Musicman-NET SPECIAL REPORT 伊藤八十八氏文字

4.CBS・ソニーのプレッシャー

--CBS・ソニーに移られてからのことをお伺いしたいのですが、CBS・ソニーの最初の部署は洋楽だったんですか?

伊藤:そうです。

--それもジャズ系ですか?

伊藤:そのときはジャズ系ですね。

--そのときは日本の制作ものは結構あったんですか?

伊藤:いや、ほとんどなかったです。笠井紀美子くらいで、僕が入ってから本格的にやりだしました。その最初がザ・スクェアだったわけです。

伊藤八十八氏写真 --T-スクェアとはソニーに移られる前に接触があったんですか?

伊藤:ありました。高田馬場駅前にあるBIGBOXの上にスタジオというか、養成講座みたいな学校をビクターが開いていて、僕はそこに週一回くらいディレクター・サイドの先生として行っていました。そのBIG BOXにステージがあって、そこにザ・スクェアが出て、僕に売り込みがあったんです。そのときは、さほど興味を持たなかったんですが、ドラムがマイケル河合になってから、またデモ・テープを持ってきて、それでもう一度BIG BOXのステージでライブを聴いたんです。それで「いいな」と思って、レコードを作ろうと申し入れたら、ビクターのビリー吉田さんのところでデビューする予定があるというので、一旦は諦めたんです。
 その後、CBS・ソニーに移る直前に、BIG BOX内にあった養成講座の責任者だった富田さんという人と電車の中でバッタリ会って、「そういえば、あのグループどうしました?」と訊いたら、「どうやらビクターではやらないみたいだよ」と。それでビクターに話をして、メンバーたちには「ビクターでデビューしないんだったら、僕はCBS・ソニーに移るから一緒にやらないか?」と持ちかけたんです。結局、彼らのアルバムが僕のCBS・ソニー最初の制作になりました。


--ザ・スクェアは日本のフュージョン・バンドのハシリですよね。

伊藤:そうですね。クロスオーバーからフュージョンと言われるようになった時代ですね。出会ったとき彼らはまだ学生でした。非常にさわやかな感じがして、好印象を持ったんですよね。

--その後、邦楽部門に移られていますが、それまでと勝手が違う部分がありましたか?

伊藤:それはありましたね。当時CBS・ソニーの邦楽というのは、凄く怖かったんですよ。

--何が怖かったんですか?

伊藤:CBS・ソニーという会社は傍から見るととても格好いいんですが、中に入ってみると凄くプレッシャーがありました。僕が洋楽部門にいたときもプレッシャーはありましたが、邦楽セクションに移ったらその比じゃないんです。例えば、酒井政利さん、若松宗雄さん、中曽根皓さん、須藤 晃さんと錚々たる方々がたくさんいるわけですよ。

--名物ディレクターがたくさんいましたものね。

伊藤:そうですね。そういった方々の中にいて、無言のプレッシャーがあるわけです(笑)。だから、他から入ってきても、そこに居たたまれなくなっちゃうといいますか、シュンとしちゃって、大抵はプレッシャーに負けてしまうらしいんですね。
 また、洋楽から邦楽に移ると、そのギャップがより生々しいんですよ(笑)。アーティストは身近にいるし、プロダクションも出入りしているし、色々な人がいるわけじゃないですか? そういう中へ洋楽のジャズ系から入っていったので、凄く違和感がありました。周囲の反応も「なぜ、伊藤がいるの?」みたいな感じでしたしね。
 そんな中でアイドルもやりましたし、何年かすると管理職にもなりますから、年末のNHK紅白歌合戦にも立ち会いました。ある時、近藤真彦のツアーについていったんですが、僕イコールジャズ、と思っている人たちは「なんでここにいるの?」みたいな不思議な顔をしているんですよ (笑)。でも、僕はアイドルの制作に携わったおかげで、ヴォーカル・フィックスという技が凄く上手くなりました。


--それはどのような技なんですか?

伊藤:それはマル秘です!

--レコード会社にはディレクターやプロデューサーと呼ばれる人はたくさんいますが、スタジオ・ワークやオーディオ系の知識とテクニックを持ち合わせている人はあまりいないように思います。そこはどのように勉強されたんですか?

伊藤:まず、音に対して興味を持つことです。僕は新しい器材が入ってきたら、エンジニアに質問したり、エンジニアのしていることも見続けてきました。例えば、ミキシングするときも、僕は必ず、立ち会うことにしています。今の人たちは現場に立ちあわなくて、出来上がってから聴きに来るじゃないですか? 僕が若い頃はエンジニアの後ろで、何も言わずにずっと見ていました。ミックスするときは、最初に大まかなイメージを伝えて、その後エンジニアが作り上げるまでは基本的に何も言いません。言わないけれど、その場にいて、自分の耳で確認します。どんなことでもイージーに考えたら駄目です。出来上がったところに行って、音を聴いて、良い悪いを判断するのではなくて、ちゃんとプロセスを見ないと勉強はできないと思います。

--それはデジタルでもアナログでも同じですか?

伊藤:そう思います。やっていることは同じですから、基本的に変わりません。まず、興味を持つこと。そして、努力をし、自分で考えて、オリジナリティー溢れるものを作ることが大切です。作るということは自分の独創性も必要ですが、最初は模倣で良いんです。模倣をし、勉強して、色々なところから盗むわけです。そして、それらを自分で作り上げれば、それはオリジナルです。最初から引き出しがないところに何かを作ろうと思っても、簡単にはいきません。そのためには色々な人を見たり、聴いたりして、良いところを盗る。それを自分の頭の中でコンポジションして、自分のスタイルを作っていけば良いんです。



5.21世紀のイースト・ウィンドを目指して〜Eighty-Eight'sレコード設立

--現在、「Eighty-Eight'sレコード」のプロデューサーとしてご活躍されていますが、このレーベルはどのような経緯で設立されたんですか?

伊藤:僕は'99年に録音技術本部へ移ってきて、ソニー・ミュージックスタジオを立ち上げて、ある程度落ち着いたところで、もう一度制作をやりたいと思っていました。そんなときにヴィレッジ・レコード(現 ヴィレッジ・ミュージック)社長の青木幹夫さんが「21世紀のイースト・ウィンドを作りませんか?」と誘ってくれたんです(笑)。彼はずっとT-スクェアのマネージャーをしていた人なんですが、70年代のイースト・ウィンドのファンだったんです。

伊藤八十八氏写真 --タイミングがいい話ですね!

伊藤:おっしゃるとおりです(笑)。ただ、その当時の僕のポジションが録音技術部長だったので、ちょっとやっかいだったんです。というのも、ヴィレッジ・ミュージックというのはソニー・ミュージックアーティスト(SMA)の子会社ですから、ソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)からすると孫会社になる。つまり、録音部とプロデューサー兼務という人事発令ができないんです(笑)。
 それで色々と考えて、現在SME代表取締役CEOの榎本(和友)さんや、SMA前社長の竹内(成和)さんに相談をしたんです。そうしたら「混沌とした時代だから、思い切ってやってみたらいいんじゃないか?」と賛同してくれました(笑)。それで、青木さんがSMEに要望書を出してくれて、レーベルをやる上で僕をプロデューサーとして雇いたいと。プロデューサー印税をヴィレッジ・レコードがSMEに対してプロデュース印税を払い、そのかわりに僕が派遣でプロデュース業務をするという、新しい形で業務提携したわけです。


--SMEを定年退職された後、ヴィレッジ・ミュージックとの契約はどうなるんですか?

伊藤:会社と会社の契約は切れますが、今度はヴィレッジ・レコードに直接雇われる立場になるので、プロデュースは続けられます。

--「Eighty-Eight'sレコード」の特色は何ですか?

伊藤:特徴としてはオーディオ・ファイル的な要素が高いことが挙げられます。スタート当初はCDとSACDとアナログの3種類出していたんですが、現在はCDとSACDのハイブリッドとアナログLPを出しています。
 ちなみにCDとSACDはDSD(Direct Stream Digital)という1ビットデジタルで録り、LPはアナログマスター・テープを使っています。また、カッティング・エンジニアも違いますし、マスタリング・エンジニアも違いますから、CD/SACDとLPでは音が全く違います。


--それは両方聴き比べをしたくなりますね。

伊藤:そうですね。曲順も違いますし、場合によってはLPには入っていて、CDに入っていない曲とか、そういうのもあります。それから、CDとLPでジャケットも変えたときもあります。

--それは楽しいですね!

伊藤:作っている方はとても楽しいですよ(笑)。扱っているジャンルがジャズなので、マーケット的には広いレンジを持っているわけではありません。ですから、一つの音源をできるだけ色々な形に変えて、ユーザーが持っているメディアに合わせた形で聴いてもらいたいと思っています。もちろんマジョリティーはCDだと思いますが、SACDという新しいフォーマットでも聴いて頂けますし、押入にアナログ・プレイヤーをしまっている人たちにも、もう一度アナログLPの良さを味わって頂きたいと思っています。また、イースト・ウィンド同様に印象に残るジャケット、心に残るジャケット、あるいは部屋に置いても、一つのディスプレイになるようなジャケット作りを心掛けています。
 そして一番大きなポリシーは、これはイースト・ウインドと共通する部分でもありますが、日本人の企画によるジャズ・レコードをワールドワイドに展開していきたいというマーケティングが根本にあります。イースト・ウィンドでも70年代当時、そういったことを大上段に構えて、ある程度成功しましたが、Eighty-Eight'sレコードもレーベル設立から2年目で海外発売ができました。


--先日のパーティーにビクターの小鉄徹さんもいらっしゃっていましたが、カッティングは小鉄さんがされているんですか?

伊藤:はい。小鉄さんにお願いしています。小鉄さんとは付き合いが長くて、実は小鉄さんの初仕事が僕の仕事だったんです(笑)。彼がビクターの機器の他部署からカッティング・ルームに配属されたときに、僕は日本フォノグラムにいて、ニューオリンズ・ラスカルズという大阪のアマチュア・バンドのアルバムを作ったんです。
 僕は学生時代にニューオリンズ・ジャズをやっていましたから、ニューオリンズ・ラスカルズはまさに得意分野だったわけです。ただ、ドラムが1850年代のラディックの大太鼓を使っていて、もの凄く低音が出るんです。低音のカッティングは技術的にとても難しいんですが、小鉄さんの初仕事にそのカッティングを与えちゃって・・今でも憶えているんですが、5回やり直してもらったんですよ(笑)。それが最初の出会いです。以来、ずっとお願いしています。ダイレクト・カッティングもビクター・スタジオで小鉄さんとやりました。その後、CBS・ソニーに移って、しばらくブランクがありましたが、Eighty-Eight'sレコードでまた一緒にやれて、嬉しいですね。




6.どんな仕事もポジティブに取り組もう!

--今後のご予定などお聞かせ下さい。

伊藤:今後もEighty-Eight'sレコードのプロデュースを引き続きやります。その他に、イースト・ウィンドをもう一回やらないかという話もあるので、ニュー・イースト・ウィンドのようなものをやっていくかもしれませんし、インディペンデントでも作品を作っていこうと思っています。色々なことを考えていきたいですね。

--プロデューサーは早い段階でフリーになる方が多いと思うのですが、伊藤さんは会社の中できっちり成果を出しつつ、定年まで勤め上げられて、活力を十分残しつつ、フリーになられたわけで、とても珍しいパターンですよね。

伊藤:定年退職まで制作に携わる人が少ないかもしれませんね。みなさん途中で管理職になられて、職種が変わったり、現場から遠ざかる方もいます。そういった意味で、社員でありながら、最後まで制作に携われたというのは僕にとっては非常にラッキーでしたし、会社に感謝しています。

伊藤八十八氏写真 --普通は多かれ少なかれ会社に対して不満な部分があって、それで「辞めてやる!」と飛び出す方もいらっしゃいますものね。

伊藤:今でこそ、このレコード・プロデューサーという仕事に、多少の自信や誇りを感じていますが、若い頃は自信がないわけです。本当にこの仕事に自分が向いているのかどうかわからない。日本フォノグラムからCBS・ソニーに移るときもプレッシャーがありましたし、会社の中でも洋楽部門から邦楽へ移ったり、その後アジア・マーケティングにも何年か携わりましたが、その度に「自分は向いてないのかな?」と思ったこともありました。ただ、どんな時でも、組織の中で与えられた仕事は一生懸命やろうという気持ちは常に持っていました。そうすることが、会社のためというよりも自分のためになったりするんです。
 つまり、何事もポジティブに取り組まなくてはいけないんですね。僕はできるだけ「NO」とは言わないようにしているんです。言われたことはできる限りやる。何でもその精神です。このビジネスはサービス精神みたいなものが旺盛じゃないと次に繋がっていかないんです。労を惜しまないことが大切だと思います。苦労したことが何年後かにビジネスとして実ることもあるので、何事もベストを尽くし、一生懸命、やった方がいいと僕は思っています。


--今日はお忙しい中ありがとうございました。今後のご活躍をお祈りしております。






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