SPECIAL REPORT & INTERVIEW

麻田 浩 氏 スペシャル・インタビュー (株)セブンゴッド・プロダクション/SXSW ASIA 代表
麻田浩スペシャルメイン MIDEM(仏カンヌ)やPOPKOMM(独ベルリン)と並び称される3大国際音楽産業見本市 SXSW(サウスバイサウスウエスト)。アメリカテキサス州オースティン市を舞台に、新旧・有名無名を問わず4日間に渡りショーケース・ライブを繰り広げるSXSWは、毎年新たな才能を生み出し、年々拡大している一大イベントだ。そのSXSW内に'96年に誕生した「Japan Nite」は、日本の音楽を海外に紹介する民間のイベントとして最長の歴史を持ち、最も集客力のあるショウケースへと成長した。今回はその「Japan Nite」のプロデューサーであるSXSW ASIA代表 麻田浩氏とSXSW ASIA事務局長渡辺憲一氏に、SXSWのこれまでと今後の展望、そして麻田氏のキャリアまでお話を伺った。
[(株)セブンゴッド・プロダクションにて]
麻田浩スペシャルsxsw_asia_banner
<SXSW(サウスバイサウスウエスト)オフィシャルサイト>
http://www.sxsw-asia.com/

プロフィール
麻田 浩(あさだ・ひろし)
(株)セブンゴッド・プロダクション/SXSW ASIA 代表

1944年 12月25日 横浜生。
1963年 明治学院大学入学後、マイク真木等とモダンフォークカルテット(MFQ)を結成。カレッジフォークを代表する人気バンドになる。('65年MFQでフェス出演のために初渡米)
1967年 単身1年間のアメリカ旅行。アメリカ各地を回り、ボブ・ディランやジョニ・ミッチェルなど数多くのコンサートを観る。
1968年 黒澤明監督の映画「トラ・トラ・トラ」、勅使河原監督の万博用映画等の助監督を務める。
1971年 CBSソニーからレコードをリリースし、コンサート活動を行う。
1976年 (株)トムズ・キャビン・プロダクションを設立。以後エリック・アンダーソン、トム・ウエイツやエルビス・コステロ、XTC、トーキング・ヘッズ等のNew Waveアーティストのコンサートなどを数多く手掛ける。
1980年 ジェニカ・ミュージック入社。ゴダイゴ、ルースターズなどのブッキングを担当。
1983年 (株)スマッシュ設立に参加。再び外国人アーティストの招へいの仕事をする。ザ・バンド、ラウンジ・リザーズ、ドクター・ジョン、ジェームス・ブラウン等を招へい。
1986年 (株)麻田事務所設立。シオン、コレクターズ、越美晴、ピチカート・ファイブ等のマネージング及び外国人アーティストの招へいを行う。SXSW-ASIAを立ち上げ、日本人アーティストの海外進出を仕事として始める。
1994年 セブンゴッド・プロダクション設立。ロリータ18号、ペティ・ブーカのマネージング及びトムス・キャビンの名前で外国人アーティストのコンサートを再開。現在に至る。

1. 「SXSW Japan Nite」の誕生

--SXSWはどのように始まったのですか?

麻田浩スペシャルsxsw 麻田:アメリカのインディーバンドが全国的に売れない現状を打破するために、インディーズの人たちがオースティンに集まって「どうやったらインディーズが売れるか?」という勉強会を始めたのがスタートのようです。

--それは割とローカルな話だったんですか?

麻田:最初はローカルな話のようですね。その勉強会に同じような悩みを持っていたアメリカ中のインディーズの人たちが集まってきて、その輪が海外まで広がっていったんですね。

--そしてショーケースのようなものが始まったわけですね。

麻田:そうですね。会場は3000人クラスから150人くらいのところまで30以上あって、ここが結構重要なんですが、20:00、21:00、22:00、23:00…と必ず時間頭に始まるんですよ。それで40分ライブをやって20分転換とどの会場でもその時間に始まるので、人によってはその20分の間に会場を移動するんですね。オースティンという街はライブハウスがたくさんあって、しかもメインストリートに20以上が集中しています。

--オースティンはアメリカのどこなんですか?

麻田:テキサス州の州都です。アメリカで2番目に大きいテキサス大学もあって、学生も多いですから音楽が盛んな街ですね。

--街自体はそんなに大きい街ではないのですか?

麻田:そうですね。ジョージ・ブッシュが大統領になる前はここの知事だったんですよ。

麻田浩スペシャル2 --アメリカは広いですがSXSWのようなイベントは他にあまりありませんよね。

麻田:SXSWが始まった頃にニューヨークでNew Music Seminarというのをやっていたんですよ。その当時、僕はピチカート・ファイブをやっていたんですが、日本では全然売れなくて「アメリカだったら売れるだろう!!」と思い、3年間New Music Seminarに連れて行ったんです。他にもボアダムスや少年ナイフも連れて行って、結果的にそれがアメリカのマタドールといったレーベルとの契約に結びついたのですが、そのNew Music Seminarが潰れてしまったんですよ。その当時はどちらかというとNew Music Seminarの方が注目を集めていたのですが、潰れてしまったのでSXSWが伸びたんですね。僕はNew Music Seminarをやっている頃はSXSWに行ったことがなかったんですが、New Music SeminarにもSXSWの人が来ていて、僕らは「Psycho Nite」という日本のショーケースをNew Music Seminarでやっていて、「SXSWでもやらないか?」と言われていたんです。ただ両方はなかなか出来ないのでSXSWの方は断っていたんですが、New Music Seminarが潰れてしまったので(笑)、SXSWにシフトしたわけです。

--それは何年の話ですか?

麻田:9年前ですから、'96年ですね。

--それで「SXSW Japan Nite」を始められたんですね。

麻田:そうです。それで何年かやっていたんですが、アジアのマーケットもSXSWにしてみれば大きいですから、「アジアの統括をやってくれないか?」と頼まれて、SXSW-ASIAを立ち上げました。

--年々日本人アーティストの参加が増えていますよね。最初はどのくらいだったのですか?

麻田:最初は僕がやっていたロリータ18号と、昔から海外でやりたがっていたホッピー神山のバンド、PUGSの2組です。ホッピーとは「Japan Niteみたいなものをやりたいね」と話していたんですが、結果的にその2組しか集まらなくて、最初の年はその2組と北欧のバンドが3組一緒に「International Nite」みたいなかたちでやったんですが、PUGSもロリータ18号もものすごくウケて、会場が満杯状態になったんです。それでPUGSはすぐに契約が出来て、ロラパルーザ(注1)出演まで行ったんですよ。ロリータ18号も評判が良くて、「これはちゃんと日本のバンドを紹介すれば、いけるかな」と思って、翌年は5バンドで「Japan Nite」をやりました。

--その頃は日本におけるSXSWの認知は低かったんですか?

麻田:まだまだという感じでしたね。

--その頃のSXSWは、参加人数はどのくらいだったんですか?

麻田:僕らが最初に行ったときは、参加者が7000人くらいいました。

--参加者が7000人ですか! 凄いですね。

麻田:もう凄いですよ。夜中なんか大晦日状態ですね(笑)。

--期間は何日間で行われるんですか?

麻田:今は4日間です。ただ、日曜日はアメリカの音楽業界の人たちも仕事をしているので、日曜日は帰ってしまうんですよね。ですから木・金・土が一番盛り上がりますね。

--その期間はオースティンのホテルも一杯なわけですね。

麻田:もちろんそうですよ。昼間にセミナーといいますか勉強会があって、夜ライブをやって、それと同時にコンベンションセンターの中ではブースがたくさん出てトレード・ショーが行われます。ライブとセミナーとトレード・ショーが3つの柱ですね。

--このSXSWは民間ベースなんですか?

麻田:そうです。

渡辺:経済効果として30億円規模ですよ。

--30億ですか…。音楽団体とかは協賛しているんですか?

麻田:オースティン市が協賛していますね。あとオースティン・クロニクルという雑誌ですね。

--全米の業界団体や協会とかが協賛しているわけではないんですね。

麻田:大規模の広告出稿や主催コンサートとブースは出していますし、業界のVIPが多数見に来ますけどね。

--SXSWの認知は全米から世界へ確実に上がっていますよね。

麻田:今や世界中から集まってきますからね。

(注1)ロラパルーザ
90年代のオルタナティヴ・シーンの台頭に大きな影響を与えたフェスティバルツアー。