SPECIAL REPORT & INTERVIEW

荒川祐二氏(株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役)
竹中直純氏(OTOTOY代表)
虎岩正樹氏(残響塾 塾長)
リスナー、ミュージシャン、制作者、立場を超えて自由に話をする場をつくる
オープンカンファレンス「YOAKE」座談会 第2弾


参加者:
荒川祐二氏(株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役)
竹中直純氏(OTOTOY代表)
虎岩正樹氏(残響塾 塾長)
司会:
永田純氏(「YOAKE」実行委員会、一般社団法人ミュージック・クリエイターズ・エージェント代表理事)

パネルディスカッション」+「ライブ」という新しい形で昨年11月に初開催され、好評を博したオープンカンファレンス「YOAKE」のVol.2が、5月28日に東京・渋谷クラブクアトロで開催される。
 第2回目となる今回は、Vol.1で大激論を交わした谷口元氏、荒川祐二氏、佐藤秀峰氏、ドミニク・チェン氏、虎岩正樹氏が再び登壇する「リスナーの自由、ミュージシャンの自由 Part2」、近年大きく変化しているストリーミングやフリーミアム事情も踏まえ「音楽の聴き方」はどのように変化するのかを対談形式で伝える「CD以降の音楽シーン」を、角張渉氏、Tomad氏、嶺脇育夫氏、飯田仁一郎氏によるパネルディスカッションとして実施。さらに南壽あさ子と高野寛のライブなど充実の内容となっている。
 同イベントの開催に合わせ、「YOAKE」座談会の第2弾を実施。当日ディスカッションに登壇する荒川祐二氏(株式会社ジャパン・ライツ・クリアランス 代表取締役)、虎岩正樹氏(残響塾 塾長)、さらに竹中直純氏(OTOTOY代表)、永田純氏(「YOAKE」実行委員会、一般社団法人ミュージック・クリエイターズ・エージェント代表理事)の4者に現在の音楽シーンについて語っていただいた。


矢印(赤) YOAKE 〜 Music Scene 2013〜 Official Site http://www.yoake2013.jp/
矢印(赤)イベントレポート http://www.musicman-net.com/artist/21877.html

著作権を巡る様々な動き



司会:本日はみなさんお忙しい中、ありがとうございます。昨年の11月に第1回を開催した「音楽シーンの現在を感じ、未来を考えるトーク&ライブ『YOAKE』」ですが、今回、5月28日にVOL.2 を開催することになりました。規模はいろいろあっても、ともかく続けようと。特にこの1〜2年は非常に大変な時期だからこそ続けるということです。今日は関わってくださるみなさんにお集りいただき、日々のお仕事の中で現在の音楽シーンをどう見ていらっしゃるか、自由に語っていただく座談会です。

今、音楽シーンでは非常に様々なことが起きている訳ですが、いろんな立場を超えてみんなで話をする場をつくるのがまず大事だし、それを公開してリスナーにもミュージシャン、作っていく側にもきちんと共有していく場をつくろうというのが「YOAKE」の一番の目的でもあるので、三者三様の立場のみなさんをお呼びして、ということですね。

虎岩さんに関しては音楽の愛は非常に強く、アメリカやヨーロッパでの経験がありながら、日本の音楽業界には全く関与していない(笑)。だけど素晴らしい視点をお持ちです。僕は虎岩さんみたいな人がもっともっと口を開いていくべきだと思っています。かたや荒川さんは業界のど真ん中にいながら一番先を見据えていて、具体的なビジョンもお持ちです。もちろん、ちゃんと音楽好きでいらっしゃる。竹中さんに関しては、ドカンとど真ん中にはいらっしゃいませんけど、やはり非常に音楽愛があり、独自のサイトを続けられている。そういう三者三様の方に今日は来ていただいています。


竹中:そういう説明を聞くと、2000年にやってたMAA(註:メディア・アーティスト・アソシエーション)が非常に先見の明があったなと思います。

司会:MAAのこと、説明していただいてもいいですか?

竹中:仲介業務法が変わる前だったので、その仲介業務法が「民間の参入を許す」ように変わるときに、どうなるんだってことを考えたり、実際に変えてしまおうという組織でした。通産省と文化庁両方に働きかけて。こういう風に法案を変えたらいいんじゃないかということを、アーティストから提案する。だからみんなで勉強して、理想的な著作権法はどういうものなのかということを、一通り語れるようになりましょうっていう勉強会だったんですよ。その当時僕は事務局手伝いと、まだ普及していなかったmp3とか配信ってどういうこと? とか技術方面のことをやっていました。それが13年前です。だから、この「YOAKE」は、13年かかって夜中から夜明けになった感じなんですかね。MAAの最大の目的は音楽著作権の管理団体の民間参入を実現させるということだったんですけど、それを達したらすごく綺麗に解散した。

司会:なるほど。それで仲介業務法がなくなったということですよね。

荒川:もうちょっと補足すると、MAAのきっかけは坂本龍一さんです。朝日新聞の「論壇」という投稿欄があって、98年の3月に教授がそこに向けて書いた原稿がきっかけになったんですよね。ちなみに今も私のデスクの横に、その当時の新聞が切り抜いて飾ってあります。

竹中:座右の銘ですね。

荒川:その記事の中には「JASRACっていうのは村に一軒だけの定食しかないレストラン。僕はもっとアラカルトも食べたい。一元管理の下では、新しい利用形態への対応や使用料の改訂が十分に行われず、利用者からのサービス付加の要求に柔軟に対応できていない。何故著作権管理においては全く自由に競争や工夫が行われていないんだろう」と書かれている。それが98年の11月だったんですよね。99年になってMAA勉強会。そして同じ頃にMP3が大きく全面に出てきた。

虎岩:メタリカが一般ユーザーを訴えたのが、確か99年だった気がします。

荒川:そういう中で活動してきて、2000年に法律が改正されて、私の会社のJRC(ジャパン・ライツ・クリアランス)が立ち上げることになる。MAAの傍ら、音楽制作プロダクション、マネージメントオフィスの社長十数人と集まって毎月勉強会をやっていた中で、デジタルの領域においては著作権のことであったり、プロデューサーという立場やマネジメントとしてもっと自由にいろんな発想が生かせる管理も必要だなという話になって、「よし、じゃあやるか」と作られた会社です。ですから教授の投稿、MAAという流れの中に僕はずっといるんだな、と。

司会:MAAから13年たって、普通のリスナーとかミュージシャンレベルでは、なんとなく分からないままにJASRACを悪者にして話を終わらせているところからなかなか広がっていないのが現状だと思います。そういう気配を僕は感じていますが、虎岩さんはそのへんをどう見ていますか。

虎岩:なんで「YOAKE」が13年後に必要なのかは、僕もとても興味を持っています。当時僕はアメリカにいたんですけど、アメリカでリアルタイムで経験してたことって、ものを発してる人間とそれを受け取りたいと思っている人間たちが直接つながれるようになったということ。だから、流通業が変わらなきゃいけないということだったんです。結局、今までの流通ではものが売れない。本当に変わっていかないと潰れてしまうから、本当の競争が起こったんです。その時に、既存の音楽の教育システムでは当然ミュージシャンは食っていけない、そこの部分を理解していかないと生きていけない。そう考えて、「インディペンデント・アーティスト・プログラム」というのを、西海岸の音楽大学(MI)で立ち上げたんです。それまでのように楽器が弾ければよかったとか、曲がかければよかったではなくて、自分でWEBサイトも作れなきゃいけないし、自分で全てを管理するっていうことがコンセプトとして当たり前になるというのが僕の意見だった。当時、学校には大反対されましたけど(笑)。

司会:それは2000年ごろですか?

虎岩:そうです。僕は、2006年まで向こうで学部長をやってたんですけど。「インディペンデント・アーティスト・プログラム」は今、どこの学校でも全米で一番伸びているプログラムです。僕自身もミュージシャンでもある訳ですけど、「著作権って本当に必要なんですか?」みたいなところからスタートしたいんですよ。表面的なやり方をどう変えようが、根本的なコンセプトは、ミュージシャンの創作物をお預かりして管理するところで飯を食いましょうっていうことじゃないですか。面白いのは、南米とかアフリカとか、もともと著作権がなかった国が始めている新しいエンタテインメント・ビジネスって、著作権っていうコンセプトすら出てこないんですよ。

竹中:ブラジルのバイレファンキとかですよね。ガンガン配っちゃって、みたいな。

虎岩:そうです。だからブラジルのプロデューサーっていうのは、しょっぱなから盗んでいるというのもありますよ。例えばアメリカで売れてる音楽を、盗んできてリミックスをする。それで、露店で100曲100円とかで売ってるMP3として配っちゃう。タダ同然で大量に売って、レイヴパーティを主宰するとわっと人が集まってくる。そういうビジネスモデルで、みんなWIN WINなんですよね。お客さんも楽しいし、露店主も儲かる。そういう仕組みが、サラの状態では当たり前になっているんです。アメリカがシステムを変えざるを得なかったのは、それに気づいたグレーゾーンの時期……メタリカなんかが訴えた時期です。オーディエンス側とプレイヤーが勝手ににつながりだして、「この法律じゃもうやっていけない」という切実感があって、変わっていったわけです。