連載第44回 定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか〜Napsterの物語(下)

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2013/10/22 (火) - 01:00


▲大学生だったショーン・ファニングはレッド・ツェッペリンをヘビーローテしてNapsterのプログラムを書き上げた。高校生だったダニエル・エクは、ツェッペリンをNapsterでダウンロードしてNapsterとツェッペリンの大ファンとなった。エクは自分なりの『合法Napster』を開発。それがSpotifyだった。


救世主? ベテルスマンの登場

歯医者で手術を受けてきたゼルニック(43)は、今日ばかりは5大メジャーの一角BMGを率いる責務から開放されて、休むつもりだった。彼は、フィットネスで鍛え上げた体躯を自宅のソファに横たえ、眠ろうとした。だが、そうもいかないようだった。しつこくブラックベリーが振動した。残った麻酔で朦朧とする中、電話に出ると、ドイツにある親会社ベテルスマンの幹部だった。

「BMGには、Napsterの著作権侵害訴訟を取り下げてもらいます」
「...えっ?」
「ベテルスマンはNapsterとパートナーシップを結ぶことになりました。発表は明日です(※)」

(※ Joseph Menn "All the rave" chapter 11)

一瞬、現実を疑った。ありえない。そもそも何の相談も受けてない。電話の終わりしな、とにかくベテルスマンのミデルホフCEOと会って話すことを認めてもらった。

「危険だ。考え直して下さい。ベテルスマン・グループのすべての知財を失うリスクすらあります。それでも、どうしてもNapsterがほしかったら、奴らが倒産してから手に入れれば安いじゃないですか。年明けに控訴審の判決です。終わればNaspterはすぐ潰れます」
「Napsterが敗訴するのは確実だろうな。だが、君は大事な点を見落としている」
「といいますと?」
「Napsterが消えたら、3000万人の会員も離散する。私は彼らをベテルスマンの顧客にしたい。P2Pの利用者数は億単位で増えることになるだろう」

ミデルホフの言葉は確信に満ちていた。

1994年に入社してマルチメディア部門の長に着くと、まだ小さな会社だったAOLに目をつけ、5000万ドルを投資。AOLは世界一のコミュニティ・メディアとなり、ミデルホフは、わずか数年で10億ドル(約1000億円)の上場益を会社にもたらした。そしてインターネット時代の到来に揺れるメディア・コングロマリットの頂点へ一気に駆け上がった。

「Napsterユーザーは顧客ではありません」ゼルニックは喰い下がった。
「というと?」
「ほとんどが学生ですよ。金なんて持ってません。仮にクレカの保有者を5分の1としましょう。600万人です。そのうち有料会員になるのが2%としたら、たった12万人じゃないですか。おっしゃるような定額制を始めても、売上は年間7200万ドル程度。この投資は割に合わない」
「逆に言えば、大した投資ではない、ということだ」

ベテルスマン・グループは利益ベースで16億ドル(約1600億円)を1年に稼いでいる。Napsterへの投資額は、まず1500万ドル(約15億円)を予定していた。大した額ではない。

「Napsterのオーナーになれば、著作権侵害の莫大な賠償金をすべて引き受けることになりかねません」
「そこは抜かり無いよ」

ミデルホフは、コンサルティング・ファームに作らせた「サンダーボール作戦」(007にそんな映画がある)をかいつまんで説明した。出資するのではなく、条件付きの融資にすればいい。Napsterの株券に転換できるワラントにしておくのだ。そうすればオーナーの責任は避けられる。

何らかの理由で株に転換出来ずとも、Napsterを所有するべき時期がきたら倒産させればいい。そうすればベテルスマンは最大の債権者として、Napsterの技術や商標権を差し押えることができる。結果、株主にならずともNapsterはベテルスマンのものだ。

融資で資金を得たショーン・ファニングが合法版Napsterを開発する間に、他のメジャーレーベルと話をつける。一時はヴィヴェンディ・ユニバーサルのブロンフマン、Sonyの出井伸之、そしてミデルホフとでNapsterを接収する話がまとまりかけたのだ(連載第43回)。

あの時はNapsterのバリーCEOが、AOLを引き合いに出して話を壊した。だが自分がイニシアチブを取れば問題ない。

AOLの創業者スティーヴ・ケイスとミデルホフは親友だ。いつもAOLメッセンジャーで情報交換している。ヴィヴェンディのブロンフマンは退任が決まっている。次のトップは同じチャット仲間のジャン=マリー・メシエだ。BMGを擁するベテルスマン、ワーナー・ミュージックを擁するAOL、ユニバーサル・ミュージックを擁するヴィヴェンディ。三社のトップは仲がよかった(※)。

(※ John Alderman "Sonic Boom" Chapter 11 )

「少なくともユニバーサル・ミュージック、ワーナー・ミュージックのCEOから了承を得なくては。カタログが揃わなかったら、有料会員など夢物語になります。自分が掛けあってみます。とにかく2週間ください」

ゼルニックは、何とかベテルスマンとNapsterの提携を引き延ばそうとした。親会社がどうであれ、メジャーレーベルのCEOたちがこの提携を受け入れるはずがない。全レーベルの新譜・旧譜が揃わなければサブスクリプション・モデルなど、空に描いた雲の城だ。それが分かれば諦めてくれるかもしれない...。

2001年10月31日。ハロウィーンで彩られたマンハッタン。

アールデコ調のエセックスハウス・ホテルでは、珍しくスーツを纏ったショーン・ファ ニングと、ミデルホフとがフラッシュライトを浴びていた。Napsterとベテルスマンの電撃的なパートナーシップが発表され、このニュースは世界中を駆け巡った。

「われわれは有料会員制のビジネスモデルを推進します。そのために、Napsterに開発費を融資しました(※)」

テレビカメラを前にベテルスマンの担当役員は、違法ダウンロードからサブスクリプションへ向かう未来を宣言した。傍らにいたP2P技術の発明者ショーン・ファニング(20)は安堵に包まれていた。

(※ Alex Winters "Downloaded" 01:15 - 01:25)

去年のハロウィーンには40万人だったNapsterのユーザー数はこの日、4000万人に達していた。だがNapster社の内情はガタガタだった。違法ダウンロードの上にビジネスモデルを築くことを避けていたため、売上は一切無く、運転資金が出て行くばかりだった。再び資金ショートまでわずかとなっていた。

Napsterは連邦議会を巻き込む社会現象になっていたが、訴訟リスクを恐れてどこも出資しようとしなかった。RIAA(米レコ協)との裁判も辛うじて控訴にもちこんだが、劣勢は明らかだった。

NapsterのバリーCEOは楽曲ダウンロード販売(ア・ラ・カルト型)のパイオニア、Liquid Audioのところにまで頭を下げに行った。かつて顧問弁護士をやっていた縁だった。もちろん出資は断られた。Napsterのせいで壊滅したア・ラ・カルト型の楽曲ダウンロード販売は、時代遅れのレッテルを貼られてしまったのだ。

絶体絶命となったNapsterを、ミデルホフが鶴の一声で救った。

ファニングにとっても、アメリカの学生たちにとってもベテルスマンは、Napster革命の救世主に見えていた。

提携発表から一週間後。ベテルスマンはBMGのゼルニックCEOを解雇した。

業績不振の責任を取って、と説明があったが、BMGはゼルニック時代にアメリカでのシェアを13.4%から19.4%に上げていた。IT企業とコンテンツ産業が繰り広げる全面戦争の犠牲者。New York誌はゼルニックをそう評した(※)。

(※ http://nymag.com/nymetro/news/bizfinance/biz/features/4089/ )


コンテンツのタレント、サービスのタレント

「提携の2週間前、業界の仲間と議論しました」
ミデルホフはインタビューに答えた。例の3人組でチャットしたのかもしれない。
「この勢いでファイル共有が普及すれば近い将来、コンテンツは価値を失う。みな、そう言っていました(※)」

(※ John Alderman "Sonic Boom" Chapter 8)

音楽産業だけでない。本、雑誌、映画、番組、ゲーム...。コンテンツ産業は、作品のコピーを売るビジネスモデルに依拠していた。クリエーターがマスターを作る。マスターを大量にコピーして、プロダクトを生産する。消費者に売る。

みっつのコントロールが、コンテンツ産業の寄って立つ土台だった。作品をコピーする権利を管理すること。コピーを生産する技術を管理すること。コピーの流通を管理することだ。

そしてインターネット時代が到来した。

PCがデジタル・コピーの技術を万人のものとし、インターネットがデジタル・ディストリビューションを万人のものとした。コンテンツ産業はみっつのコントロールのうち、ふたつの手綱を失った。

イノヴェーションは破壊的創造をもたらす。ーーシュンペーターはそう語った。19歳のショーン・ファニングが発明したP2P技術は、まず破壊をもたらしつつあった。

あとは何を創造するかだ。

「プロダクト・ベースの商取引(楽曲販売)に代わって、サブスクリプション・モデルが優位に立つことになるでしょう」

レコード産業の背後で思想的リーダーをつとめていたジム・グリフィンは、90年代半ばから、そう指針を出していた。スタジオで制作した音源のコピーが、レコード産業のプロダクトだ。デジタル・コピーをポリカーボネートに閉じ込めたCDが主力商品だった。

ネットが普及すればデジタル・コピーが氾濫する。ネットにはその仕組が内在している(連載第43回)。いずれレコード産業の寄って立つプロダクト・ベースのビジネスは通用しなくなる、というのがグリフィンの予測だった。

Napsterが登場し、EmusicやLiquid Audioのようなプロダクト・ベースの楽曲ダウンロード販売が総崩れになったことで、業界での彼の信望は一層高まっていった。

「いずれサービスが、プロダクトを凌駕する時代になります」

サービスとは音楽配信を指す。プロダクトとは楽曲を指す。グリフィンのこの言葉は象徴的だった(※)。破壊のその先にある創造について洞察した言葉だったからだ。

(※ John Alderman "Sonic Boom" Chapter 8)

音楽コンテンツを作る才能を専属契約と印税で取り込むこと。それがメジャーレーベルの本領だった。

今後は、音楽サービスの出来が音楽コンテンツの売上を決める時代になるという。サービスを作る才能が、コンテンツ産業を救うことになる。ポスト・ファイル共有の時代はそうなる...。

ベテルスマンのミデルホフは、ショーン・ファニングというタレントに投資した。1500万ドルからスタートしたベテルスマンの融資は、すぐに8500万ドル(約85億円)に達した。投資額が5000万ドルだったAOLよりも大きい。

最高のタレントを使って、最高の音楽サービスを開発する。それがミデルホフの出した現実的な解だった。同時にその解は、グローバル・メジャーのトップたちのおおまかなコンセンサスでもあった。

だからミデルホフは、他のメジャーレーベルが協力することは間違いないと踏んでいた。だが、それは大きな誤算だった。


ベテルスマンの誤算。メジャーレーベル陣営の大分裂

どのメジャーレーベルも、Napsterとベテルスマンの提携を歓迎しなかった。

「自分だけNapsterを所有し、我々にはNapsterに金を払えという。ミデルホフは産業全体のことを考えてなかった」

ユニバーサル・ミュージックのブロンフマンは、当時をこう評した(※)。3ヶ月前とは様相が違っていた。あの時は全メジャーレーベルでNapster社を共同統治しよう、という話だった。いっぽう今回、ベテルスマンは各レーベルに分配すべき株を取得していなかった。コンサルティング・ファームの策が裏目に出たのだ。

(※ Joseph Menn "All the rave" pp.266)

「ミデルホフはNapsterを合法の世界に導こうとしていました」

提携の前日に説明を受けたRIAAのローゼンCEO(当時)はこう振り返る。彼女は、ミデルホフの志を理解していた。

「同時に彼は、Napsterで大金を稼ごうとしていたと思います。だから、私にはすぐ分かりました。どのレーベルもNapsterに楽曲使用許諾を卸さないだろうとね(※)」

(※ Fortune Magazine 2013 Sep. 5th)

ミデルホフからすれば、分かっていないのはブロンフマンやローゼンたちだった。

「裁判に勝っても何も解決しない。そんなことを、彼らは理解してなかったのだ」とミデルホフは後に語った。

実際にはローゼンは理解していた。合法音楽配信の普及にこそ真の解決策がある。彼女がそう見ていたことはすでに触れた(連載第42回)。そのためには、NapsterとRIAAの和解さえ諦めてなかった。和解が成り立てばメジャーレーベル陣営がNapsterを合法の音楽配信へ導けるからだ。

根本的には、ミデルホフと一致していたのだ。

ベテルスマンからの融資が決まったのを機に、ローゼンはNapsterのバリーCEOへ手紙を書いた。資金の入った今、まずメタリカと和解すべきだと。これでNapsterとラーズたちの和解は成立した。

ミデルホフのインタビューには続きがある。

「他社は事態を把握してなかった。(...)グヌーテラ、カザー、ミュージックシティが驚異的な速度で成長していた。もうこの流れは止まらないのだ」

いや、把握はしていた。グローバル・メジャーのトップたちは定額制ストリーミングでコンセンサスが出来つつあった(連載第42回)。提唱者のグリフィンは、"feel free"が音楽サービス成功の鍵だと語っていた。聴き放題の自由こそ、フリー(無料)に唯一対抗できるサービス、という意味だ。

ブロンフマンが本当に恐れていたのは、メジャーレーベル間の競争意識を刺激することだったのだ。

頼みのAOLワーナーもミデルホフに味方しなくなった。

「AOLは自前で2500万人の有料会員をすでに持っていた」とAOLの役員だったロブ・ロードは説明した。ワーナー・ミュージックを擁するAOLの会員は、Napsterのユーザーベースより遥かに優良だった。

ロードは続けた。「ソニーは独自の構想に着手していた。ユニバーサルは血を求めていた(※)」と。

(※ John Alderman "Sonic Boom" Chapter 8)

ベテルスマン、AOLワーナー、ソニー、ユニバーサルそれぞれが自前のプラットフォームをやろうとしつつあった。そうなれば定額制ストリーミングのカタログは分裂し、聴きたい曲が欠けた合法配信は違法配信に対し競争力を失うだろう。

EMIも独自路線に向かいつつあった。かつてNapsterのコンサルタントを引き受けたコーエンの指導のもと、楽曲のア・ラ・カルト販売に活路を見出そうとしていた。

迫り来る外敵に対し、人間の集団は二種類の反応に走る。諍いをやめて団結するか、互いの愚を非難し合って内輪争いを繰り広げるかだ。

Napsterの猛威に直面したアメリカのレコード産業は、まずNapsterの合法化を中心にまとまろうとした(連載第43回)。だが結局ライバル意識に囚われて、プラットフォームの分裂、カタログの分裂のもたらす混沌へ向かいつつあった。

恐怖と怒りは裏合わせだが、どちらも人をまとめ切ることは無いのだろう。同じ力が内を破壊するからだ。


Napster閉鎖。止まらなぬファイル共有

2001年2月12日。冬のサンフランシスコ。

巡回控訴裁の裁判官たちは、全員一致で地裁を支持。Napsterはふたたび敗訴した。新たな争点も何も生まれなかった。このまま最高裁に行っても状況が変わらない。いよいよ退路を絶たれたNapsterとベテルスマンは、いちかばちかの賭けに出た。

1週間後。ミデルホフとバリーは、電撃発表に打って出た。

5年間で10億ドル(約1000億円)。米レコード産業の全売上の約3割に相当する金額を、Napsterはレーベルに支払うと発表したのだ。大きな金額だ。ただ、ダウンロード数で割れば、一曲あたりのわずか数セントに過ぎない金額だった。

何よりもまずかったのは、レーベルの裏を欠く形でマスコミに訴えかけたことだった。敵対者との交渉であっても、信頼関係の構築がネゴシエイターの基本だ。

「3年間、Napsterに関わりましたが、私がキレたのは後にも先にもこの時だけでした」

とRIAAのローゼンは振り返る。電撃発表の前日、情報を掴んだ彼女はバリーに電話で怒鳴り込んだ。こんな素人じみた交渉でまとまるわけがない。全てがぶち壊しだと。バリーは「間違っているのはあなただ」と反論してきた。

ローゼンが匙を投げたのは、この瞬間だった。もはや和解は無い...。

Napsterのその後の運命は定まった。

Napsterは違法ファイルのフィルタリングを稼働させたが、アーティスト名・曲名に基づくフィルタリングはユーザーにあっさりクラックされた。Foo Fightersは Flu Fightersに、といった感じで綴りをわざと間違えてシェアすれば十分だったからだ。地裁のパテル裁判官は「恥ずべき出来」と切って捨てた。

パテルは100%を求めた。技術的に無理です、とNapster側は改めて反論したが、「みなさんは技術革新の重要性をずっと訴えてきたじゃないですか。シリコンバレーの技術力なら可能でしょう」と皮肉たっぷりに退けた。Napsterのエンジニアたちは死に物狂いで不可能に挑戦することになった。

2001年6月27日。

音紋認識テクノロジーの導入。グレースノート(旧CDDB。後にSonyが買収)の技術協力。30人のアルバイトを使った人海戦術。あらゆる手段を使ってリアルタイム・フィルタリングを何とか稼働させた。これで、Napsterの首はつながる...。連日の徹夜で疲労困憊したエンジニア陣は、胸を撫で下ろした。

しかし、ユーザーは曲名を暗号化するサイトまで立ち上げていた。リアルタイム・フィルタリングを以てしても、1〜2%の違法コピーがフィルターをすり抜けた。パテルはこれを許さないはずだった。

2001年7月1日。ふたたび夏。

パテルの再審理が迫っていた。心証を慮ったバリーCEOは、Napsterを停止することを決断。ついにNapsterは稼働を停止した。

はずだった。

「確かにサーバーを止めました。けど、Napsterは止まらないようですね」

サーバールームから出てきたシニア・テクニカル・ディレクターのアイダーは、無表情でCEOに報告した(※)。閉鎖を恐れたあるユーザーがOpen Napを開発。あちこちで野良サーバーが立ち上がっていたのだ。Napsterは、もはやNapster社のコントロールから外れていた。

(※ Alex Winters "Downloaded" 01:15 - 01:25)

Napsterユーザーはグヌーテラやカザーなどへ引越しつつあった。Napsterクローンのユーザー数はすでに本家を超え始めていた。裁判に勝って戦に負ける。Sony MusicのアイナーCEOたちが予想した通りの現実が到来した。

「僕のこめかみに銃をつきつけたって、もう止まらないよ」

WinAmpを開発した後、Napsterクローンのグヌーテラを開発したジャスティン・フランケルは言った。オープンソースで公開されたグヌーテラは、どの会社の管理下にも無かった上、メジャーレーベルがやっきになって停止させようとしているファイル検索のサーバーすら不要にしていた。

「Napsterの子孫たちが繁栄するでしょう。そして新たな種は、祖先よりも進化しています」

議会の証言台にも立ったグヌーテラのもうひとりの開発者ジーン・カンは、そう予言した。テクノロジーが進化する限り、ファイル共有を潰そうとしてもすりぬけていく。

ショーン・パーカーが好きな作家、ロバート・A・ハインラインの作品"Life Line"にこんな一節がある。歴史を進める時計の針を裁判で止める権利は誰にも無い、と。

音楽とテクノロジーの関係をエジソンの時代から追ってきた。そろそろ浮き彫りになってきただろう。歴史は繰り返す。人間の自意識に進化は無いからだ。同時に、歴史は一方通行でもある。テクノロジーは進化するからだ。


ポスト・違法ダウンロードはいずこ。定額制ストリーミングの失敗

アメリカではNapsterのブランド認知は97%だった(※)。Yahoo!やAmazon、Googleの名を知らないIT音痴でもNapsterの名は知っていたことになる。だがサーバが停止すると、この世界一有名な猫のロゴもまた、歴史の舞台袖へ走り始めた。

(※ http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/3102501.stm )

2001年12月。Napster閉鎖から5ヶ月後。

9.11事件を経たアメリカは重苦しい空気に包まれていた。その中、ポスト・ファイル共有の時代へ向けてメジャーレーベルは聴き放題の定額制ストリーミングへ邁進していた。フリー(無料)に対向するにはフリー(自由)しかない。

ソニー、ユニバーサル陣営はプレス・プレイ。ワーナー、BMG、EMI陣営はミュージック・ネットをロンチした。両陣営は、たがいに楽曲を融通しあうことは無かった。だから定額制は、楽曲数ではじめからファイル共有に負けていた。

使い勝手も最悪だった。PCワールド誌は、両サービスを「史上最悪のテクノロジー製品ランキング」の9位にランク・インさせた。「レコード会社は何もわかってないことがよくわかる出来だ」と記事は酷評していた。

Napsterユーザーが、プレス・プレイとミュージック・ネットを触ればそういう評価になる。初代iTunesすら踏襲した優れたインターフェース。ウェブ・ブラウザよりも軽快なレスポンス。人びとはNapsterで最高レベルの品質を経験済だった。

ストレスフリーの操作感もまた、グリフィンの言う「フリーな感覚」に必須の要素だったが、メジャーレーベルに務める技術責任者たちにそれがわからなかった。

「音楽業界はテクノロジーについてまるで分かってない。とりあえず、そこらへんの開発者を雇ってくればいいと思ってるんだ。テクノロジーのプロデュースには直感とクリエィティヴィティが要る。アーティストの創作に厳しい鍛錬が必要なようにね。両方の心を理解しているのは、僕の他はあまりいないと思うよ」

ジョブズは後にこう語っている(※)。音楽コンテンツは、才能あるアーティストが創って初めて売り物になる。同じように音楽サービスには、才能あるテクノロジストが仕切らなければ、マスに受けるサービスは出来上がらない。このシンプルな原則を学ぶのに、メジャーレーベルは高いレッスン代を支払うことになった。そのレッスン代が定額制ストリーミングの失敗だ。

(※ Walter Isaacson "Steve Jobs" Chapter. 30)

連載第44回 定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか〜Napsterの物語(下)
▲ファイル共有に対抗するため、2002年に登場した定額制ストリーミングだったが、新譜もカタログも限られていた。一方、違法・無料のNapsterとそのクローンは新譜・カタログを100%揃えていたため、初めから勝ち目が無かった。

2002年1月。

プレス・プレイ、ミュージック・ネットから1ヶ月遅れて、Napster IIも登場した。

こちらはショーン・ファニングが開発しただけあって、操作性は抜群によかった。だが、肝心の楽曲がインディーズしかなかった。それでもベータ・テスターを300万人集め、アプリの出来は称賛された。これで初代Napsterのように全ての楽曲が載ればあるいは...。そう思う業界人も少なくなかった。

実際、ベテルスマンからやってきたNapsterの新CEOは、AOLワーナー、EMIとの和解にほとんど漕ぎ着けようとしていた。残りはユニバーサルとソニーになる。こちらも、今度は裁判所がNapsterの味方に付き、門戸を抉じ開けるチャンスが到来していた。

「原告(メジャーレーベル)のみなさんがどのような経緯でジョイント・ベンチャーを着想したのか。興味がありますね」

パテル裁判官は、プレス・プレイとミュージック・ネットを通じたメジャーレーベルの楽曲囲い込みに不適切な可能性があることを指摘した。反トラスト法違反にまで踏み込まれたら、マイクロソフトのようにまずいことになる。メジャーレーベル陣営は、捨て去ったNapsterとの和解を再検討することになった。

だが、ITバブル崩壊と911テロの暗雲が、この光明を掻き消してしまった。

ベテルスマンのミデルホフCEOは、取締役会にNapster IIの本格的なビジネス化を提案した。まずNapsterへの貸付金を株式に転換して、子会社化する。そしてメジャーレーベル各社に和解金を払う。そして全レーベルの楽曲を取り揃える。そうすれば数千万人いた旧Napsterユーザーをサブスクリプションの世界へ案内することが出来る。

しかし911以降、ベテルスマンの取締役会は、もはやミデルホフのアグレッシブな投資方針を承認することはなかった。

Napster IIが300万人のベータテスターを集めた一方、プレス・プレイとミュージック・ネットは散々だった。サービス開始から3ヶ月後。ミュージック・ネットが集めたユーザー数はたった4万人にしかならなかった(※)。合法配信の出来に失望した音楽ファンは、ふたたびファイル共有の地下世界へ帰っていくことになった。

Napster閉鎖後、NapsterクローンはNapsterのピーク時と同数のユーザー(4000万人)を確保し、一層成長しつつあった。違法から合法へではなく、違法から違法へ移動しただけだった。

かくてジム・グリフィンが提唱し、メジャーレーベルが違法ダウンロード対策の切り札として用意した定額制ストリーミングは、現実の前にあっけなく敗れ去った。


「Napsterの終わりは、世界の終わりだ...」

2002年6月3日。Napster社は2年と11ヶ月で倒産した。

裁判所から出ると、アメリカ中のマスコミが殺到していた。記者会見を終えたRIAAのローゼンは会場の端に去り、今でも解散しない記者たちのひとだかりをみつめていた。幾重にも差し出されたマイクの中心には、Napsterを開発したショーン・ファニングがいた。

たとえ違法であろうとも、Napsterのファンは音楽ファンでもあった。ファニングが音楽ファンのヒーローで、ローゼンは悪役を演じ通した。内心、憎んでもおかしくないライバルだった。だが、ローゼンはこれまでの戦いを通じ、ファニングのことがいやまして気に入っていた。

少年はヒーローに祭り上げられても、調子に乗って音楽産業に怪気炎を放つことはなかった。音楽産業の仕組みを理解してなかったが、Napster社の経営陣たちと違って、いつも誠実に対話しようとしていた。

ローゼンは知らなかったが、この大騒動を通じて彼のおだやかな人格は深みを増した。母と自分を捨てた実父と自ら再会し、良好な関係を築きつつあった(※)。

(※ Joseph Menn "All the rave" Epilogue)

会場の外れにいたローゼンの側に、著名司会者のチャーリー・ローズが歩いてきた。インタビューではなかった。騒動の前は自身も人気コメンテーターだったローゼンは、チャーリーと友人だった。

ふたりがシェアしたのは、勝利や安堵の感覚ではなく、抑えきれぬ悲嘆だった。

稀有の才能を持った少年に、大人たちが集まって来た。そして事を無茶苦茶にして、傑作の可能性をぶち壊してしまった。そう、ヒラリー・ローゼンは友人に心を明かした(※)。彼女も大人の一人だった。音楽業界で少なからずある事象が起きたのだ。

(※ Fortune Magazine 2013 Sep. 5th)

どこで間違えたのかしら...。きっとうまくいく方法があったはず、とNapster社側の大人だったリチャードソン元CEOはファニングに漏らした。ファニングはこう語ったという。

「エイリーン、初めからチャンスは無かったんだよ。ローゼンたちRIAAは、こうする他なかったんだ」

RIAA(米レコ協)側の筆頭弁護士を務めたフラックマンが自宅に帰ると、高校生の息子が待っていた。話があるんだ、と息子は言った。学校のみんなが父さんの話を聴きたがっている、と。

学生の7割がNapsterを使っていた(連載第43回)。彼らは、Napsterがもたらした音楽天国に熱狂した。少年少女たちにとって、フラックマンは天国から自分たちを追い出す大人の一人だった。

わかった。行って話すよ、とフラックマンは言った。学生たちに吊るし上げられるかもしれない。だが自分には、彼らの怒りを受け止める義務があると、彼は思った。

フラックマンは生徒たちに淡々と、自分の経験したことの推移、無料が音楽家を傷つける事実を語った。生徒たちは予想に反して、反逆的な様子を見せることもなく静かに、真剣に聴き続けた。

話が終わると、息子の友人が沈痛な面持ちでこう言った。

「Napsterの終わりは、世界の終わりだ...」


 


フェスの終わり。大金はいずこへ

「どれだけNapsterで稼いだかってよく聞かれるんだ。でもアーティストに支払わなければ、お金は稼げないんだよ」

倒産から10年後。30代になったショーン・ファニングは語った。

楽曲使用ライセンスをきっちりメジャーレーベルと結ばない限り、音楽配信はアーティストへ支払うことができない。ライセンスが無ければ違法配信で、株価はいずれゼロになる。

Napsterの集めた資金は、ベテルスマンの8500万ドル(約85億円)。ハマー・ウィンブラッドの1500万ドル(15億円)。その他の500万ドル(15億円)。合わせて1億1500万ドル(115億円)だ。

筆頭株主のジョン叔父が得たのは100万ドル(約1億円)だった。訴訟だらけだったジョンは、この金を裁判費用ですべて摩ってしまったという。VCの得たNapster株は紙切れになった。

Napsterの中の人間も、Napsterの出資者も儲けてないとしたら、金はどこへ消えたのか?

まず3000万ドル(30億円)が融資元のベテルスマンへ戻った。メタリカの和解金はわずか100万ドル(1億円)だ。ボイズ弁護士のギャラは200万ドル(2億円)。そこから予測するに弁護団の費用がその数倍。フィルタリング技術やNapster IIの開発費。あとは70人の人件費と、同時200万アクセスを捌くサーバ代で消えた。

「Napster裁判は文化的なベトナム戦争でした。数万人の民衆を犯罪者にして、稼いだのは弁護士だけです。アーティストに支払うべきお金は裁判費用に消えていきました」

クリエィティヴ・コモンズの創立者レッシグはそう評した。数万人の民衆とは、RIAAに告訴されたファイル共有のユーザーなど18,000人のことだ。

ミデルホフのサンダーボール作戦によれば、最大の債権者であるベテルスマンは、この倒産でNapsterの技術と商標権を入手できるはずだった。だが、融資が転換社債であったことと、ベテルスマンから送り込んだ新CEOにミデルホフが指示を送っていたメールが表面に出たことで、事態は一転した。

ベテルスマンは実質株主と裁判所に判定されたのだ。結果、Napsterの膨大な著作権侵害賠償金をベテルスマンは引き受けることになった。ハマー・ウィンブラッドとベテルスマンがその後、メジャーレーベルに支払った賠償金は5億ドル(約500億円)を超えることになる。サンダーボール作戦はすべてが裏目に出た。Napsterの倒産から1ヶ月後。ベテルスマンの取締役会はミデルホフを罷免した。

時代が変わろうとしていた。

ヴィヴェンディのジャン=マリー・メシエCEO。ソニーの出井伸之CEO。ベテルスマンのミデルホフCEO。AOLのボブ・ピットマン共同CEO。

Napsterが登場した2000年前後に、メジャーレーベルの親会社でトップを務めていた彼らはみな過激なまでにインターネット志向だった。それは、子会社のメジャーレーベルから反逆を招くほどだった。

ITバブル崩壊が不況をもたらすと、彼らは謀ったように一緒に表舞台から降りていった。次にトップとなったのは、コンテンツ産業の出身者たちだった。

連載第44回 定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか〜Napsterの物語(下)
▲日本に上陸したNapsterは、ショーン・ファニングの開発したものではない。ソニーとユニバーサルが2001年に立ち上げた定額制ストリーミング『Press Play』のシステムにNapsterの名を付けたものだ。ユニバーサル・ミュージックが買収したmp3.comの開発陣がシステムの基礎をつくった
Image : flickr


倒産したNapsterの商標権は結局、ロクシオ社が落札した。ファイル共有の席巻はCD-Rのブームを引き起こし、CD-Rの出荷枚数は瞬く間にCDの枚数を超えた。この時期、CD-Rのライティング・ソフトで荒稼ぎしたのがロクシオだが、iPodが登場したことでトレンドが変わり、業態転換を迫られていた。

Napsterの看板を手に入れたロクシオ社は、システムをSonyとユニバーサルから買った。プレス・プレイを買収したのだ。これにNapsterの名を付け、定額制ダウンロード配信を開始した。これが日本にも上陸した定額制配信のNapsterだ。

アップルのiTunes Music Storeが成功した影で、定額制配信はニッチなポジションに留まり続けた。

錆びついたサブスクリプション・モデルに再びスポットライトが当たったのは、2009年にSpotifyがイギリスで本格始動してからだ。Spotifyは、フリーと定額制を合わせたフリーミアムモデルを採用。爆発的な成長を見せ、今では欧州でiTunesの衰退をもたらすほどになった。

一方、iTunesよりも歴史の古い旧来型の定額制配信は、いよいよ時代遅れの匂いをまとい始めた。

2011年。もうひとつの老舗サブスクリプション・サービス、ラプソディがNapsterを買収し、ユーザーベースを合併。Spotifyが1000万人単位でユーザーベースを拡大する中、この合併で辛うじて100万人を確保した。

そしてNapsterの名も、ついに消滅した。

Napsterの発明者、ショーン・ファニングは初期の段階でVCから10万ドル(約1000万円)だけ株を買い取ってもらっていた。Napster社の倒産後、彼はすぐ起業し、今度は、オプト・アウト方式の著作権管理データベースを立ち上げた。SnoCap(スノーキャップ)だ。概念的には、後にGoogle Booksがファニングを踏襲したように思う。

レコード産業からの評判は上々だったが、時代はすでにジョブズのものになりつつあった。メジャーレーベルはジョブズに一元管理を任せたのだ。

Napsterの倒産でファニングもまた、パーカーと同じくトラウマを負った。回復するまでテレビ・ゲームばかりやっていたという。

だがやはり才能は隠しきれないのか。

ゲーム熱が高じてゲーム会社を立ち上げ、自分でゲームを創りだした。3度めの正直というが、3回めのこの起業は成功した。2008年、Spotifyがサービスインした年。大手ゲームメーカーのEA社がファニングの会社を1500万ドル(15億円)で買収。「Napsterのショーン・ファニングにようやく給料日」とテッククランチが報道した。

彼はその資金で「脱ソーシャル疲れ」を狙った新感覚のSNS、Path(パス)を立ち上げる。2年で500万人を確保し、Facebookと比べ10倍の投稿頻度を誇るサービスとなった。

親友のパーカーはFacebookの初代社長を努めた後、Spotifyで音楽産業の革命に再挑戦している。あるいはファニングも、Pathの次に音楽サービスの開発に取り掛かる日が来るのかもしれない。


定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか

連載第44回 定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか〜Napsterの物語(下)

筆者の手元には、Spotifyのダニエル・エクへショーン・パーカーが初めて送ったメールがある。2009年の8月25日13時49分に送信されたこのメールは、エクをして「自分よりSpotifyのことを考えている男がいる」と思わせただけのものがある(※)。長く、濃密で、熱い文章だ。

(※ http://wired.jp/2012/04/29/the-second-coming-01/ )

なぜ定額制ストリーミングが失敗したのか。
なぜiTunesが次に来たのか。
そしてなぜ今後、Spotifyの時代になるのか。

びっしりと分析されており、最後は熱烈なラブレターのようにして文章は閉じられている。読んでいると、なぜザッカーバーグやエクのような天才級の人間が、パーカーの頭脳を頼るのか得心が尽く。

「Facebook Musicはすでにある。Spotifyだ」

というせりふを連載第一回で紹介した。パーカーのラブレターは、FacebookがAppleからのラブコールを蹴って、Spotifyと特別パートナーシップを結ぶ未来につながった。

全文を載せたいところだが、筆者の連載1回分ぐらいの分量がある(※)。要点を解説していこう。良きにつけ悪しきにつけ、音楽配信の成功に必要なスタンダードを、Napsterが設定した。そう、パーカーは言う。

(1) 圧倒的な『利便性』
(2) 圧倒的な『スピード・レスポンス』
(3) 無限の『ディスカヴァリー』

このみっつのスタンダードが音楽配信、成功の必要条件となった。

今をときめく『定額制ストリーミング』の歴史はiTunesミュージック・ストアより古いことを、今回紹介した。『定額制ストリーミング』の大失敗から学んだジョブズがiTunes Music Storeを立ち上げた話を次回、書く。そしてフリーミアム配信のSpotifyが、定額制とiTunesの欠点を乗り越えて歴史は現在に辿り着く。

パーカーの3つのスタンダードは、この全てを説明できる秀逸なツールになっている。ひとつずつ説明していこう。

(1) 圧倒的な『利便性』

Napster以降、合法の音楽配信は何らかの形でファイル共有を超える利便性を提供しなければ成功しなくなった。

利便性には様々な形があるが、決して外せない要素がある。『モビリティ』だ。音楽を自由に持ち運べないと『利便性』を著しく毀損することになる。

Walkmanの登場以降、音楽生活はユビキタス化した(連載第38回)。モバイル・デバイスでも利用可能にして、いつでも、どこでも、好きな音楽を好きなときに楽しめなければ音楽ファンはもはや満足しない。iPhone 3Gの登場でSpotifyは、ストリーミングながらこのモビリティを実現することができた。

一方、当時の定額制ストリーミングはコピー対策に拘るあまり、PCから離れて自由に音楽を楽しめない仕組みになっていた。音楽のユビキタス化に逆行していたのだ。

ジム・グリフィンは「音楽のユビキタス化」を標語に定額制ストリーミングを推進したはずだった。ダウンロードの待ち時間を不要にし、PCとの同期を不要にする点で、ストリーミングはユビキタス化にいっそう適していたはずだった。

なぜ提唱者グリフィンの意に反する形で初期の定額制ストリーミングが出来上がったのか。彼が技術的なロードマップを敷き忘れていたからだ。

モバイルでストリーミングを十分に楽しむためには前提が要る。モバイル・デバイスがPC並みの処理能力を入手すること。そして、ブロードバンド並みの通信速度を確保することだ。ふたつを可能にしたデバイス、すなわちiPhone 3Gは、プレス・プレイやミュージック・ネットの6年後(2008年)まで登場を待たなければならなかった。

ストリーミングのパイオニア、リアルネットワークスのグレイザーCEOもそうだが、インターネット環境があまりにも目まぐるしく変化するのに目が眩んだのだろう。ムーアの法則を使えば、必要なインフラが実現する年数を見積れるはずだったが、「未来はそうなる」だけで進んでしまった。結果、ビジネス上の予言にクリティカルな「実現の時期」を外した。

ジョブズはグリフィンたちより現実的だった。

技術的ロードマップに沿った感覚を持っていたので、当時の段階でストリーミングを中心にする無意味さを理解していた。PCと同期するiPod、ダウンロード課金のiTunesストア。ふたつの組み合わせで、Appleは合法的にモビリティを実現してくれた。

しかし、iPodとiTunesには決定的な弱点があった。お金を払うか決め、購入ボタンを押し、ダウンロードして、PCと同期する。『スピード・レスポンス』に問題があったのだ。

(2) 圧倒的な『スピード・レスポンス』

アプリとしてのNapsterの品質の高さはこの『スピード・レスポンス』にあった。ブラウザよりも軽快で、Googleよりも速い検索。リストされた曲をダブルクリックすればすぐにダウンロードが始まった。

圧倒的な『スピード・レスポンス』が、ストレス・フリーの世界を実現する。逆もまたしかりだ。

プレス・プレイやミュージック・ネットは、まず検索結果が帰ってこなかった。新譜や他社の楽曲を取り扱っていなかったからだ。『カタログ』が欠けていると、インターネット文化の基本を成す検索のレスポンスを毀損することになる。

ビルボードチャートにあった新譜の網羅率は、プレス・プレイで13%、ミュージック・ネットに至っては3%しかなかった。Napsterは100%だ。これでは一度Napsterを体験した数千万のユーザーは、違法の世界に帰ってしまう。

定額制ストリーミングは確かにダウンロードの待ち時間は不要だった。しかし、曲名をダブルクリックしてから再生されるまで数秒かかった。これを数分ごとに経験するのだ。

Spotifyのエクによると、人間の脳は0.2秒以上レスポンスがないとストレスを感じ始めるという。ダウンロードの技術上の優位は、モバイルデバイスで確実に持ち運べる点と、一度ダウンロードしたファイルなら0.2秒以下のレスポンスで再生出来る点にあった。

一方、定額制ストリーミングの次に登場したiTunesストアは、検索のレスポンスに関してはNapsterに等しい速度を実現していた。全レーベルの協力を漕ぎ着け、新譜の提供も実現したからだ。だが、ダウンロードの待ち時間は当然ながら解決しなかった。

iTunesの次に来たSpotifyは、ストリーミングの欠点だった再生遅延を克服した。

P2P技術をストリーミングに応用することで、ストリーミングから再生遅延を無くしたのだ。「ダウンロード不要」「同期不要」「再生遅延なし」の組み合わせ。これがiTunesを超える圧倒的な『スピード・レスポンス』を実現し、ストレス・フリーの世界を実現した。

(3) 無限の『ディスカヴァリー』

これこそがNapsterの創った熱狂の本質だ。

人はなぜ音楽ファイルを無料で集めると熱狂したのだろうか。毎月数千円の小遣いを節約できたからといって、熱狂するだろうか。

フリーをきっかけに様々な音楽を気軽に聴いてみることで、好きな音楽を次々に発見できる。トム・ヨークが言うように、かつて失った音楽の熱狂をNapsterが一時でも復活させた理由はここにある。新しい出会いが生み出す感動の最大化、すなわちセレンディピティの最大化を起こしたのである。Napsterはこの点でラジオ・TVを遥かに凌駕していた。

当時、高校生だったダニエル・エクはNapsterに触って、人生が変わるほどの衝撃を受けたという。彼は試しに今まで名前は知ってても聴いたことのないバンドの曲をダウンロードしてみた。ビートルズやツェッペリンだ。彼はたちまち、伝説のバンドの大ファンとなった。Napsterが無ければ高校生の自分がクラシック・ロックの大ファンになることはなかった、と彼は後年語っている(※)。

(※ http://wired.jp/2012/04/29/the-second-coming-01/ )

そして2002年。Napsterが閉鎖した年だ。Napsterのくれたあの発見の感動を、合法の世界でも起こしたい。自分なりの合法Napsterを創ってみたい。そう考えた高校生のエクの頭脳に、Spotifyの原型が閃いたのだ(連載第02回)。

Spotifyと異なり、初期の定額制ストリーミングのカタログは限定されていたゆえに、Napsterが実現した無限のディスカヴァリーに到達できなかった。

iTunesはカタログを揃えているのだが、このディカヴァリー機能が弱い。

有料が前提だからだ。自由に音楽を聴いてみる段階があって初めて無限のディスカヴァリーが始まる。iTunesのソーシャル・ネットワークPingは企画倒れに終わったのはこの原則に反しているからだ。

ディスカヴァリー機能において、Napsterも完璧だったわけでない。

友だちリスト(Hotlist)から、友だちの音楽ライブラリを覗いて、新しい音楽を発見する機能はあったが、Napsterユーザーはとにかくダウンロードしまくることで無限のディスカヴァリーを体験しようとしていた。

Spotifyはここでも革新を起こした。プレイリスト共有だ。ストリーミングの特性を活かしたSpotifyは、音楽をシェアするにあたり、ファイルの共有を不要にした。お気に入り曲を並べたプレイリストをみんなで共有すればよい。

あとはプレイリストを共有する場所だ。それさえ入手すれば、Spotifyのディスカヴァリー機能はNapsterが到達し得なかった完成度で機能するはずだった。

そして、パーカーのメールがエクに届いた。

パーカーはNapster IIでソーシャル・ミュージック・ディスカヴァリー機能を実現しようとしていたが、会社から追放されてしまった(連載第43回)。しかし巡り巡ってFacebookの初代CEOを務めるに至った。

音楽とソーシャルネットワークはとても相性がよい(連載第03回)。それは創業者のザッカーバーグも分かっていた。Facebookを書いた次にファイル共有アプリ(Wirehog)を書いたぐらいだからだ。エクと同じく、ザックもNapsterに影響を受けた人物のひとりである。

iTunesのもたらす音楽生活は、CDとWalkmanの時代と本質的に変わっていない。Napster以降の新しい音楽生活をフォローしたものではなかった。ザッカーバーグはAppleからのラブコールにしっくりこなかった。

だからパーカーにSpotifyを紹介されたとき、ザッカーバーグはタイムラインに「Spotifyは良すぎる」と書き込んだ。Spotifyはローンチの際、わずか5,000ユーロ(約75万円 2008年10月1日149.9円換算)しか広告費を使わなかったが、Facebookの口コミを通じ爆発的に広がっていった(連載第02回)。

かくてNapsterの後継者であるSpotifyは、Facebookと特別パートナーシップを結び、Napsterを超えるソーシャル・ミュージック・ディスカヴァリー機能を入手することになった。

(※ http://www.scribd.com/doc/67465758/Sean-Parker-s-Email-to-Spotify-s-Daniel-Ek )


フリーを征する者がマネーを征する 〜4つめのスタンダード

無限の『ディスカヴァリー』を実現するには、何らかの形で「無料」を取り込む必要がある。有料モデルは閉じられている一方、無料モデルは開かれているからだ。だが有料モデルは売上が立つ一方、無料モデルでレコーディングは賄えない。

パーカーはあのメールで触れなかったが(おそらく技術上の議論にフォーカスしたからだろう)、有料モデルと無料モデル、双方の欠点をいかに克服するか。これがNapsterが残した本当の課題だ。

「RIAAが個人ユーザーを裁判で訴える是非を私は問うまい。だが、民衆はこれからも無料でダウンロードし続けるだろう」

Napsterのドキュメンタリー映画『Downloaded』で、2001年当時ソニー・ミュージックを率いていたドン・アイナー元CEOは語った。

「二度と過去には戻れない。レコード産業は、『無料』と共生していかなければならない。間違っている、と思ってもだ」

かつて無料メディアのラジオが席巻した時、アメリカのレコード産業は20分の1の売上に激減した(連載第36回)。そこから30年かけて、レコード産業はフリーの音楽放送と協調関係を築きあげた。

フリーを征するものがマネーを征する。

それは分かっている。だが、ことは文化の問題だ。ラジオを聴いてレコードを買う文化を浸透させるのに30年がかかったのだ(連載第37回)。

Napster以降の音楽配信に課されたスタンダードには、4つめがあるべきだろう。

(4) 『無料』と『有料』の共生

グリフィンは、需要供給の法則でデジタル・コンテンツの価値が限りなくフリーに近づく仕組みを説明した(連載第42回)。だから、コンテンツではなくサービスで稼ぐしかない、と。

メジャーレーベルはデジタルコンテンツの外に出て稼ぐ手法も強化している。ライブチケット・グッズ売上の重視だ。後は『無料』と共生しつつ稼げるデジタル・サービスを見つけ出すことだ。これに対し、エクの出した答えはフリーミアム・モデルだった。

ただのフリーミアム・モデルではダメだ。無料の毒性を薄めつつ、いかに有料モデルへ取り込むか。有料モデルへのコンヴァージョン(移行)が抜群に優れたフリーミアム・モデルでなければ意味が無い。

エクは(1)の『利便性』を、有料モデルのフックに活用した。

PCでは毎月10時間無料。モバイルで使いたいなら有料。サービス・インから1年後に登場したiPhoneがこのシンプルな方程式を機能させてくれた。有料会員比率は25%に。IT業界の水準では奇跡のようなレートを実現した。音楽の魔力がこの奇跡を起こしたのだ。

「人は利便性にお金を払うようになる」

20歳だったショーン・パーカーは、MTVにそう語った(連載第42回)。コンテンツをコンヴィニエンスで包みこめば、人はお金を払ってくれるのだ。

Wired誌の編集長クリス・アンダーソンは『フリー』というベストセラーで、グリフィンとは別の理論で、デジタル・コンテンツに働く無料化の圧力を分析した。

アンダーソンは物理的な形を持つ既存の経済をアトム経済、インターネット上の経済をビット経済と名づけた。そしてビット経済の進展と、それを支えるテクノロジーのロードマップとを結びつけた。

インターネットのインフラは、ムーアの法則に支配されている。

CPU速度、ストレージの容量、そして通信速度は年々倍増していく。結果、CPUを構成する半導体の1個あたりの価格は限りなくゼロ円に近づいた。同じく1bitあたりの通信コストも限りなくゼロに近づいている。ストレージもまた然りだ。その結果、Googleのようにフリーをベースとしたビジネスモデルが成立するようになった。

世界中でビット経済のシェアが増加するに連れ、価格破壊の圧力が働く。新興国の労働賃金は、価格破壊のグローバリゼーションを起こしたが、ビット経済も同様の現象を起こしているわけだ。

Spotifyはフリーを征したのか。フリーを推し進める存在なのか。

どちらかの立場を取るかで、Spotifyの評価は二分される。ここで忘れてはならないのは、ビット経済に働くフリー化の圧力は、ある集団の価値観が起こしているのではない点だ。デジタル・インフラに働くムーアの法則がデジタル・コンテンツのフリー化を促している。

つまり価値観で抵抗してももほとんど無駄ということだ。有料が無料を御するためには、どうすればいいか。テクノロジーに根拠を置く洞察が要る。

α) 無料よりも圧倒的に利便性を高めること。
β) 無料にない利便性を有料は提供すること。

それがアンダーソンの出した解のひとつだ。書籍『フリー』の出版から遡ること8年前に、パーカーやグリフィンが掴んだ答えと同じである。書籍『フリー』はiPhone 3Gと同じ年に登場した。この年、スマートフォンでWalkmanのようにSpotifyを利用できる便利さを、エクは有料の売りにした。Spotifyはクリス・アンダーソン著『フリー』のケース・スタディといえる。

実は、定額制ストリーミングには、違法ファイル共有よりももっと手強いライバルがある。フリーの動画共有だ。同じフリーでも、動画共有はファイル共有に比して二倍以上の力を持っている。

我が国の違法DLの利用者数は、推定で33.6%、音楽配信利用者の2.8倍ほどになる。一方、YouTubeなど動画共有の利用者数は約80%、有料配信の6.6倍だ(※)。

合法フリーオンデマンドの動画共有の方が、違法DLよりもはるかに手強い。違法DLを刑罰化しても、動画共有を含めた『無料』と『有料』の共生が進まぬ限り、有料音楽配信の未来は望み薄、ということだ。

動画の世界では、Spotify並の有料会員比率を実現したフリーミアム・モデルは、まだ見つかっていない。それは未開のフロンティアでもある。

あるいは、動画共有の中だけで有料モデルへの移行を構築する必要は無いかもしれない。無料のラジオを聴いて、有料のレコードを買う。社会全体でフリーミアム・モデルを実現していた時代もあるからだ。

その際、ラジオと動画共有の決定的な違い、フリー・オンデマンドが課題になる。YouTubeは、好きなときに好きな音楽を好きな場所で好きなだけ聴くことが可能だ。音源へのフリー・アクセスを実現している。本質的にそれ以上、何が要るのだろうか、ということだ。動画共有については次回以降、また触れよう。

(※動画共有の数字は2012RIAJ、50代以降を除く。違法DL利用者比率は2011RIAJ。前記動画共有利用者80%のうち、動画のキャッシュをDL可と知っているのが7割以上、実際にDLした人がその6割以上。これを元に試算した。http://bit.ly/16EEffQ )

利便性。スピード。ディスカヴァリー。無料との共生。

このよっつのスタンダードを丁寧に攻略できれば、日本産の定額制ストリーミングが成功を収める日も来るだろう。10年前の失敗を、繰り返す必要は無いはずだ。


フリーミアム・モデルとは別の解

レコード産業が、ネット時代の『無料』を征する道は、4つに大別できそうだ。

(a)無料で人を集め、利便性で有料サービスへコンヴァート

Spotifyのように利便性をフックにコンヴァートする道だ。この戦略における創造性のポイントは、無料から有料へのコンヴァージョン・レートで圧倒的な高みを実現する創意工夫だ。でなければフリーメディアとほとんど変わらなくなる。

この他には、フリーを征する道はないのだろうか。アンダーソンは他にいくつか解を提示している。

(b) アトム経済へのトランジット

ひとつがビット経済からアトム経済へのトランジット、いわゆるO2O(オンライン・トゥ・オフライン)だ。コンサート・ビジネス、グッズ・ビジネスの重視はこの流れに沿っている。だが、これだけだと、レコード産業の本分である録音のマネタイズに対する解は出さないままになる。

(c) 高収益のフリーモデル

もうひとつがレコード産業もフリーモデルから収入を得ることだ。この模範例がPandoraである。Pandoraのモバイル広告売上はアメリカでGoogleに次ぐ2位を誇っている。バナー広告の苦手なスマートフォンに、音声広告という新しい広告商品をもたらした。

そしてPandoraは売上の半分をメジャーレーベルとミュージシャンに渡している。事実上、Pandoraの半分をレコード産業の所有する形になっている。

一方、動画共有は音楽ビデオ一本あたりの売上がPandoraほど立っていない。だからレコード産業が広告収入をこの規模で確保したのは史上初と言える。メジャーレーベルにとっても、ミュージシャンにとってもPandoraの楽曲使用料は優れた360度ビジネスだ(連載第26回)。

つまり、広告モデルならなんでも良いというわけではない。高収益のフリーメディアを創造する必要があるということだ。高いコンヴァージョンレートでなければフリーミアムモデルは無意味なのと同じだ。

しかし、このフリーメディアだけでは、ラジオとレコードの時代におけるラジオの部分だけマネタイズしたことになる。録音物の有料コンテンツを諦めたことになってしまう。

(d)レコメンデーションを使った感動の最大化

4つ目は、インターネットによる音楽コンテンツの氾濫から、新たな需要を見出す戦略だ。アンダーソンはセイの法則からこれを説明しようとしている。

これは筆者の持論だが、供給過剰は収穫低減の法則に基づき満足度不足を生み出し、新たな需要の土壌を育てる。感動は、供給過剰の場所から離れ、新たなフロンティアを探しだす。これが新たな需要を生み出していると説明したほうが、コンテンツ産業には適していると思っている。

Napster、定額制配信、Spotify。一連の流れに共通することは、古今東西のあらゆる音楽コンテンツがすべて、ふつうの高校生にも利用可能になったということだ。100年前と比べ、音楽コンテンツは無限といえるほどの量になった。

一方、人間の自由時間は増えるどころが減っている。

貴重な自由時間に、どの音楽を選べば最大の感動を得られるのか。つまりレコメンデーションだ。秀逸な楽曲レコメンデーション・エンジンを持つPandoraは模範例だ。Facebookとパートナーを組んだSpotifyのソーシャル・ミュージック・ディスカヴァリー機能も、優れた例と言えるだろう。

情報の氾濫は、情報のコモディティ化と情報の希少化を同時に進行させた。

ありふれた情報の値段はゼロになった。一方、ひとりの人生を変えるほどの情報はさらに希少化している。ありふれた情報に力は無いからだ。音楽で言えば「生きててよかった」と思えるほどの楽曲を知る価値はいっそう大事になっている、ということだ。

音楽のコモディティ化と、音楽の希少化は同時に進行している。このトレンドを捉えるキーワードが、セレンディピティ(偶然生まれる感動的な出会いの演出)だ。

セレンディピティは感動を最大化する。感動がなければ、マネタイズは無い。

しかし感動の発生だけではマネタイズにつながらない。課題は、感動からいかにマネタイズへつなげていくかになる。そのひとつがSpotifyをはじめとするオンデマンド配信の有料化だったり、コンサート・ビジネスとなるわけだ。

以上、アンダーソンの『フリー』からヒントを選んだが、このすべてが著作『フリー』の出版前から、レコード産業は取り込んできたことにお気づきいただけるだろうか。音楽産業はたいてい、どの産業より先に最先端の難題を経験するきらいがある。それゆえ先行事例は音楽産業にあることが多い。

Napster以降、音楽産業はフリー化の試練に対し、どこよりも先に試行錯誤を積み重ねてきた。そして、人は失敗から学ぶことのできる存在だ。『無料』と共存する知恵は、音楽産業に蓄積されつつある。やがて閾値を超えるシーンを見る事になるだろう。


失敗から学ぶということ

連載第44回 定額制ストリーミングはなぜ失敗したのか〜Napsterの物語(下)
▲Napster共同創業者のショーン・パーカー(左)、Metallicaのラーズ・ウルリッヒ(中央)、Spotify共同創業者のダニエル・エク(右)。かつてIT産業とレコード産業の対立を象徴するNapster裁判でパーカーとウルリッヒは対峙。後にパーカーとラーズはSpotifyに参画し、10年の時を経て和解することになる。
Image : Spotify official blog, Softpedia news.
http://bit.ly/1auXPvq


「自分はNapster大学に行ったんだ」

大学に行かずNapsterをファニングと創業したショーン・パーカーは、時々この冗談を言う(※)。Napsterから追放された時に負った借金は、私大の学費並だった。

(※ Joseph Menn "All the rave" pp.318)

「Napsterで過酷な日々を送らならかったら、ビジネスの初期に注意すべきたくさんの事は学べなかったと思う」

Facebookの初代CEOになったとき、パーカーのNapsterでの体験はフル活用された。正しい幹部を雇い、正しい投資家を選び、VCと適切な関係を築く。Facebookを開発したザッカーバーグの株主比率を守り、彼の創造性を周囲から守る。すべて、Napsterで窮状に陥った親友ファニングと共に学んで得た知恵だった。

「人は失敗からたくさんのことを学ぶという。Napsterの物語は、ありとあらゆる失敗で溢れていたよ」

数えきれぬ失敗を経験してパーカーは学んだ。そして、業界から「賢人(Oracle)」と称されるようになった(※)。

(※ http://www.vanityfair.com/culture/features/2010/10/sean-parker-201010 )

数多くの失敗を繰り返したのはメジャーレーベルも同じだったのは、読んでいただいた通りだ。

Napsterへの対応を誤り、定額制ストリーミングで失敗し、iTunesストアに合意したが、iTunesは期待ほどの売上を出さなかった。その後は、ライブやグッズのビジネスを強化。さらにMySpaceミュージックを全メジャーレーベルで創り、フリーミアムモデルにも挑戦したが、散々の結果だった(連載第05回)。

「転職したほうがいいわよ」

心配する老母からそう言われたユニバーサル・ミュージック・スウェーデンのサンディンCEOは、できる限りの手は尽くしたつもりだった。裁判を起こし、違法ダウンロードを刑罰化する法を通した。2006年、スウェーデンの違法ダウンロードは世界最悪の日本に次ぐワースト2の成功率だった。

「それでも、音楽ファンはいつかまたCDを必要としてくれるようになる。そう考えてました」

サンディンCEOは言う(※)。それから2年間。売上は毎年10%ずつ落ちていった。仲間の首を斬るのが仕事になった。スウェーデンのレコード産業売上は、Napsterが登場した1999年を機にピーク時の半分になった。

(※ http://www.bloomberg.com/news/2011-07-14/spotify-wins-over-music-pirates-with-labels-approval-correct-.html )

そしてユニバーサル、ソニー、ワーナー、EMI、インディーズ連合Merlin、それぞれのスウェーデン法人は遂にある『実験』に合意した。

25歳のダニエル・エクの創ったP2Pストリーミングに楽曲使用許諾を卸すことにした。それがSpotifyだ。そしてメジャーレーベルはSpotifyの株主となった。それから4年後。Spotifyは違法ダウンロードの特効薬となり、国内レコード産業売上を前年比+18.7%にする快挙を成し遂げた。

あらゆる失敗を経験して、レコード産業は学んだ。そして、ようやくサービスのタレントに正しく投資した。結果、ネットの登場で毀損したコピーライツを補う道をSpotifyに見出した。ネットの長所を活かしたアクセス・モデル(※)だ。

(※ マスター音源の複製を売るのではなく、ユーザーがストリーミング等を通じて「音源にアクセスする権利」をマネタイズするビジネスモデル)

世界を巻き込んだあの裁判から、10年以上が経った。

Napsterにいたショーン・パーカーと、メタリカのラーズ・ウルリッヒ。Spotifyのダニエル・エクを入れた3人は肩を組み、カメラに向かって微笑みかけている。

写真を眺めていると、21世紀初頭に始まったIT産業と音楽産業の全面戦争がいつしか和らいできた気がしてくる。アメリカのレコード産業は、大人になったショーン・パーカーと腹を割って話し合った。そしてNapsterの後継者、Spotifyのアメリカ上陸が実現した。

人は必ず間違える。それも間違い続ける。われわれの知性には、本質的に欠陥があるからだ。それはSpotifyやその子孫たちも変わらないだろう。もし人が愚かさを裁き合うなら、失敗の歴史が繰り返される。手を携えて失敗から学ぶなら、許しと和解が訪れる。人の自意識に進化はないが、この選択は常にある。

古の時代も、遥か未来も、それは永遠に変わらないのかもしれない。 (以上)


<主な参照文献>
Joseph Menn (2003) "All the Rave: The Rise and Fall of Shawn Fanning's Napster", Crown Business この本は後世の音楽史研究において一級の資料になるだろう。絶版だが翻訳も出ているのでお薦めしておく。ジョセフ・メン著、合原弘子+ガリレオ翻訳チーム訳『ナップスター狂想曲』ソフトバンク・パブリッシング、2003年
Alex Winters (2013) "Downloaded", FilmBuff
CM http://www.youtube.com/watch?v=6Ai6K2VIEXM Napsterのドキュメンタリー映画が2013年のSXSWで発表されている。展開がスピーディで、パーカーたちのインタビューも豊富だ。邦訳がないが、英語が苦にならないならお薦めしたい。報道の裏で展開されていたドラマを体感することができる。
クリス・アンダーソン著 高橋則明訳『フリー <無料>からお金を生み出す新 戦略』 (2009) NHK出版
John Alderman (2001) "Sonic Boom", Basic Books
"With a Little Help From His Friends", Vanity Fair, October 2010 http://www.vanityfair.com/culture/features/2010/10/sean-parker-201010
"Napster, Inc. History", FUNDING UNIVERSE, based on "International Directory of Company Histories", Vol.69. St. James Press, 2005. http://www.fundinguniverse.com/company-histories/napster-inc-history/
"The Noisy War Over Napster", The Daily Beast, Jun 4, 2000 http://www.thedailybeast.com/newsweek/2000/06/04/the-noisy-war-over-napster.html
"Ashes to ashes, peer to peer: An oral history of Napster" Fortune Magazine, Sep. 5, 2013 http://tech.fortune.cnn.com/2013/09/05/napster-oral-history/
ほか多数


●次回は<2013年12月27日>更新予定!
【連載第45回「スティーブ・ジョブズが世界の音楽産業にもたらしたもの〜iPod編」】


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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)
 


1974年 東京都生
上智大学英文科出身。大学在学中から映像、音楽、ウェブのクリエイターとして仕事を開始。2000年、スペースシャワーTVとJ-Wave, FM802、ZIP-FM, North Wave, cross fmが連動した音楽ポータル「ビートリップ」にて、クロスメディア型のライブ・ストリーミング番組などを企画・制作。2003年、ぴあ社に入社。モバイル・メディアのプロデューサーを経て独立。現在は、エンタメ系の新規事業開発やメディア系のコンサルティングを中心に活動中。
2012年6月より「Musicman-NET」で連載「未来は音楽が連れてくる」を執筆開始し、その内容が業界内外の注目を集めている。
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