特集

  • ある炎があって、それが燃え移ると全てが変わってしまう。薙ぎ払い、輝き、感動が広がっていく。ひとたび炎の勢いが失せると、世界は停滞の闇に包まれる。しかし、その炎が失われることはない。人類共通ともいえる精神の燭台に燃え続けていて、松明をかざして聖火を取り、世界に再び光を与える者が現れる。
  • エムオン・エンタテインメント(JAMBORiii STATION)とMusicman-NETによる公開トークセッション「音楽どうする会議」第一回が11月1日 東京・渋谷ヒカリエ 8/COURTで行われた。
  • 歯医者で手術を受けてきたゼルニック(43)は、今日ばかりは5大メジャーの一角BMGを率いる責務から開放されて、休むつもりだった。彼は、フィットネスで鍛え上げた体躯を自宅のソファに横たえ、眠ろうとした。だが、そうもいかないようだった。しつこくブラックベリーが振動した。残った麻酔で朦朧とする中、電話に出ると、ドイツにある親会社ベテルスマンの幹部だった。
  • 音楽業界はもちろん、IT、Web業界をはじめ様々な方面から大きな反響を呼んできた榎本氏の連載「未来は音楽が連れてくる」。その連載もあと数回を残すところとなった。あとがきに代えて、ネット、メディアに広い知見を持つ佐々木俊尚氏と本連載について語っていただいた。
  • 音楽業界はもちろん、IT、Web業界をはじめ様々な方面から大きな反響を呼んできた榎本氏の連載「未来は音楽が連れてくる」。その連載もあと数回を残すところとなった。あとがきに代えて、ネット、メディアに広い知見を持つ佐々木俊尚氏と本連載について語っていただいた。
  • スティーヴン・フォスターが22歳の時にリリースしたデビュー曲はアメリカ史上空前のヒットとなった。ドットコム・バブルから遡ること150年前。同じ西海岸に起きたゴールドラッシュは、東部のアメリカ人だけでなく、ヨーロッパからも人々を引き寄せた。フォスターの曲はフォーティー・ナイナーズ世代のアンセムとなり、アメリカ中で彼の曲が演奏されるようになった。
  • パロアルトからシリコンバレーを抜け、太平洋沿いのハイウェイを南下すると、その森は現れる。2012年の初夏。レッドウッドの生い茂る森林、ビッグサーで開かれた結婚式は、中世のファンタジーが現出したようだった。ショーン・パーカーとアレックスのふたりは、指輪物語のアラゴルンとアルウェンを彷彿させた。
  • 「騙されるな!」1982年、アテネのリゾートホテル。ビルボード誌が主催する国際レコード産業会議でのことだ。Sonyの大賀典雄が発議したCDの導入に、メジャーレーベルの重鎮たちは轟々たる批難を浴びせかけた。「我々から特許料をせしめたいんだろう」「レコード工場に投資した金をどぶに捨てろと言うのか」「レコードで十分やってけてるんだ。余計なことはするな」
  • 本書でMTVの世界展開を取り扱うべきか、かなり悩んだ。MTVブームの無かったこの国では、全く一般ウケしそうにないからだ。しかしクール・ジャパンの今後を考えるにあたって、少なからぬ示唆を与えてくれることを鑑み、掲載することにした。その理由は読み進んでいけば、おのずと感じ取っていただけるように思う。
  • これまで世界のレコード産業は、3度の黄金時代を経験している。20年代、60年代、そして90年代だ。1910年代にレコードプレーヤーが普及。その後、ソフトの時代が到来し、20年代に第一次黄金時代が到来した。だが20年代末、フリーメディアのラジオが普及する過程でレコード産業は壊滅状態となった(連載第36回)。
  • 1999年10月5日。サンフランシスコのAppleカンファレンス。前年にiMacで完全復活を遂げたジョブズは、熱狂に包まれ登壇した。スクリーンに映し出された巨大な林檎のロゴを背にして、彼は語り始めた。「盛田昭夫氏は、私とAppleのスタッフに多大なる影響を与えました。先の日曜日、彼が世を去りました」『Think different』のフレーズと共に、Sonyの共同創業者の写真が、林檎のロゴに変わってスクリーンに映し出された。
  • 「アラン・フリード。僕の名前だ。僕の半生は、ロックンロールの歴史でもあるんだ」独白に続いて、男は壇上に立ち、エムシーを始める。オーディエンスは熱くなり、伝説のロックンローラー、ビル・ヘイリーの演奏が始まる。1957年のボストン。男の主催するこのライブショーは、ロックンロールにとっても、男の人生にとっても頂点だったかもしれない。ロックンロールのブームは、この男から始まり、ブームはピークを迎えていたからだ。
  • レコード産業は、フリーメディアのラジオに勝てず、かつて売上が25分の1に落ちたことがある、と書いた。1930年初頭のアメリカのことである。1930年代の不況はエンタメの明暗を分けた。ラジオと映画は力強く、30年代に黄金時代を築いていった。一方、レコード産業の売上は30年代のうちに、恐慌前の水準へ戻すことはなかった。
  • 昨年12月に公開された音楽プロデューサー佐久間正英氏と榎本幹朗氏のスペシャル対談の第二弾が行われた。今回は前回の続編となる内容で、国内の音楽業界の問題点や、海外の音楽市場と海外での日本人アーティストの評価、さらに日本に適した新たなデジタルメディアの可能性について語っていただいた。
  • 昨年12月に公開された音楽プロデューサー佐久間正英氏と榎本幹朗氏のスペシャル対談の第二弾が行われた。今回は前回の続編となる内容で、国内の音楽業界の問題点や、海外の音楽市場と海外での日本人アーティストの評価、さらに日本に適した新たなデジタルメディアの可能性について語っていただいた。
  • 1962年。DNAの分子構造を発見したジェームズ・ワトソン博士は、ふたりの研究仲間とノーベル生物学・医学賞を受賞した。それからちょうど半世紀後、博士はロングアイランドのタウンホールで、Pandoraの創業者ウェスターグレンと共にいた。
  • Break of Reality(ブレイク・オブ・リアリティ)。NYで活動する3チェロ+1パーカッションのインスト・バンドの名だ。合衆国連邦議会に提出した証言集で、彼らはインディーズを代表してPandora陣営を支持した。理由は簡単だ。Pandoraがきっかけで売れるようになったからだ。
  • これまで説明してきた米国著作権法の問題は、ある意味、テクニカルな話題かもしれない。だが今から述べる課題は、日本でどういう仕組みを創るべきかを考える上で、ぜひ考慮に入れておきたい話だ。
  • 「Pandoraは、世界でいちばん民主主義的なラジオです」民主主義の殿堂、アメリカ連邦議会の公聴会でこう切り出したのはPandoraのCEO、ジョー・ケネ ディーだった。インターネット公平法案をめぐる公聴会で、法案支持者として証言に立ったのだ。
  • 全米を巻き込んだ怒濤のSaveNetRadio(セーブネットラジオ ネットラジオを救え)運動から5年。Pandoraの名は再び、メディアを騒がせようとしていた。2012年11月。Pandoraに対して、メジャー・アーティストたちが署名を連ねた公開質問状が、ビルボード誌に掲載された。