SPECIAL REPORT & INTERVIEW

プロデューサー 〜伊藤 八十八 氏スペシャル・インタビュー
伊藤八十八インタビューメイン 先日お送りした伊藤八十八氏"卒業"記念パーティー「真夏の夜のジャズ」のレポートに引き続き、プロデューサー 伊藤八十八氏のインタビューをお送りします。日本フォノグラムに入社以来、アルバム・プロデュース作品は国内外を合わせ約350点、洋楽編成時代に担当した作品は約3,000点を超えるという伊藤氏に、今までのキャリアを振り返って頂きつつ、今後の抱負を伺いました。
[2006.8.24 ソニー・ミュージックスタジオにて]
プロフィール
伊藤 八十八(いとう やそはち)

1946 年岐阜県生まれ。早稲田大学在学中、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに在籍、その頃からJAZZに傾倒する。大学卒業後、入社した日本フォノグラムにて洋楽ポピュラー編成部に8年間所属し、ポール・モーリア、ニュー・シーカーズ、スコット・ウォーカーなどのポピュラー・アーティストを担当。また、イースト・ウィンド・レーベルを設立し、ザ・グレート・ジャズ・トリオ、渡辺貞夫、日野晧正らのプロデュースを手掛ける他、ジョー・サンプルなどのアルバム「ザ・スリー」では、ダイレクト・カッティングを行うなど、オーディオ・ファイルな作品を多数世に送り出す。1978年にCBS/SONYへ入社。当初は洋楽企画制作部に所属し、マイルス・デイビス、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートといったJAZZ系のアーティスト、一方ではザ・スクエア、マリーン、笠井紀美子等、国内のJAZZ/FUSION系アーティストのプロデュースを担当する。その後、邦楽制作部門へ移り、久保田利伸、大滝詠一、松田聖子を始め数多くのJ-POPアーティスト達の制作部門を担当する。 95年に洋楽部門に復帰し、レガシー&ジャズとアジア・マーケティング部を担当。コンピレーション・アルバムMAXシリーズの企画に携わる一方、ケイコ・リー、TOKU等を育成。また、Puffyやラルク・アンシエルといった国内アーティストのアジア戦略を計画推進する。なお、99年より録音グループ本部長を兼務し、次世代のSACD(スーパー・オーディオCD)の開発やSMEの新スタジオ(乃木坂)設計、管理に携わる。現在に至るまでのアルバム・プロデュース作品は、国内外を合わせ約350点。洋楽編成時代に担当した作品は約 3,000点を超える。

1. 太鼓のリズムとブラスバンドに触発された少年時代

伊藤八十八インタビュー4 --先日のパーティーは感動しました。

伊藤:ありがとうございます。何よりもみなさんの演奏が素晴らしかったですよね。

--気持ちがこもっていたと思います。

伊藤:トップ・バッターのナニワ・エキスプレスが飛ばしましたからね。

--その後の坂田明さんの歌にも驚きました。

伊藤:坂田さんの『別れの一本杉』とマッチングするのは、ナニワ・エキスプレスしかないかなと(笑)。あの曲を最初に持ってくると会場が和むと思ったんですよ。

--あの曲の裏にも伊藤プロデューサーがいらっしゃったわけですね(笑)。

伊藤:そうです(笑)。前半でやったほうがみんなリラックスしていいんじゃないかなと。僕自身もとても楽しかったし、会場もリラックスして楽しんでくれたと思います。

--主人公が楽しんでいると、みんな楽しくなってきますからね。

伊藤:そうですね。お客さんが入ってくるときにバート・スターン撮影による『真夏の夜のジャズ』の映像を流していたんですが、あれは構成を担当してくれた高平(哲郎)君のアイディアです。また、最後に『SOMEONE TO WATCH OVER ME』をやったのも彼のアイディアで、ケイコ・リーがピアノでイントロを弾いてディスクに変わる。キーは合わせておいてね。そういった細かい演出はしました。

--待ち時間もあまりなかったですし、全然退屈しませんでした。転換もとてもスムーズでしたね。

伊藤:楽器の転換に手間取ることを想定して、朝11時から夜11時まで、そのためのバイトを8人雇いました。

--やはり細かいところに手がかっているんですね…。

伊藤:そうなんです(笑)。そこまで綿密にやらないとスムーズには行かないんですよ。なにしろ、ドラム・セットだけで3台あるわけですからね。

--そうだったんですか…てっきりハウスドラムを使っているのかと思っていました。

伊藤:ナニワ・エキスプレスの力(東原力哉)が自分のドラム・セットを置くという話から始まって、T-スクェアも自分たちのを持ってくる。それで、渡嘉敷(祐一)にも「ハウス・ドラムにする?」と訊いたら、「いや、自分のを持っていく」と。結局みんな持ってくることになってしまって…(笑)。

伊藤八十八インタビュー3 --DVDで発売したいくらいですね(笑)。

伊藤:DVDは3カメで撮ったんですよ。それがちょうどあがってきて、今観ているんですが、かなりいいですよ(笑)。

--ここからは伊藤さんの今までのキャリアについてお伺いしたいと思います。大学時代に「早稲田大学ニューオルリンズ・ジャズ・クラブ」に入る頃から伊藤さんの音楽人生が始まったと思うんですが、音楽が好きになるきっかけは何だったんですか?

伊藤:実家は岐阜の田舎町なんですが、「太鼓祭り」というお祭りがあって、年に3回くらい直径1m50cmの太鼓が7台くらい練り歩くんです。そこで自分も太鼓を叩いていたんですが、太鼓という楽器に凄く触発されたんですね。それから、町の創立30周年記念で自衛隊のブラス・バンドが来て、パレードしたときに、子供心に凄く感動しました。そういうことが音楽との最初の出会いのような気がします。それから、楽器に興味を持って、中学校の時にブラス・バンドに入りました。

--パートは何だったんですか?

伊藤:バリトンをやっていました。高校はブラス・バンドがない学校で、当時絵も好きだったので美術クラブに入っていたんですが、隣の教室でコーラス隊がとても気持ちよさそうに歌っていたのを聴いて、結局コーラス部に入りました。そして、大学に入学してたまたま勧誘にあったのが、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブの人たちだったんですよ。

--ニューオルリンズ・ジャズ・クラブを目指していたわけではなかった?

伊藤:そうです。学内の通りを歩いていたら、羽交い締めにされるような格好で勧誘にあっちゃって…(笑)。早稲田には「モダン・ジャズ研究会」という有名なクラブがあったんですが、そこはみんな演奏が凄く上手かったんです。一方、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブは、楽器をやったことがない人たちも半分くらい入ってくるんです。

伊藤八十八インタビュー5 --ジャズを聴くのが好きな人とかですか?

伊藤:いや、ジャズが好きということもなくて、楽器をやったこともないアマチュアのクラブだったんです。かたやモダン・ジャズ研究会というのは、凄く上手い人たちがたくさんいて、例えば、同級生で言えば、増尾好秋とか、タモリもいたんです。それから一年先輩には先日のパーティーでベースを弾いて頂いた鈴木良雄さんがいました。
 音楽長屋の隣ではそういう人たちが演奏をしていたんですが、我々はニューオリンズ・ジャズという非常にシンプルなジャズをやっていたんです。つまり、原点からスタートしたので、ジャズを広く捉えられる土壌が自分の体の中にできたような気がしますね。

--大学に入学される前からジャズ好きだったんですか?

伊藤:ジャズは大学に入ってからです。ニューオルリンズ・ジャズ・クラブに入ったことによって、ジャズを体系的に理解できたのかもしれません。その当時、1960〜65年はモダン・ジャズの全盛時代ですから、早稲田でも、モダン・ジャズが隆盛を極めていたんですが、ニューオルリンズ・ジャズ・クラブはもっとプリミティブな感じだったので、ちょっと違っていたんです。

--大学でもバリトンを演奏されていたんですか?

伊藤:いえ、大学ではドラムを叩いていたんです。ところが、ピアニストがいなかったので、途中からピアノに転向しました(笑)。

--ドラムからピアノですか。凄い変化ですね(笑)。

伊藤:全てがそんな感じのクラブだったんですよ(笑)。