【後半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々 元『ミュージック・ライフ』編集長 星加ルミ子さんインタビュー

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2016/03/14 (月) - 21:30

ー LIVING LEGEND シリーズ ー
【後半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々

元『ミュージック・ライフ』編集長
星加ルミ子さんインタビュー


元『ミュージック・ライフ』編集長
星加 ルミ子(ほしか・るみこ)

 
音楽ファンなら一度は目にしたことがあるビートルズと着物姿のうら若き女性の写真。その若き女性こそ若干24才の星加ルミ子さんその人だ。『ミュージック・ライフ』編集長として単身ロンドンへ乗り込んでビートルズの取材を実現させた星加さんとはいかなる女性なのか? そのキャリアからビートルズとの交流まで話を伺った。


 
(インタビュー・山浦正彦 / 文・Kenji Naganawa)
2016年3月14日 掲載

インタビュー前半はこちらから!
【前半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々
元『ミュージック・ライフ』編集長 星加ルミ子さんインタビュー
PROFILE
1940年北海道生まれ。東洋女子短期大学英文科卒。
61年、新興楽譜出版社(現シンコーミュージック・エンタテイメント)入社、ミュージック・ライフ編集部に配属される。65年、ロンドンに渡り、日本人ジャーナリストとして初めてビートルズとの単独会見に成功。75年、シンコー・ミュージックを退社まで編集長として活躍。以後、フリーの音楽評論家として現在に至る。主な著書に、「太陽を追いかけて」、「ビートルズとカンパイ」(シンコー・ミュージック刊)などがある。
6月にはビートルズの来日50周年を記念して、大々的なイベントを行う予定。Tom's Cabin
SXSW Asia着物をきっかけに即打ち解けたビートルズとの初対面—— ロンドンに着かれてからは?

星加:とりあえずはEMIの方と一緒にエプスタインのところへ挨拶に連れて行ってもらったんです。そうしたら、彼は「ああ来たのか」みたいな感じで、全然ノー・リアクションで。そのときはわざと刀は持って行かなかったんです。いきなりそんなものをあげるというのは、やっぱり失礼ですしね。次に会うときに機会を作って貰った方がいいと思ったんですね。

—— 24歳にして、すごくわきまえていますね。

星加:1人になれば、人間って何でもできるんです(笑)。頼る人がいなければ自分の知恵でどうにかするんですよ。

—— でも、普通はそんな冷静に物事を考えられないと思います。

星加:でも、そうするしか仕方なかったですからね。それで、そのときは挨拶だけで「3日後にもう1度ご挨拶に伺いたいんですけど」と言ったら、あっさりアポイントが取れて、そのときに「実は日本からあなたに特別なプレゼントを持って来ました。気に入ると良いんですけど」と刀を渡したんです。そうしたら「何だコレは!」と(笑)。実はその刀の解説書をトランスレーションして一緒に持っていったんですよ。でも、そんなものを読むまでもなく、刀を抜いたらギラギラしている。ブライアンは本物の迫力に魅了されていました。

—— 本物を前にしたら説明なんていらないと。

星加:ブライアンの後ろに世界地図が貼ってあって、ビートルズがコンサートに行ったところに赤い印をつけていたんですが、秘書にそれを全部外させて、フックをその場で打ち付けて、刀をかけたんですよ。その間、わずか15分くらいです。私は思わず「やったー!」思いましたね(笑)。その価値が分からない人にあげても仕方ないですけど、彼は分かってくれたんですね。

ところが、彼はビートルズにいつ会わせると一言も言わないんですよ。それで「君はいつまでロンドンにいるつもりなんだ?」と私に訊いてきたんです。だから、私が「ビートルズに会わせていただけるまでは日本に帰れないことになっています」と答えました(笑)。「もし私がビートルズに会えなければ、テムズ川とかドーバー海峡に身投げしなければなりません」と。よく言えたなと思うんですけどね。

—— 普通は言えませんよね(笑)。

星加:そうしたら、ブライアンは「アハハ」と笑って(笑)、「だいたいいつまでいるつもりなんだ?」と。私は「最低3週間ロンドンにいて、それからアメリカに行くつもりだ」という話をしたんですね。イギリスのあとはアメリカに行って、色んなミュージシャンとアポイントメントを取っていると。エルビス・プレスリーとか、サイモン&ガーファンクルとか、ボブ・ディランとか・・・とでまかせを言ったんですよ。誰もアポイント取れてないんですけどね(笑)。サイモン&ガーファンクルだけは本当だったんですけど、エルビス・プレスリーなんて取れているわけがない。でも会う予定でいるからと言いました。

—— やりますね!(笑)

星加:慣れてきたらもうこっちのものですからね(笑)。英語、なんだかすらすら言えるようになってきていましたし、ロンドンに居ることなんかすっかり忘れちゃって、エプスタインに「できれば16日にはニューヨークへ発ちたいんだ」と言ったんですよ。それで、15日に会わせてくれたんです。これは後で聞いて「先に言ってよ!」って感じでびっくりしたんですが、EMIが言うには、イギリス人の場合、礼儀として、記者がVIPに会うときに、記者がそこを立ち去る前の日か、あるいはVIPが訪ねてきて、そこを立ち去る前の日に取材するというのが慣例なんだそうですよ。でも、そんな慣例知らねえよって(笑)。

—— (笑)。

星加:だったらもっと早く言ってくれれば良いじゃないのって(笑)。いつもEMIのスターンさんという偉い方が一緒に行ってくださっているわけですから、スターンさんが一言そう言ってくれれば、私も「じゃ、15日に会えるかな」と安心できたわけじゃないですか。でも、スターンさんは生粋のイギリス人で、イギリスから出たことがない人だから、どこの国もそうだと思っていたらしいんですね。「え、日本は違うの?」とか言われて(笑)。

—— そして、ようやくビートルズとの対面になるんですね。

星加:レコーディングの終わった夕方5時くらいに彼らに会いました。彼らはもう帰るだけだったのを「取材が1人来る」ということで、スタジオで待っていてくれたらしいんですよ。それでスタジオへ行って、まず入ったのがミキシングルームですね。そこにはジョージ・マーティンがいたので、まず彼に挨拶をして、それで、地下がレコーディングスタジオになっているんですが、珍しい格好をした見たこともない女の子が上でジョージと話していると、みんなこっちを見上げているわけですよ(笑)。

—— 「あの子は何だ?」と(笑)。

星加:そう(笑)。そしてジョージ・マーティンが「下に行こう。4人が待っているから」と。そうしたら4人がみんな手招きしているわけですよ。階段があっちにあるからと一所懸命教えてくれたりして(笑)。そこからの私は、全くの雲の上を歩いているみたいで、ほとんど記憶は定かじゃないですけど(笑)。

—— いや、誰だって舞い上がってしまうと思いますよ(笑)。

星加:それで下に降りましたら、ジョージ・ハリソンがパーッと駆け寄ってきて、私の着物に触りまくるんですよ、珍しくて。「なんでそんなに太いベルトをしているの?」とか、スリーブが何でそんなに長いんだとかって、日本人でも答えられないようなことを質問してきました(笑)。日本人も、日本人の若い女の子も初めてで、しかも着物を着た日本人を初めて見たわけですよね。「こんな格好初めてだ! これは何だ?」という驚きがあったんですね。それで、他の3人もそばに寄ってきて、「日本人の女の子はみんなこういう格好をしているのか?」と。「いや、これは特別なときにしか着ない“着物”というものなんですよ」と教えてあげました。それで、その着物がきっかけになって、4人と打ち解けられて、最初、取材時間は30分なんて言われていたんですが、結局3時間もスタジオにいました(笑)。

—— 本当に素晴らしいですね(笑)。

星加:それで、もうそろそろ失礼しようかと思っていたときに、ジョン・レノンが私に「もし日本に行くチャンスがあったら相撲レスラーに会いたい」と言ったんですよ。「どうして相撲レスラーなんて知っているの?」と訊いたら、美術学校にいたときに友達が日本の写真集を持っていて、そこにとても綺麗な相撲レスラーが載っていたというんですよ。もちろん、その時は日本に来る話なんて全くない時だったんですが、相撲と聞いて「相撲と言ったら手形でしょう!」とひらめいて、持って行った色紙に4人の手形をもらったんです。少し大きいんですけどね。すると、そこにみんなのサインまでしてくれまして。ハンドサインですね。

—— これも良いアイデアですよね。

星加:ええ。とっさに浮かんだんですけどね。日本で相撲レスラーはみんなこういう色紙に手形を押すんだよと言ったら、すごく面白がって、すぐやってくれました。

『ミュージック・ライフ』ビートルズ
『ミュージック・ライフ』ビートルズ
『ミュージック・ライフ』ビートルズ
『ミュージック・ライフ』ビートルズ

 

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【後半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々

元『ミュージック・ライフ』編集長
星加ルミ子さんインタビュー

 
「ポールさんと握手したのはどっちの手ですか?」—— このビートルズの記事が載った『ミュージック・ライフ』は本当に強力ですよね。この号はどのくらい売れたんですか?

星加:それまでの『ミュージック・ライフ』って、10万部いくかいかないかという雑誌だったんですよね。それがこの号は25万部出して、ほとんど返品なかった(笑)。

—— 通常の3倍近いですね。

星加:ビートルズのファンが1人で何冊も買ってくれたりなんかして。今はこの号はすごく価値が出ちゃって何十万もするそうです(笑)。

『ミュージック・ライフ』ビートルズ
—— とにかく、この号の星加さんとビートルズの写真は本当に衝撃でしたし、こんな可愛い子が日本から着物で来たら会わないわけにはいかないだろうなと。

星加:若い女の子がね。だから、税関と同じで相手も警戒しないんですよね。ビートルズともすぐに打ち解けて、彼らもほとんど同じ年代ですから、もうざっくばらんに色んなことを訊いてきまして。スーパースターなんて言うと嫌な連中なのかなと、会うまでは警戒していたんですけどね。でも、それまで私たちが思い描いていた、いわゆるスターというものを彼らが打ち破ってくれましたよね。彼らは本当にごくごく普通の青年たちでした。それで私はそれから毎年ビートルズの取材へ行って、何度も会っていますし、アメリカ公演のときも一緒について回っていますけど、彼らはいつも同じなんですよね。本当に変わらない。

—— アメリカ公演はビートルズ側が招いてくれたんですか?

星加:そうです。エプスタインがね。アメリカの2誌とイギリスの2誌、そして日本の1誌、記者とカメラマンが取材で会場入りを許されたんですね。その特別なパスを持っていたら、会場だろうとホテルだろうとどこでも取材できるんです。いつでも話しかけてかまわないし。

—— 星加さんはその強力なメンバーに入れたんですね。

星加:本当にクルーみたいなもんですよね(笑)。朝ご飯は、みんなそれぞれ起きたら食べられるようにと、別室にビュッフェスタイルで用意してあるんですね。それはメンバーだけじゃなくて、ついてきたクルーの人たちだとか、アメリカの関係者の人たちがみんな食べていいんですよ。それで、私も朝ご飯でおいしいオムレツでもあるかもしれないと、降りていったんですが、そこで2回リンゴ・スターと一緒になりました(笑)。

—— (笑)。

星加:「同じ時間にハングリーだな」とからかわれましたけどね(笑)。リンゴ・スターが私にプレートを持たせて、「何? スクランブルエッグ? それとも目玉焼き?」って取り分けてくれて、朝ご飯一緒に食べました(笑)。

—— アメリカではライブは何公演観たんですか?

星加:5回観ました。

—— 羨ましい(笑)。

星加:でも、そのときは、50年経った今もビートルズと言っているなんて思いもしませんでしたよ。いくらもの凄い人気のあるスーパースターでも、やがて忘れられていくのが常ですからね。

—— それまでにプレスリーはいたとしても…。

星加:プレスリーでさえも、だんだん忘れられかけていますよね。だから、50年経ってまだ私にビートルズのことを話してくれとか、ビートルズの取材のときのことを話してくれなんて言われるのがウソみたいですよね。

それで、アメリカ取材のあとハワイで5日間休暇を貰ったんですよ。ハワイですごく良いホテルを用意してくれて「遊んできて良いから」と言われて。でも、それまでの疲れと安心感で、波の音を聴きながら5日間寝てました(笑)。本当に何もする気がなかったですね。ホテルの従業員が「あのショッピングセンターが近いから行ってきたらどうか?」とか心配して言ってくれたんですけど、もう疲れているからほっといてと。

—— 完全な休養だったんですね。

星加:それで、ビーチサンダルにムームー姿でハワイから羽田に帰ってきたんですよ。そうしたら、到着ロビーに若い女の子たちがいっぱいいて・・・今はそういう光景珍しくありませんけど、当時は羽田へ行くだけで大変でしたから、若い子たちが空港にいっぱいいるのは珍しい時代で、私はカートで自分の荷物を持って出て来たら、その人たちが私に向かって一斉に向かってきたんですよ。そうしたら「ポールさんと握手したのはどっちの手ですか?」とか「ポールにチュウされたのはどっちのほっぺ?」と代わるがわる質問されて(笑)。

—— (笑)。

星加:あー、そうか、私を迎えに来たんじゃなくて、ビートルズに握手した手にさわりたかったんだと。それでシンコーから迎えにきてくれたスタッフのガードで何とか空港から脱出することができました。


 

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【後半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々

元『ミュージック・ライフ』編集長
星加ルミ子さんインタビュー

 
ジョン・レノンは日本で「ビートルズは解散だ!」と叫んだ—— しかし、どう考えても若干24歳の、唐突に肩書きを与えられて行った人がそこまでの成功を収めて帰ってくるというのはすごいことだと思います。

星加:知らないってことが強いんですよ。

—— 快挙の中の快挙ですね。

星加:結果的にはね、全部成功しましたから快挙でしたけど。

—— 草野さんからのご褒美はハワイ休暇だけですか?

星加:そうです。

—— それだけ(笑)?

星加:あと、草野さんはこのときの写真をマスコミのあちこちにばらまいていて、帰って来たときにはある程度知れ渡っていたんですね。そうすると、テレビとかラジオからゲストで出てほしいとオファーがあって、「嫌だ」と言ったら草野さんから「星加さん、この2ヶ月の旅行でいくらかかったと思っているの?」と怒られました(笑)。

—— 星加さんだって「いくら売ったと思っているの?」と言い返したいところなんでしょうけど・・・(笑)。

星加:元は取り返していますからね(笑)。それで「これからそういうオファーが来たら全部引き受けるから、星加さん出てよ」と。それで必ず「ミュージック・ライフ編集長」という肩書きをつけて出なさいと言われました。それからの私はすごかったですよ。深夜放送のラジオまでやらされましたから。「パック・イン・ミュージック」からNHKの「昼の憩い」まで(笑)。

—— 働き通しですね・・・。

星加:そうですよ。これを広告に換算したら大変なことですし、ここが草野さんの商売人としてのすばらしさですよ(笑)。当時は知りませんでしたけど、私はタレントでもないし評論家でもないですから、出演料はくれるんですけど特に安かったらしいんですね。草野さんは「それはあげるから」と(笑)。

—— 一年後の66年にビートルズは来日しましたが、ジョン・レノンは相撲力士に会えたんですか?

星加:いや、ホテルから一歩も出られなかったですから、それは無理ですよ。私が取材で会いに行ったら「買い物にも行けない」というから、お土産物屋さんをホテルの部屋まで呼んだんですよ。カメラ屋さんや紳士服屋さんとか、みんな呼ばれて来ていて。ちょっとしたバザーでしたね(笑)。

彼らは日本だけじゃなくて、どこへ行っても缶詰で、つくづくライブが嫌になったと言っていました。だって、彼らは遊びたい盛りの24~25歳の若者ですよ。それが、どこへ行っても一歩も出られずに缶詰でうんざりしているわけですよね。ジョン・レノンなんかは日本で買った法被を着て「ビートルズはミリオネア(億万長者)になったけれど、ブライアン、俺たちはいつ使えばいいんだい?」と言っていました。

—— (笑)。

星加:そして「ビートルズは解散だ!」と叫んだんですよ。

—— 冗談とは言え、その頃にそういうことを口走っていたんですか。

星加:ええ。ジョンはそういうことを言う人なんですよ。ブラックユーモアなんて言うと聞こえはいいですけど、単刀直入に色々なことを言う人なんです。知っている人たちは「ああ、またジョンのブラックジョークが始まった」と。私は逆にその顔を見て、「この人たちの間にそういう話があるのかな?」と思いましたけど(笑)。

—— 来日公演のあともビートルズの取材は続けていたんですか?

星加:もちろん。日本公演の終わった2ヶ月後にアメリカ公演でした。アメリカ公演で全14都市行けたんですがシカゴから始まって、ニューヨーク、シンシナティ、それからロサンゼルス、サンフランシスコとビートルズと一緒に飛行機に乗っていました。エプスタインには「もうロンドンに住めば?」とからかわれましたよ(笑)。

—— (笑)。

星加:彼らはいつ会っても、すごく感じ良かったです。本当に嫌な思いしたことは全くありませんでしたね。特に、ポール・マッカートニーなんてよく喋ってくれますし。

—— でも、星加さんはミュージシャンと仲良くなっても、「記者」としての立場という一線を意識して作っておかないとダメだと仰っていますね。

星加:そうですね。アメリカの記者、ニューヨークの記者なんかは、仲良くなって、すぐになれなれしくしたりするんですが、私はそれだけはやめようと思っていました。やっぱり私は記者ですから、一線を引いて、それ以上近づきすぎないようにしようと常に思っていました。

—— 節度のある行動を常に心掛けられたと。

星加:よく「ポライト」と言われましたね。礼儀正しいって(笑)。意識的にそうしていましたね。何回も会って、顔を会わせたりなんかしていると、ついなれなれしくなってしまうんですよ。

—— 向こうが優しくしてくれると調子に乗りますよね(笑)。

星加:図に乗ります。それだけは気をつけようと。その代わり、彼らが活動している間は、長く取材させて貰えるので、エプスタインに気に入られ、4人にも嫌がられないようにしようと。それは思っていましたね。

—— ところで星加さんは映画「レット・イット・ビー」のいわゆる“ルーフトップ・コンサート”も現地で観ていらっしゃるそうですね。

星加:ええ。あのときはウォーカー・ブラザーズを日本に呼びたいというので彼らに会いにロンドンへ行っていたんです。それでついでにアップルにも行ってビートルズに会えるものなら会わせてくださいと頼んだんです。そうしたら次の日に電話がかかってきて「今、屋上でビートルズが演奏している」と(笑)。

—— それはビックリしますよね(笑)。

星加:何が何だかよくわからないですよ(笑)。それで「来てみたら?」と言うので、他の仕事をキャンセルして行ったら、道路は通行止めにはなっているし、みんな鈴なり状態で観ているわけですよ。それで、私は事情を話して建物の中へ入れてもらって、電話をくれた人と話したら「屋上は撮影していて関係者以外入れないから、みんなが降りてくるのを待っていたら?」と言われて、1階のロビーで微かに音が聞こえてくるのを聴いていたんです。それがレコードになるのか、映像はどうやって使うのか、誰も把握していないわけですね。つまり4人が勝手にやって、それを観て良かったら後でどうにかしようということだったと思うんですが、その後、あれがあんな映像作品になるなんてね。想像以上によくできていましたね(笑)。

—— 歴史的現場にいたというだけでもすごいですね(笑)。

星加:偶然なんですけどね。


 

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【後半】スターの概念を打ち破ったビートルズとの日々

元『ミュージック・ライフ』編集長
星加ルミ子さんインタビュー

 
若い人たちは一流のものを聴きなさい元『ミュージック・ライフ』編集長 星加ルミ子さん
—— 『ミュージック・ライフ』は星加さんのビートルズ取材をきっかけにかもしれませんが、その後、洋楽路線にシフトした感じがするんですが。

星加:そうですね。それから後も邦楽を全く入れなかったわけではなくて、渡辺プロとかホリプロの広告をもらっていたので多少は取り上げていました(笑)。でも、ほとんどがアメリカ、イギリスの音楽になりましたね。

—— 私もその頃の編集部にお邪魔していたんですが、編集長から編集部員みんなが熱烈的な音楽ファンであるという熱量が部屋に充満していましたよね。

星加:だって、ファンじゃなかったらいられなかったですから(笑)。それで、女の子ばかりの編集部でした。なぜかというと、女の子の方がミーハーなんですね。「ビートルズの次は誰をスターにしようか?」と言ったときに、そういうことに敏感なのは女の子なんですよね。「この子たち絶対人気が出るわよ」とか、そういうことが感覚的に分かるんです。男の子はどうしてもギターがどうとか、そういう話になっちゃいますから(笑)。それで『ミュージック・ライフ』の編集部は若い女の子ばかりにしたんです。

—— 星加さんは面接官とかもされたんですか?

星加:そうですね。新興音楽出版社の社員として採るんですが、「『ミュージック・ライフ』に入れる」とは言わないんです。みんな『ミュージック・ライフ』に入りたくて来るわけですが、1年くらいは営業とかの出向期間で(笑)。その後に適性を見る。ミーハー根性をね。

—— それで入られたのが水上はる子さんや東郷かおる子さんたちですね。

星加:東郷さんはミーハーの最たるものでしたからね(笑)。記者である前に、本当にそういうミーハーな思いだったんですよ。スコット・ウォーカーが日本に来て、会わせたときなんて、泣き崩れて取材にならないんですよ(笑)。

—— (笑)。

星加:「だって、スコットがここにいるんだもん」って完全にファンになっているわけです。

—— 実は洋楽のディレクターとかみんな『ミュージック・ライフ』編集部へ行くのが楽しかったんですよ。やはり熱烈に「好きだ!」と言ってくれる人がいると、レコード会社側の人間もやっぱり一緒に盛り上がれるんですよね。

星加:編集部は若いディレクターさんたちのたまり場みたいになっていましたからね。みなさん自分のレーベルのアーティストを何とか売りたいという熱意がもの凄くありましたものね。ミッシェル・ポルナレフの高久さん、グラムロック、T−レックスの石坂さん、カーペンターズの寒梅さん、とにかく皆さん個性的でした。

—— 星加さんはシンコーミュージックを何年にお辞めになったんですか?

星加:75年ですね。ちょうどクイーンが来日のときで、そこで東郷さんや水上さんにバトンタッチしました。私はクイーンの取材、1度は行っていますけどね。ウッドストックを境に音楽業界がガバッと変わりましたよね。それまでグループとかアイドルという感じだったものが、ギターが主役になってきたんですよね。私が一番びっくりしたのはジミ・ヘンドリックスを表紙にするという案が出たときで、「え? 彼を表紙にするの?! とても私の手に負える人じゃない!」って思ったんですよね(笑)。実は私はその3年ぐらい前にロンドンでジミには会っているんです。会ったときの印象はとても良かったです。

—— 70年代はプログレッシブ・ロックやハードロックとか、色々出て来て幅が広がりましたよね。

星加:そうすると、私のようにアイドルを捜して追いかけてきたような人より、東郷さんや水上さんたちの方が適任なんです(笑)。やはり、こういうファン・マガジンはビジュアルを無視できないと思っていたんですが、これからは彼らに任せようと。でも、フランク・ザッパのときはさすがに「前衛的過ぎじゃないの?」と言いました(笑)。

—— やはり『ミュージック・ライフ』はビジュアルのイメージが強いですよね。

星加:そこは非常に意識していました。私の時代と違って、70年代は海外へ簡単に行けるようになりましたから、編集部のみんなにはあちこちに飛んでもらって、取材してきてもらいました。それで、できるだけ写真を見せる。それが、アイドルだろうとなかろうと「こういう人たちなんですよ」というのが写真だと一目瞭然ですからね。それで、音楽的な難しい考察は「ミュージックマガジン」に任せましょうと(笑)。

—— (笑)。それにしても『ミュージック・ライフ』のビートルズの写真は、どれも良い表情をしていますよね。

星加:それはカメラマンの長谷部さんの力ですよ。長谷部さんはもともと映画のスティールなんかを撮っていた方で、草野さんとたまたま知り合いで、ビートルズをきっかけに『ミュージック・ライフ』の仕事をしてもらうようになったんです。それ以降の『ミュージック・ライフ』の写真は全部長谷部さん。今も現役でやっていますよ。

—— 長谷部さんは貴重な写真をたくさん撮影されていますね。

星加:表紙で使ったビートルズの写真は大きなカメラで撮っていましたが、そのカメラでは3枚しか撮らなかったんです。あとは小さなカメラ。それで、目線がみんなカメラの方を向いていて、しかも何の気負いもない表情をしているんですよね。本当にリラックスした、こんな良い表情をしたビートルズの写真って、他に私は見たことがないです。

—— 本当に良い表情をしていますよね。

星加:それを引き出したのは間違いなく長谷部さんです。長谷部さんは写真を撮るときに人を柔らかくさせるんですよね。私は色々な意味で、長谷部さんのような周りのスタッフに恵まれていました。

—— 星加さんに、未だにビートルズのことでオファーがくるというのは、本当にすごいことですよね。今も「ビートルズの音楽はすごい!」と若い人に聴き継がれていることの証明なわけですから。

星加:若い人たちには「一流のものを聴きなさい」と常に言っています。ビートルズみたいな「これが一流なんだよ」というものを聴けば、あなたたちの中からもっとすごいものが生まれるかもしれないよ、と。逆にレベルの低いものばかり聴いていたら、そういうものは生まれない、と必ず言うんです。すごく偉そうに聞こえるかもしれませんが、私は本当にそう思っていますし、もう、この歳だから偉そうに言っても良いかなと開き直っています(笑)。


 
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