Musicman-NET SPECIAL REPORT 伊藤八十八氏

2.音楽関係に勤めようとは思っていなかった〜日本フォノグラム時代

伊藤八十八氏写真 --大学卒業後は音楽関係に進もうと思われていたんですか?

伊藤:実は音楽関係に勤めようとは思っていませんでした。大学では美術専攻だったので、例えば、テレビ局の美術部とか、印刷会社とか、そういうところへ就職を希望していたんです。
 そうしたら、ビクターを二股かけて受けようとしていた先輩が、片方の機器の方に内定をもらったので、もう一方のソフト部門のフィリップス・レコード事業部を受ける必要が無くなってしまった。で、代わりにお前行って来いと言うんですよ。「アルバイトも募集しているし、行って来い」と(笑)。


--つまり代わりに受けられたわけですね。

伊藤:そうです。ところが、向こうはてっきり僕が入りたいものだと思いこんで面接をするわけです。しかも、「君は音楽が好きか?」と訊かれて、「はい、好きです」みたいな、通り一辺倒な受け答えをするわけじゃないですか?(笑) それで家に帰って2、3日したら「明日から出社せよ」という電報が来たので、会社に行ったんです(笑)。

--本当に行こうと思っていた方の会社はどうしたんですか?

伊藤:何社か受けたんですが、落ちたんです。それでフィリップス・レコード事業部にアルバイトで勤め始めました。そうしたら半年後くらいにフィリップス・レコード事業部が日本フォノグラムという会社になって独立することになり、そのときに「ちゃんと試験を受けて入らないか?」という話があったんです。

伊藤八十八氏写真 --そして、社員として入られた日本フォノグラムではどのような感じだったのですか?

伊藤:今から考えるとのんびりとしていましたし、いい時代だったような気がしますね。今は会議でOKをもらわなければ、何事も進められないところもあるんですが、結構みんな好き勝手にやっていた気がします(笑)。だから、僕は日本フォノグラムという中堅クラスの会社で色々と勉強させてもらったという感じですね。
 これはアドバイスですが、この業界に入る人は最初からメジャーに行かない方が仕事は覚えます。メジャーに入れば安定感はあるかもしれませんが、色々なことを覚えるには不都合ですね。


--日本フォノグラム時代は色々な仕事に携われたんですか?

伊藤:日本フォノグラム時代は洋楽にいながら制作をやっていましたし、契約書も自分で作ったりしていました。営業こそやりませんでしたが、宣伝までは一貫して仕事ができました。

--日本フォノグラム時代で印象深い出来事はなんですか?

伊藤:やはり、「イースト・ウィンド」レーベルですね。'75年にイースト・ウィンドというレーベルを鯉沼ミュージックと一緒に作ったんですが、あるときに7枚分くらいの録音をニューヨークでしようと大雑把にお金を持たせてもらって、ニューヨークへ行ったんですが、当初の予定よりも録音したものが4枚くらい増えてしまったんですよ(笑)。

--凄いですね…何故4枚も増えてしまったんですか?

伊藤:向こうに行くとホテルに売り込みがあるわけです。例えば、ジュニア・マンスから「聴いてくれ」と電話がかかってきたり…。

--現地で増えてしまったわけですね。

伊藤:そうです。だから1ヶ月に11枚を伊藤潔さんと僕と2人で作りました。

--そのときは、どんな毎日だったんですか?

伊藤:まず、午前中にトラベラーズ・チェックを換金するという作業があるんですが、日本の銀行みたいにすぐに換えてくれないんです。70年代にアメリカの銀行で、しかも20代の日本人の若造が大金を換金するということ自体、大変なことだったんです(笑)。

--換金するのにどのくらい時間がかかったんですか?

伊藤:1〜2時間かかったと思います。トラベラーズ・チェックを持っていくと、「これをどこで発行してもらった?」と訊かれるわけです。当時フィリップスはシカゴに本社があったので、シカゴでトラベラーズ・チェックを切ってもらって、それを持ってニューヨークに入ったんですが、なかなか信用してもらえないんですね。わざわざ銀行がシカゴまで問い合わせるんです。その間、ずっと待ってなくてはいけない。こっちとしては日本の銀行みたいに窓口に行けばすぐに換金してもらえると思っているのに、別室に連れて行かれて、ずっと待たされるわけです。
 それで、やっと換金できたら、それを持ってヴァンガード・スタジオへ行って、午後のセッションが始まる前にギャラを半分キャッシュでミュージシャンたちに渡して、セッションを3時間やり、終わったらもう半分渡すと。そして夜にはまた別のセッションで3時間。また次の日に3時間のセッションを二回やって、2枚作るとか、そんな感じでした。だから、睡眠時間は毎日2〜3時間。


--凄いですね…。

伊藤:また次の日に同じ銀行に行ったら、今度は換金を拒否されちゃったんですよ。もう顔馴染みだからスムーズに行くかと思ったら、とんでもない。

--それは何故ですか?

伊藤:その当時、アメリカの銀行にはそんなにキャッシュを置いてなかったんですね。だから勘弁してくれと。仕方ないので、アメリカン・エクスプレスの本社まで行って、そこで5,000ドルくらい換金したんですよ。そうしたら100ドル札が全然なくて、1ドルとか5ドル紙幣ばかりだったから、とんでもない量になってしまって、さすがに怖くなり、すぐにタクシーに乗りました(笑)。



3.常に感覚を新しくすること〜プロデューサーとしての努力

--イースト・ウインドで印象に残っている作品はなんですか?

伊藤:富樫雅彦の『スピリチュアル・ネイチャー』、『ザ・スリー』、ウィル&レインボーの『クリスタル・グリーン』、この3枚です。イースト・ウィンドが成功したきっかけというのが、富樫雅彦の『スピリチュアル・ネイチャー』なんです。これはスイング・ジャーナル誌主催のジャズ・ディスク大賞で金賞と日本ジャズ賞と録音賞の3つを獲りました。これがきっかけとなりイースト・ウィンドというのは成功の道を歩んだんです。
 実はそれまでレーベル運営が結構苦しかったんです。イースト・ウィンドはプーさん(菊地雅章)の『イースト・ウィンド』というアルバムからスタートしたんですが、セールス的にはそこそこしか行きませんでした。それが賞というものを獲ることによってレーベルの認知度も上がったため、売上にも跳ね返り、レーベル運営が順調になりました。
 また、ジョー・サンプル、レイ・ブラウン、シェリー・マンのピアノ・トリオで、『ザ・スリー』というアルバムをダイレクト・カッティングで作ったんですが、これがもの凄くヒットしました。ただ、OKテイクであるTake1の原盤がすぐ壊れてしまって、完売になってしまったので、Take2も発売したら、また売れたんですよ (笑)。そのあたりからジャズだけではなくてオーディオというものに対する関わりが出てきました。そういった意味では富樫雅彦の『スピリチュアル・ネイチャー』と『ザ・スリー』、あとスタッフの前身であるメンバーを起用したウィル&レインボーの『クリスタル・グリーン』、これが印象に残っていますね。


伊藤八十八氏写真 --ウィル&レインボーはなぜ印象深いんですか?

伊藤:当時、僕らは4ビート・ジャズやフリー・ジャズしかやっていなかったんですが、ウィル&レインボーで初めてフュージョンというか、クロスオーバー・ミュージックに出会ったんです。4ビート・ジャズやフリー・ジャズしかやっていない我々が、ああいった音楽に直面したときに最初は面食らうんですね。でも、そこを何とか理解しようとして聴いていくと、「なぜこの音楽がアメリカの若者にウケているのか?」ということがわかってきました。
 そのウィル&レインボーとの出会いがあったから、CBS・ソニーに移ったときに、最初のレコーディングをザ・スクェア(現 T-スクェア)でやろう思ったんです。そういった意味ではウィル&レインボーのアルバムも僕にとって、ターニング・ポイントだったと思います。


--ウィル&レインボーとの出会いがあったから、その後の展開があったと。

伊藤:そうですね。この前のパーティーで、僕が「エン・カウンターズ」と勝手に名前を付けたバンドがあったんですが、そのメンバーだった鳥山雄司や笹路正徳、T-スクェアの伊東たけしといった人たちに出会ったときに、最初僕は彼らの考えていることや、やっている音楽が実はよく分からなかったんです。
 そのときに僕がやったことは、例えばアメリカのTOP40や、新しいアルバムを聞き込んで、感覚的にトレーニングすることでした。そうすることで、次の機会にそのミュージシャンたちと話をしてみると、だんだん分かってくるんです。
 つまり、我々プロデューサーの感覚というのは、やはり年をとるんですね。だから常に新しい音楽を聴いて、勉強しないといけないんですよ。


--常にそういう努力をされていたんですか…。

伊藤:今もしています。感覚のギャップについていうと、若い頃は年に一回くらいの補正で済んだのが、年をとっていくと、半年…3ヶ月というように、そのサイクルが短くなってくるんです。

--時代もスピード・アップしていますし、ミュージシャンたちも絶えず先端を走っているわけですからね。

伊藤:そうです。だから、こっちも努力をして、新しいものを片っ端から聴いていくことによって、自分の感覚の古くなった部分を新しくしていくわけです。そういう努力をしないとプロデューサーとしては駄目だと思います。
 だから、今後出てくるプロデューサーの人には、自分の感性は信じても良いんだけども、やはり時代の流れというものはあるのだから、常に勉強しないと時代に遅れちゃうよと言いたいですね。自信だけでやっていると堅物になってしまい、その時点で、止まってしまいます。
 アマチュアだったらそれでもいいと思います。個人の趣味で、「俺の専門は○○だ!」と決めて、それ一本でやるとか、それはそれでいいんです。でも、プロデュースしようと思ったらロックでもジャズでも何でも同じですが、常に新しいものに接したり、そこに身を委ねておかないと対応できないと思いますね。



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