連載第38回 日本が世界の音楽産業にもたらしたもの

2013年4月11日 22:00

連載第38回 日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
▲Sony共同創業者の盛田昭夫と、Apple創業者のスティーブ・ジョブズ。カンファレンスの冒頭で、ジョブズは盛田の死を追悼し、「大きな影響を受けた」と讃えた。
 

Sonyスピリットを受け継いだApple

 

1999年10月5日。サンフランシスコのAppleカンファレンス。

前年にiMacで完全復活を遂げたジョブズは、熱狂に包まれ登壇した。スクリーンに映し出された巨大な林檎のロゴを背にして、彼は語り始めた。

「盛田昭夫氏は、私とAppleのスタッフに多大なる影響を与えました。先の日曜日、彼が世を去りました」

『Think different』のフレーズと共に、Sonyの共同創業者の写真が、林檎のロゴに変わってスクリーンに映し出された(* http://youtu.be/K7WmPz5kgjc )。

「スティーブはSonyになりたかったんだ」

Appleの二代目CEO、ジョン・スカリーの言葉だ。ジョブズが初めて盛田昭夫に会ったのは、初代マッキントッシュを開発したときだった。Sonyの発明した3.5インチ・フロッピーを初代マックに載せるため、Sony本社へ訪れていた。

そこでジョブズは、初代Walkmanを盛田からプレゼントされた。

Sonyのもう一人の共同創業者、井深大のインスピレーションで誕生したWalkmanは、盛田の類い希なるマーケティングで世界の音楽生活を変えた。初代Mac発売に5年先立つ1979年のことだ。

ジョブズは感激のあまり、盛田の目の前でWalkmanを分解し始めたという。

工場に案内されたジョブズは、Sonyのエンジニアがみな同じジャンパーを着ているのを不思議に思った。「あれは何ですか?」とジョブズが尋ねると、盛田は「絆みたいなもんだよ」と答えた。

「絆...。」そこでまた、ジョブズは感激してしまった。ジャンパーをデザインしたのは誰かと聞き出し、三宅一生にAppleのユニフォームをデザインしてもらった。

帰国したジョブズが「みんなで着よう」と社員たちに見せたところ、大ブーイングを受けた。そこで仕方なしに、自分だけの「ユニフォーム」をデザインしてもらうことにした。それがあの黒のタートルネックだ。

ジョブズがSonyから受けた影響は至るところに看て取れる。『Think different』という言葉からして、井深の言葉だ。洗練されたアップルストアは、盛田が進めたNY5番街のショールームと銀座のソニービルを踏襲している。

ブラックと削り出しシルバーの組み合わせ。最も目立つ箇所に輝く銀色のロゴ。

iPhoneとiPadのこのデザインは、CD時代を到来させた大賀典雄(Sony五代目社長)が60年代に定めたSonyの基本デザインそのままだ。

AppleはiPodで、21世紀の音楽生活を変えた。人真似が大嫌いなジョブズが「これは21世紀のWalkmanだ」と繰り返し自慢したのは、盛田たちへのリスペクトだったのだろう。

音楽とテクノロジーの関係を、20世紀前半から振り返ってきた。レコード産業と放送産業の先進国、アメリカが主な舞台だった。

音楽産業とテクノロジーの関係について、20世紀後半を語るにあたり、どうしても外せない存在があった。日本のSonyだ。

 

 

日本初のテープレコーダー

 

連載第38回 日本が世界の音楽産業にもたらしたもの
オープンリール式のポータブルレコーダー
Image : flickr ( http://bit.ly/12yGVFd )


盛田の家は、庭にテニスコートがあるような、名古屋の裕福な商家だった。高級住宅地で、向かいの家は豊田一族が住んでいた。

だから、RCAや松下は真空管ラジオを、リペアマンの資格を持つ系列店で販売していた。一方、ソリッドステートなトランジスタはリペアマンを不要にした。

奇しくも当時、アメリカにはKマートのような大型量販店が登場し始めていた。前回、「インディーズレーベルは、ディスカウントストアを活用して独自の販売網を創り上げ、ロックンロールのレコードを売っていった」と書いた(連載第36回)。

ディスカウントストアは、リペアマン不要で売れるトランジスタラジオも歓迎した。ロックンロールのレコードと共に、Sonyのトランジスタ・ラジオが大型量販店に並んだのである。

RCAや松下、フィリップスが金払いのよいハイエンド市場向けに真空管ラジオを高音質化させていく中、Sonyはミニラジオで欧米のローエンド市場に進入していった。

当初、RCAやフィリップスは、Sonyを脅威とは感じなかった。レッドオーシャンと化したローエンド市場などお荷物でしかなかったからだ。この大企業のモチベーションの低さを盾にして、Sonyは市場に進入することが出来た。

そこそこの音が安価になれば、これまでラジオを買いたくて買えなかった非消費者層がよろこんで購入するようになる。真空管時代、ラジオは家族のものだった。家庭に一台、リビングにどんと構えていた。小型で安価なトランジスタラジオは、「一人一台」の時代を到来させた。

大企業から見れば、ティーンズ市場などつまらないローエンド市場に見えた。だが実際には、パーソナルオーディオという新たな市場をSonyは切り開いていたのだ。

これまで高価な真空管ラジオを買えなかった彼らにとって、トランジスタラジオの競合は真空管ラジオではない。同じトランジスタラジオが比較対象になる。そしてSonyのトランジスタラジオは、米国製のものよりもずっと音がよかった。

Sonyは新たな市場、パーソナルオーディオの世界でプレミアム価格を実現した。

売り物がミニラジオしかない時代に、共同創業者の盛田はNYの5番街にSonyのショールームを開いた。当時、MADE IN JAPANは安いだけの粗悪品・模造品の代名詞だった。そんな時代にあって、盛田はSonyを一流ブランドにする野望に燃えていた。

当時、日本製品はアメリカの卸売業者に買い叩かれて、値段だけで勝負しているのが常だった。これを覆すために盛田は直接取引を試み、Sonyブランドの確立に挑んでいたのだ。

井深の製品開発と、盛田のマーケティング。ふたつの領域でイノヴェーションを起こしたSonyは、アメリカでブランドの確立に成功した。

NYにあった家電製品の倉庫が破られたとき、盗賊団は他社製ラジオには目もくれず、Sonyのポケットラジオだけ盗んでいった、という逸話が残っているくらいだ。

まとめよう。ここはクリステンセン教授の理論ではなく、筆者の見解になる。

一流企業がよく見落とすビジネスの盲点がある。ローエンド市場に起きたイノヴェーションは、新市場を生み出しやすい点だ。

ローエンド市場から非消費者層に横滑りして新市場が誕生した場合、破壊的イノヴェーションを起こしたプロダクトは、既存企業が油断している間に新市場のハイエンドを押さえてしまう。そして、ベンチャーは新市場でプレミアム価格を享受する。

これを「スライド・プレミアム」と呼んでおきたい。

当時の大手家電メーカーは新市場の開拓に向け、研究開発に励んでいたはずだった。テレビ時代の到来で、真空管テレビの開発に勤しんでいたのだ。真空管テレビは新たなハイエンド市場をもたらしてくれるはずだった。

しかし実際には、テレビの新たなハイエンド市場もSonyのものとなった。

まず、いつのまにか大型量販店が、系列の家電小売店を駆逐していた。そして大型量販店の棚はSony製品が大きなシェアを占めていた。

さらにSonyはトランジスタ・テレビを開発。技術的に極めて難しかったアパーチャグリル方式を独自のアイデアで実用化し、RCAなど大企業が先行していたテレビでも勝利を収めてしまった。

イノヴェーションで非消費者層を開拓し、新市場でプレミアム価格を取る。

これがSonyの勝ちパターンとなった。「ライフスタイルの提案」とは、理論的にはそういうことだ。

Sonyの技術革新はロックンロールをハード面から支援した。そしてロックンロールを求めるティーンズのSonyへの愛情が、初期のSonyブランドを創り上げたのである。

 

 

ブリティッシュ・インヴェイジョンとイノヴェーション

 

「1962年の夏、あなたはどこにいましたか?」

ジョージ・ルーカスの出世作、『アメリカン・グラフィティ』に付いていたキャッチだ。サンフランシスコ郊外で高校生たちが繰り広げる一夜のストーリーは、音楽と自動車が大切な小道具となっている。

アメリカン・グラフィティに出てくる高校生は、ちょうどベビーブーマーにあたる。

自動車から大音量に流れるロックンロール。これもまた、日本がもたらしたものといっていいかもしれない。

Sonyのトランジスタラジオが欧米で成功したことで、松下や東芝など日本勢の大手もフォローアップに出た。しかし、同じポケットラジオを創ってもそこはSonyがハイエンド市場を取っている。あまり、おいしくない。

だから、1959年に富士通テンが日本初のトランジスタ・カーラジオを創ると、これに他の日本勢も続くことになった。

真空管は繊細な上、電気食いだ。正直、カーオーディオに向いている部品ではない。一方、ソリッドステートなトランジスタは、カーオーディオにぴったりだった。

当時、カセットテープはまだ登場していない。かわりにTOP40専門ラジオが、ロックンロールをかけまくってくれた。

さらに日本のカーラジオには、自動車向けに新たな機能が備わっていた。プッシュボタン方式だ。ダイヤルを回して選曲するのは、車の中では骨が折れる。だがプッシュボタンなら選曲も一発だ。

そしてこれが、AMラジオで起きていた「ナローキャスティング」(連載第37回)の流れにピッタリ嵌った。ジャンルや年齢層で細かく専門局化したたくさんのラジオ局を、次々とザッピングして好きな音楽を探せるようになった。

そしてちょうどこの頃、中古車ブームが起こっていた。

終戦後に生まれ、高校生となったベビーブーマーは、自分らの親が中古車屋に売った車を安価で入手。日本製の安価なトランジスタ・カーラジオをオプションで載せた。

カーラジオもまた、非消費者を消費者に変える「新市場型の破壊的イノヴェーション」にあたる。無音だった車内に、音楽の新市場が生まれたからだ。音楽生活は、これまで車の中に存在しなかったが、このときから車の中は、人類の音楽生活にとって重要な場所となった。

以降、インターネットの普及した今でも、カーラジオは、アメリカにおける音楽生活の中心となっている。21世紀のPandoraは、カーラジオとして歓迎された。

Sonyのトランジスタラジオはパーソナルオーディオ市場を創出し、音楽生活の「パーソナル化」を推し進めた。その後に続いたトランジスタ・カーラジオは、音楽生活の「モバイル化」をもたらした。

「パーソナル化」「モバイル化」。ふたつの流れは共に、やがてWalkmanそしてiPodの登場によって極大化するベクトルだ。

アメリカン・グラフィティの舞台から2年後の1964年。

ベビーブーマー世代が20歳にさしかかる頃だ。BeatlesとStonesが米国に上陸し、ブリティッシュ・インヴェイジョンが始まった。そして、1920年代のラジオ登場で壊滅したメジャーレーベルに、ようやく黄金時代が再来した(連載第37回)。

ブリティッシュ・インヴェイジョンにコンテンツパワーがあったことは論を待たない。その上で経済的な大成功を収めた背景には、(1)ベビーブーマー、(2)中古車ブーム、(3)ナローキャスティング、そして(4)トランジスタ・カーラジオがあった。

以降、トランジスタから始まった半導体の進化は、音楽生活の進化に繋がってゆく。

後にSonyとフィリップスからCDが誕生する際、トランジスタの集積回路、LSIが大きな役割を果たすようになる。

iPodはPCをゲートウェイとした音楽生活を実現した。PCは、トランジスタが億単位詰め込まれたCPUが中核となっている。

スマートフォンの登場には、CPUとGPUを統合した上で低電力化したAPUの登場が密接に関わっている。PandoraとSpotifyのようなストリーミング音楽配信は、スマートフォンの登場でビジネスモデルを手に入れ、持続可能な音楽文化となった。

音楽も、半導体製品を牽引してきた。今で言えばPandoraが、キラーアプリとなってiPhoneのエコシステムを牽引したことは説明したとおりだ(連載第23回第30回)。

 

 

ラジオ番組とイノヴェーション

 

ラジオのコンテンツの方の話をもう一度しておこう。

1950年代は、アラン・フリードたちカリスマDJによる自由な選曲が、音楽番組のフォーマットだった。

レコードを放送に使うディスクジョッキー番組は、「新市場型の破壊敵イノヴェーション」だ。DJが新しい音楽を紹介するレコメンデーションで、ロックンロールという新市場が誕生し、放送でレコードをかけるという、今では当たり前となった番組フォーマットが登場した(それ以前はレコードの放送はタブーだった)。

1960年代は、放送局の広告ターゲットに合わせ、編成部が選曲を固めるTOP40フォーマットが席巻した時代だった。

DJの選曲は幅広く、職人芸で様々ないい音楽を紹介してくれた。だが、ライトな音楽ファンにはそこまで求めてなかったと言える。

人気曲だけをひたすらかけるTOP40フォーマットは、「ローエンド型の破壊的イノヴェーション」になるだろう。

既存のプロダクトの品質改良が進み過ぎ、ローエンド層に「満足度過剰」の顧客が出てくる。その潜在需要を対象に革新を起こすのが「ローエンド型の破壊的イノヴェーション」だ。

トッド・ストーズは、ジュークボックスに入ったヒット曲を繰り返しかけるティーンズを眺めていた。そして、ライトな音楽ファン層のこうした潜在需要に気づいた。

ヒット曲に選曲を限定し、編成が決めたとおりに制作プロダクションが番組を創る。番組のアセンブリーライン化だ。そして最もボリューミーなセグメントを対象に「ナローキャスティング」し、広告売上を最大化する。

このシステマチックな放送ビジネスは、またたく間に全米を席巻し、放送業界を塗り替えた。TOP40ラジオはメジャーアーティストのマーケティングと相性がよく、60年代のメジャーレーベル黄金時代を助けた。

どのマーケットもそうだが、ハイエンド層よりもローエンド層の方が人口が大きい。広告モデルをベースとする放送の世界で、ローエンドに強いTOP40でラジオが塗り固められるのは時間の問題だった。

本来儲からないローエンド層でイノヴェーションを成功させる鍵は新しいビジネスモデルだ、と紹介した。

TOP40専門局がもたらした新たなビジネスモデルは、セグメント・マーケティングの最大化を狙ったナローキャスティングだ。

しかし、どこもかしこも最大公約数のとれるセグメントを狙いに行けば、多様性は失われナローキャスティングの概念は崩壊する。70年代に、それは起こった。

このパターンはターゲティング広告を売りとするインターネット・メディアでも進行するかも知れない。

 

 

FM革命に見るイノヴェーションの失敗

 

「ジングルだらけだ。そしてヒステリックに陽気なDJ。お決まりのイケイケなテンポ...。この10年、TOP40が席巻してAMラジオは死んだ。電波で死臭が垂れ流されている」

ベテランDJのトム・ダナヒューはローリング・ストーンズ誌でこう言い放ち、革命運動に入った。といっても、政治運動ではなく、音楽放送の革命だ。

1960年代末になるとTOP40フォーマットは供給過多となった。これは、ヒット曲に対する「満足度過剰」をもたらした。


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【本章の続き】
■ブリティッシュ・インヴェイジョンとイノヴェーション
■ラジオ番組とイノヴェーション
■FM革命に見るイノヴェーションの失敗
■Walkman。別格のイノヴェーション
■ヘッドフォン(イヤフォン)文化のもたらしたもの
■ミックステープ文化とソーシャルミュージック
■Walkmanから見たパーソナライズ放送
■カセットテープと新興国の国産音楽
■ジョブズへ連なる盛田の言葉

「未来は音楽が連れてくる」電子書籍 第1巻


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著者プロフィール
榎本 幹朗(えのもと・みきろう)

 榎本幹朗

1974年、東京都生まれ。音楽配信の専門家。作家。京都精華大学講師。上智大学英文科中退。在学中からウェブ、映像の制作活動を続ける。2000年に音楽TV局スペースシャワーネットワークの子会社に入社し制作ディレクターに。ライブやフェスの同時送信を毎週手がけ、草創期から音楽ストリーミングの専門家となった。2003年ライブ時代を予見しチケット会社ぴあに移籍後、2005年YouTubeの登場とPandoraの人工知能に衝撃を受け独立。

2012年より『未来は音楽を連れてくる』を連載・刊行している。Spotify、Pandoraをドキュメンタリーとインフォグラフィックの技法を使って詳細に描き、 日本の音楽業界に新しいビジネスモデル、アクセスモデルを提示することになった。 音楽の産業史に詳しく、ラジオの登場でアメリカのレコード産業売上が25分の1になった歴史とインターネット登場時の類似点 や、ソニーやアップルが世界の音楽産業に与えた歴史的影響 を紹介し、経済界にも反響を得た。

寄稿先はYahoo!ニュース、Wired、文藝春秋、プレジデント、NewsPicksなど。取材協力は朝日新聞、Bloomberg、週刊ダイヤモンドなど。ゲスト出演はNHK、テレビ朝日、日本テレビなど。音楽配信、音楽レーベル、オーディオメーカー、広告代理店を顧客に持つコンサルタントとしても活動している 。

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