですが、結果、松原君の事務所に入ることになり、流通が鈴木君のところになったので、この3人はずっと同じときを過ごしているみたいな感じですね。
 

ーー関係が切れずという。
 

安福:切れてないですね。今も鈴木君がやっているバンドにライブ制作みたいな形で携わらせてもらっていますから、年に何回かは絶対一緒にやっていますね。
 

ーープライベートでも会われたりするんですか?
 

安福:プライベートはあんまりないですかね。飲みに行くことも仕事以外ではあんまりないので。もうビジネスパートナーみたいな感じですね。
 

ーー鈴木さんはどんな方だという印象をお持ちですか?
 

安福:鈴木君はもうアイディアマンで、関西人はよく「いらち」って言いますけど、せっかちですね。何事も速く形にしないと気が済まないみたいな。もう24時間いつでも動いているんちゃうかってぐらいメールのやり取りをずっとしていますね。
 

ーー(笑)。同年代の仕事仲間であり、ライバル?
 

安福:いや、ライバルではないですね。そもそも業種が違うんで。向こうは流通と事務所みたいなところで、うちとは業種が違いますから、一緒にコラボレーションしたりすることは多いですね。
 

ーーここからは安福さんご自身のお話を伺いたいんですが、お生まれはどちらですか?
 

安福:生まれは兵庫県の宝塚市で、26歳くらいまでは実家にいました。
 

ーー宝塚って結構田舎ですよね。
 

安福:田舎ですね。もう何にもなかったですね。もちろんライブハウスもなければ、CD屋さんもそんなになく。宝塚歌劇場だけあるんですけど、家から遠かったので、全く見たことなかったですね。宝塚の人が歩いているのも見たことなかったですから、無縁のもんやと思っていました。僕はどっちかと言うと神戸や大阪とか、外に出る方が多かったので、地元で何かしたとかないですね。
 

ーー地元愛はあまりない?
 

安福:あんまりないですね。今でこそ子供を連れて、実家に帰って、親父と色々なところに行ったりしますけど。
 

ーーご家庭では今の仕事と接点になるようなことは何かありましたか?
 

安福:親父がやたらと音楽を聴いていたというのはありますね。カーペンターズやビートルズとか、カセットテープでよく聴いていました。ですからカーペンターズとか聴くと今だに「ああ、懐かしいな」って思います。「聴いていたな」みたいな。
 

ーー安福さんはどんな少年でしたか?
 

安福:僕、こう見えてバレーボール部やったんですよ。一個上にバレーボールをやっていた姉貴がいて、同じ中学校だったんですよ。当時、男子バレーボール部ってあまり人気がなくて、それで「お前、安福の弟やろ? 部活入れ」みたいに勧誘されたり、姉ちゃん経由でも「手伝って」って言われて、バレーボールを始めました。
 

ーー失礼ですが、その頃はバレーボール向けの体型をなさっていたんですか?
 

安福:これがほっそりしていたんですよ(笑)。会社に入ってから20キロぐらい増えているんです。

 

 

2.高校1年生で阪神淡路大震災に遭遇

 

 

ーー音楽の方はどうでしたか?
 

安福:音楽は、バンドでギター弾いたりしていましたね。あと、隣町のライブハウスに行ったり、高校のときは文化際で演奏したりしていたんですよ。でも、そんなコアな音楽少年ではなかったので、当時のJポップだったり、みんなが聴くような音楽ばかり聴いていました。それこそ小室哲哉さんやB'zとかにどっぷり漬かった世代ですね。


ーー洋楽はあまり聴かなかったですか?
 

安福:洋楽はグリーン・デイとかボン・ジョヴィとか聴いていました。ライブにも行きましたよ。それも周りの音楽好きの影響で「ボン・ジョヴィ行くから行けへん?」「え・・・なんなんボン・ジョヴィって?」みたいな感じでした。
 

ーー通われていた高校は男子校だったんですか?
 

安福:いや、共学です。そこでもバレーボールをやって。
 

ーー共学でバレーボール部ってなんかモテそうじゃないですか。
 

安福:いやいや、もう全然そんなことなかったですよ。
 

ーー高校時代の楽しい思い出は何ですか?
 

安福:楽しい思い出・・・ってそんなになかったような気がしますね。僕ら、高校1年生のときが阪神淡路大震災だったので。
 

ーーああ・・・宝塚も結構被害が出たんですか?
 

安福:家はぱっと見大丈夫だけど全壊みたいな認定を受けましたね。あと高校のダメージはすごかったです。結局、高校1年のあの時期は学校に行けなかったです。炊き出しだ、仮設住宅だ、みたいなときやったので。
 

ーー震災当日の様子はどんな感じでしたか?
 

安福:その日、僕はF1レーサーになっている夢を見ていて、F1カーがドーンとクラッシュして「あれ、何?」と思って起きたら、遠くで母親の声が聞こえたんですよ。それで母親の部屋をパッと開けたら、タンスが倒れていて。それで「これはただごとじゃないな」と思いながら、でも「学校行かなあかんな」と思って、バスに乗って高校へ行ったら、先生が「帰れ」と。そこで「あれ?」と思ったんですよね。
 

ーー火が出ているとか家が倒壊しているとか、そういう感じでもなかった?
 

安福:ないです。バスも走っていましたし。で、家に帰ってテレビを観てやっと「地震やったんや」と分かって。
 

ーー松原さんは震災のとき中学生だったっておっしゃっていました。
 

安福:松原は一個下なので中3ですね。だから割と共感できる部分が多くて。僕も今神戸に住んでいますし、「COMIN’ KOBE」も手伝わせてもらってるんです。
 

ーーその後、大学には進学されたんですか?
 

安福:はい。大阪の大学に行きました。
 

ーー受験勉強とかはそれなりに?
 

安福:受験勉強は、高校3年生のとき全然しなくて、音楽好きの仲間たちとそのまま予備校に行くことになり、予備校でもそんなに勉強せず、そろそろやばいなって最後の追い込みで、どうにか入った感じですね。ほんまに友達と遊ぶことばっかりしていましたね。
 

ーー何をして遊んでいたんですか?
 

安福:それこそライブを観に行ったりとかもしましたし、お金もそんなになかったんで、友達の家へ行ってベースを弾いたり、ギターを弾いたり。なんかたわいもないことをやっていましたね。
 

ーー音楽の趣味は深くなりましたか?
 

安福:いや、僕はそんなにのめり込むタイプでもないんですよ。広く浅くなんでしょうね。
 

ーーそれは今もですか?
 

安福:やるときは突き詰めてやりたいと思うんですけど、割と広く浅く色んなものをかじりたいっていうのは今も残っているかも知れないですね。

 

 

3. 「ライブをタダで観られたらええな」単純な動機でコンサート業界へ

 

 

ーー大学生になり、コンサートのバイトを始めたそうですね。


安福:はい。「大学生なったし、そろそろバイトせなあかんな」みたいな話になり、そいつが見つけてきたのがバイト雑誌に載っていたコンサートのバイトだったんですよ。で、「あ、ライブをタダで観られたらええな」みたいな(笑)。
 

ーー単純な(笑)。
 

安福:もう単純な動機で。それで面接に行ったら「明日から働けるか?」「スーツは持っているか?」みたいなことを聞かれて、「スーツ・・・? コンサートでスーツって何やろな・・・」とよう分からんままバイトに行ったのが、槇原敬之さんの大阪城ホールのコンサートやったんですよ。
 

ーー要するにそのバイトはコンサート警備だったんですね。
 

安福:そうです。「ステージを観ないで、客席を見ろ」と(笑)。「あれ、なんか話ちゃうな」みたいな。音は聞こえるけどステージを観ちゃダメだし。でも、そこでバイトをやり始めて、僕、大学に6年間行ったんですけど、大学4年生まではフルフルでそのバイトやっていました。
 

ーーずっと警備をしていたんですか?
 

安福:いや、ライブハウスの楽器の搬入とか、セットのバラシとかそんなことをずっとやっていましたね。
 

ーーコンサートの裏方仕事ですね。
 

安福:そうですね。結果そこのバイト会社のチーフになって「社員にならへんか?」みたいな話になったり。とにかく忙しくて、家には帰れへんかったですね。友達の家に行ったりとか。もう終電なくなったから泊めてとか。学校なんかほとんど行ってないです。
 

ーーそんな感じでよく卒業できましたね(笑)。
 

安福:いや、最後の2年は留年、留年で地獄でしたよ。それで4年生のときに、今の会社の人に「うち来いや」みたいに誘われたんですよ。「卒業見込みあるんやろ?」と。そこで単位が全くないことを言えなくて、「とりあえず来年の4月まではアルバイトで」と言われて、「ああ・・・そうですね」みたいな(笑)。そうしたら、まさかの卒業できない(笑)。
 

ーー(笑)。
 

安福:単位が全くなくて(笑)。
 

ーーそれは何月に分かったんですか?
 

安福:いや、僕は卒業できないことはずっと前から分かっていたんですよ。でも、それが言えなくて。で、「卒業できませんでした」って言ったら「しょうがない。またバイトでいいよね」「頑張ります」で、一年後、再び「また卒業できませんでした」みたいな(笑)。
 

ーー再び「じゃあバイトでいいよね」と(笑)。
 

安福:はい。だから僕は今の会社で、卒業見込みで2年間バイトしているんです。で、大学6年生でなんとか卒業できました。一時期「もう卒業しなくていいかな?」とも思ったんですが、母親から「大学だけは出とき」と言われたので。それで正社員になった感じですね。
 

ーー遠い道のりでしたね・・・。
 

安福:遠いですね。僕はあまり正社員というものに憧れがなかったというか、バイトの方がお金良かったんですよね。1日、1万5千とか2万もらっていましたし、「社員になったら減るな」ってずっと思っていて、だからバイトでよかったんですよね。まして僕はイベンターになるつもりは全くなかったんですよ。
 

ーー本当は何がやりたかったんですか?
 

安福:バイトでライブに携わり始めて、ステージ作りに直接携わるスタッフの人って格好いいなって思っていたんですよね。舞台監督とかステージ制作とか。それで「そういった仕事をやるんだったら東京だな」っていうのは何となく思っていたんです。そのときにうちの会社の先輩に「うちの会社にいた方が色々な人と知り合いになれるし、広がるよ」と言われて、「それならステップとしていいかな」と思ったんです。
 

ーーバイトと正社員では仕事の中身は変わらないんですか?
 

安福:いや、変わりましたね。要するに指示される側から指示する側に変わるんで。
 

ーー今度はバイトを使う側になるんですね。
 

安福:あとはプロダクションとの打合せや会場を押さえたり、チケットの発券の段取り、プロモーションとか「結構やることあるんや」と思ったんですよね。
 

ーーバイトのときは本当に現場だけだったんですね。
 

安福:そうです。朝から晩まで「これやっといてあれやっといて」みたいな感じだったんで。慣れてきたら一人で勝手にやっていましたけどね。社員になってやり方は全然変わりましたね。

 

 

4.「とりあえず3年は我慢」辛抱の新入社員時代

 

 

ーーやはり社員になって良かったと思いましたか?
 

安福:いや、打ち上げも増えてくるし、面倒臭いな、長続きはしないだろうなって思っていました。「打ち上げも長いし、明日も朝早いし、なんやねん」って当時は思っていました。
 

ーーそれはスタッフの打ち上げですか? それともアーティストの打ち上げですか?
 

安福:アーティストもスタッフも両方ですね。今でこそ打ち上げって予算の関係で減ってきましたけど、当時はスタッフもまだバブリーな感じだったんですよ。毎回毎回「みんなで打ち上げやー!」みたいな感じで。CDも売れていましたし、コンサートも平日にバンバンやっていた時代ですよ。CDもまだメーカーから協賛金とか出ていた時代だったので、「コンサート一本で」みたいな事務所さんはそんなになかったんじゃないかなって気がしますけどね。
 

ーー打ち上げも派手だった?
 

安福:それはもう。今日も打ち上げか、みたいな。


ーー入社して最初の仕事は何でしたか?
 

安福:入社して一番最初の仕事は、なら100年会館中ホールでやった来生たかおさんのコンサートです。社員になっての立ち位置が全然分かんなかったので、朝9時にはとりあえず会場に行かなあかんと思って行ったら、そのとき先輩やった人が遅刻して来なかったですよ。で、右も左も分からない中、走り回ったのだけ覚えていますね。
 

ーープロモーターの新入社員ってまず何から始まるんですか?
 

安福:楽屋の準備をしたり、当日のチラシの折り込みの準備したり、ほんまの雑用ですよ。スタッフのタクシー代を払ったりとか、何かそんなんしていましたね。
 

ーープロモーター側の裏方仕事ですね。
 

安福:もう本当にそうです。お弁当の発注だ、なんだかんだみたいな。
 

ーーその頃は楽しかったですか?
 

安福:いや、全然楽しくなかったですね(笑)。みんな夢を見て入ってくるのと僕はちょっと違いまいしたけど、「もっと違う仕事があったんじゃないかな・・・」と思いながら仕事していましたね。
 

ーーその楽しくない期間はどのくらいあったんですか?
 

安福:2、3年だったと思います。「とりあえず3年は我慢やで」って色々な人から言われていたんです。「何でも3年目以降開いていくからね」みたいなことをずっと言われていたので、「じゃあ、3年は文句言わんと頑張ろう」と思っていました。辛かったですけど、同期もいたんで、割と悩みも愚痴も言えましたし、飲みに行って発散していたし、何とか乗り切れていました。
 

ーーどの辺りからこの仕事が楽しいと思い始めたんですか?


安福:3年経って10-FEETと出会った事ですかね。元々知ってはいましたが、そこから何か楽しくなりましたね。
 

ーー辞めなくて良かったですね。
 

安福:本当に辞めなくて良かったです(笑)。「こんなこと待ってんや」と思いましたね。


▼後半はこちらから!
第150回 株式会社サウンドクリエーター 取締役 安福元柔 氏【後半】