連載第65回 天才創業者の死後〜スティーブ・ジョブズ(17)

2017/04/06 (木) - 03:00

『スター・ウォーズ』の起こした革新

 

連載第65回 天才創業者の死後〜スティーブ・ジョブズ(17)
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 『スター・ウォーズ』のジョージ・ルーカスが映画監督を目指すきっかけとなったのは、夢を諦めざるをえなかったからだ。

 高校卒業の前日に彼は改造し倒したフィアットを、エピソードIのアナキン坊やのように駆ってレースに出場。エピソードVIのスピーダーバイクのように接触され木に激突。シートベルトが切れ、車外に放り出された。

 一命は取り留めたが、エピソードVのルークのように入院。大怪我でレーサーの道を捨てた。車の次に映画が好きだったので、南カルフォルニア大学の映画科に入ったが、そこで人生を変える作品群との出会いが待っていた。

 『七人の侍』『用心棒』『椿三十郎』等々。日本の巨匠、黒澤明の映画だ。

 彼の心酔は、クロサワ映画の背後にある日本文化にさえ向かった。ルーカスは仏教に傾斜していった。その影響は『スター・ウォーズ』の、宇宙に満ちるフォースの設定にも顕れていることを認めている(※)。その頃、ジョブズも永平寺の禅僧になろうとしていたと以前書いた。

 大学在学中にルーカスの才能は開花した。

 全米学生映画祭で3本がノミネート。同じく黒澤映画を敬愛するF・コッポラ監督に見出され、プロデビューを果たした。そしてルーカスは、『スター・ウォーズ』の草稿を書き上げる。

 スター・ウォーズは当初、黒澤の『隠し砦の三悪人』をSFに焼き直したものだった。彼はリメイク権を東宝に申請しようかとすら考えたという。推敲を重ねるうちに我々の知るストーリーとなったが、初期の片鱗は映画の至る所に残っている。

 ジェダイの名は時代劇の「時代」から取っている。その衣装は柔道着がモティーフだ。侍の剣劇をライトセーバーで再現した。

 黒澤映画でおなじみの三船敏郎にベン・ケノービ役をオファーしたのは有名だ。三船が受けていればレイア姫も日本人にしたという。今思えば、断られてよかったのだろう。おかげで黒澤の模倣からルーカスは脱皮できた。

 『スター・ウォーズ』の公開された’77年は奇しくも、Apple IIが世に披露された年だった。その年、社会現象となったスター・ウォーズを見るために人々は何時間も映画館に並んだ。列の中には起業したばかりの若きジョブズもいたし、大学生だったジョン・ラセターも混じっていた。

 ラセターはスター・ウォーズに衝撃を受けた。

 それまで宇宙戦争のようなSFものは、アニメと似た評価を受けていた。「子供騙し」というレッテルだ。

 だがルーカスは最先端のSFX、本格的なオーケストラ、そして壮大なストーリーを駆使して、大人から子供までを夢中にする「スペース・オペラ」を生み出していた。

 アニメの感動だって万人のものにできるのではないか。スターウォーズのように…。

 ラセターはそんな勇気をもらいつつ、大学を卒業していった。彼も学生オスカー賞を受賞。電気ランプが主人公の、そのアニメ短編のおかげで目標だったディズニーのアニメーターになることができたのである。

 だが憧れの職場には、希望と失望が待っていた。

http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,990820,00.html

 

 

天才創業者の死後。イノヴェーションのジレンマ

 

連載第65回 天才創業者の死後〜スティーブ・ジョブズ(17)
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 ハリウッドの丘の麓。

椰子の並木道、屋敷、世界の六大映画スタジオが、カルフォルニアの陽を浴びて佇んでいる。

 音楽産業が売上を10倍しても届かぬ、映画産業の本拠地だ。

 なかでも元祖『アニメの聖地』、ディズニー・アニメーション・スタジオは人気スポットだ。入場門から見えるスタジオはミッキーマウスの青いとんがり帽子をかぶり、魔法をかけたように観客を集めている。

 今ではディズニー社はたった一社で、世界の音楽産業の売上を軽く超える。

 だが、ラセターの働いていた1980年前後は、スタジオ内に重い空気が淀んでいた。ウォルト・ディズニーが没して15余年。天才創業者を失ったディズニー社は、典型的なイノヴェーションのジレンマに嵌っていた。

 「ウォルトによれば…」が上層部の口癖になっていた(※1)。

 天才の死後、会社は彼の残してくれた大切なファン層を、なんとしても守らなくてはいけなかった。「ウォルトならどんな作品を創ったろう?」

 それがマンネリを招き、勢いのある他の映画スタジオに次々と客を奪われていった。しかしディズニー色を離れたら、既存のファン層も失ってしまう。

 選択と集中だ、という人間もいた。赤字部門に転落したアニメ・スタジオを閉鎖し、ディズニーランドだけで稼げばいい、と。

 が、それは「アルバムで稼げないならライブだけやればいい」とミュージシャンに説教するようなものだ。ウォルトはディズニーランドを「永遠に未完の作品」と呼んでいた。新作アニメがなく「完成」してしまった先には、ディズニーランドは没落が待っているだけだった。

 臆病が蔓延していた。何も新しいことができない。若手は押しつぶされそうになっていた。「心が引き裂かれそうだった」とラセターは振り返る。「あれは、僕が思い描いていたディズニーじゃなかった」(※2)

 そんな停滞期の最中にあって、ディズニー社がCG映画『トロン』を手掛けたのは、大きな賭けだったのだろう。

 主人公がコンピュータ・ゲームのなかに閉じ込められ、脱出を図る。CGを駆使した映像と大人向けの物語は、既存のディズニー作品とかけ離れていた。

 『トロン』の監督はそのストーリーを、伝説のアーケードゲームPongで遊んでいるときに得たという。大学を中退したジョブズはこのゲームに惚れ込んで、アタリ社に入社。社会人一年生となった。盛りだくさんの機能よりシンプルが受ける。そう知った最初の出来事だった。

 『トロン』のCGシーンは、当時の技術的限界で15分に限られていた。が、製作中の映像にラセターは身震いが止まらなかった。

「ウォルトが待っていたのはこれだぜ」

 彼は振り返って同僚に言った(※3)。まるで亡きディズニーが後ろにいるかのように。

※1 『メイキング・オブ・ピクサー』三章 pp.80
※2 『メイキング・オブ・ピクサー』三章 pp.81
※3 『メイキング・オブ・ピクサー』三章 pp.83



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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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