Musicman-NET SPECIAL REPORT
ワーナーミュージック・ジャパン吉田 敬 氏
吉田敬氏 -- ではワーナーに来られてまだ1ヶ月たってませんけど、空気の違いとかはどのように感じられますか。

吉田:そうですね、まったく違います。違って当然ですし…入社前にとくにリサーチとかはしませんでしたから、感覚的に外から見てた印象ともだいぶ違いますね。ただ、個々の現場で人をみていくと、それぞれとても優秀な人が多くて、そこでうまくチームを作って機能させていけばいいと思います。デフスターの時はとてもいいチームで売上を作ってきたという自負がありますから、それに負けないくらいのいいチームを作れないかなと思ってます。

-- 稲垣さんが土壌を作られたというお話しでしたが、たしかに今は少数精鋭のスタッフが残って、いい感じになってるんでしょうね。

吉田:そうですね。そういう意味ではやりやすい環境だと思います。

-- 稲垣さんとのご関係ですが、ソニー時代は仕事上直接はご一緒していなかったんですか。

吉田:なかったですね。だってもうぺーぺーと副社長ぐらいの感じでしたから。たしか稲垣さんが取締役宣伝部長みたいな肩書きのときに僕は集英社とか講談社とか紙媒体の宣伝担当だったんですが、自分の担当してる媒体の役員の方とお話しさせていただきたいときに稲垣さんに来てもらったり…そのくらいでしたね。

-- 年齢も20歳くらい違うんですよね。そりゃそうですよね。ところで吉田さんは41歳ですか?歴代のなかでもとくにお若い就任ですよね。

吉田:プレッシャーですよね。

-- でも実績がおありですからね。

吉田:まあここでどこまでその実績を出していけるかということですからね。前はよかったけどここに来たらできなくなった、じゃ困りますから。今僕に課されてるミッションはとても明確で、邦楽のヒットです。ワーナーには洋楽のカタログもたくさんあって、アメリカからどんどん来るんですが、まずは邦楽の、しかも新人のヒットを向こう3年でいくつ作れるかということですね。

-- デフスターにいらっしゃった大堀さんもいっしょに移られたんですよね。ほかには?

吉田:そうです。デフスターからはプロモーションチーフだった大堀(正典氏)と黒岩(利之氏)、それと僕の3人ですね。あとソニーからはIT関連の田渕(元SME Network 田渕悟氏)と、ゾンバレコーズにいたA&Rの野本の計5人ですね。

-- デフスターのアーティストはそのままですよね。

吉田:ええ、もちろん契約がありますから。チームだけの異動ですね。

-- 将来的にはアーティストの移籍もありうるのでしょうか。

吉田:いえ、それに頼っちゃうとだめですから。それよりも新しいチームで新しいものをゼロから作っていかないと。そうでないと信頼していただけないですよね。今までも(ワーナーには)ソニーからの歴々が何人も来ては辞めて…してるわけですから。ある意味食い散らかしてるみたいな感じがありますからね(笑)。新しく来た人が新しい売上を作っていかないと。

-- ソニー時代に若き日の吉田さんが非常に影響を受けた先輩とか目標にしてる方はいらっしゃいますか。

吉田:そうですねぇ。稲垣さんを筆頭に濃い方が多かったので…まあそういう人は全部もうソニーにはいないですけどね(笑)。まず稲垣さんですよね、それから塔本さん(元ワーナーミュージック・ジャパン エグゼクティブ・ヴァイス・プレジデント/現プラティア・エンタテインメント(株) 代表取締役社長 塔本一馬氏)もそうですし、Viewsicの加藤さん((株)エスエムイー・ティーヴィ 代表取締役社長 加藤哲夫氏)とか…稲垣さんの一連の方針を受け継がれてる教え子の方たちですね。僕はたぶんその一番下の世代ですから。僕が入社したころは、エピック・ソニーの色とCBSソニーの色と2つあったんですよ。エピック・ソニーは丸山さん(丸山茂雄氏)、CBSソニーは稲垣さんですよね。稲垣さんはわりと体育会系なんですよ。僕らは社内にいると怒られまくって、「会社にいるな、外に出ろ」って言われて。デフスターでもそのポリシーはありましたよ。僕は自分が教わってきたことを部下にそのまま伝えましたから。

-- これから音楽業界に入りたいとか転職しようとか思ってる人もたくさんこれを読んでると思うんですが、そもそも吉田さんがまずソニーに入られた経緯は?レコード会社に入ろうと思って受けたんですか。

吉田:いや、全然違うんですよ。とくに音楽関係に行きたかったわけじゃなくて、いろんな企業を受けたなかで、たまたま入っただけなんです。音楽関連の会社はほかはなにも受けてないんです。

-- ご自身が音楽やってたとか、どうしても音楽関係の仕事をしたかったとか、そういうわけでは…

吉田:まったくないですね。

-- 慶応大学経済学部卒ですよね。ほかにもいろんな会社に受かったんじゃないですか。

吉田:いや、それがあんまり受からなかったんですよ(笑)。のんびりしてたからですかね。

-- そうだったんですか。じゃあいわゆる普通の大学生が普通の就職活動の一環としてCBSソニーを受けたと。

吉田:そうです。だから自分がそうだったんで、その後新入社員の面接してても、いかに音楽が好きかとか、DJやってたとかバンドやってたとか、そういう話をするのがすごい多いんですよ。そういうのはまっさきに外してましたね(笑)。そんなのはべつに求めなくていいと思ってたんで。

-- 吉田さんはソニー時代にTプロジェクトを発足させて、そこからヒットストーリーが始まるわけですよね。ソニーはいろいろなレーベルやプロジェクトをたちあげた中で、Tプロジェクトだけが大成功したように見えたんですが…ご自身ではいかがですか。

吉田:僕は自信満々でしたよ。素材さえよければ絶対当たると思ってた。それまで販促宣伝を何年もやっていて、いろんなメディアの札はいっぱい自分のなかに持ってたんですよ。ラジオ、テレビ、雑誌、新聞もね、ヒットを作るときに使う札ですね。でも当時、僕らは何の発言力もなくて、ただ制作からきたもの、会社の押しものを持っていくだけの仕事だったんですよ。それがTプロジェクトでは自分で企画して素材を吟味できるようになりましたから。

-- 商品開発から口を出せたと。やっとやりたいことができたんですね。10年以上販促関係にいらっしゃったんですか。

吉田:そうですね。地方もやりましたし、いろいろやりました。そっちは完璧でしたから、Tプロジェクトではあとはいい素材さえ見つかれば必ずヒットすると思っていました。それがthe brilliant greenです。

-- なるほど。それから平井堅ですか。

吉田:そうですね。平井堅はすでにデビューはしてたんですけど、ブレイクはしてなくて、もう一度ストーリーを作るところからやり直そうと思って。

-- デビューから関わってらしたんですか。

吉田:ええ、平井は元々ほかの部署のアーティストのひとりとして関わってたんですが、Tプロジェクトに持ってきて、もう一度いちからやっていったんです。

-- デフスターのアーティストといえば研音さんとのつながりもありますよね。今回の事に関して児玉さん((株)研音 代表取締役社長 児玉英毅氏)はなにか仰ってますか。

吉田:けっこう心配していただいたんですが、最終的には僕が決めたことでしたから、それなら頑張りなさいと言っていただきました。ありがたい話です。

-- (株)デフスターレコーズ設立というのは、Tプロジェクトが独立したというか、分社化という形でしたよね。なにか環境の変化はありましたか。

吉田:そうですね。やっぱりTプロジェクトはソニーのなかのいちレーベルで、ましてや立ち上げたときは2人でしたから、やっぱりひとつのカンパニーとなるとモチベーションもあがりますし、責任の重さは感じましたね。

-- デフスターは2人からの立ち上げだったんですか。

吉田:いえ、Tプロジェクトは最初2人だったんです。それがだんだん人数も増えて、デフスターになったんです。

-- CHEMISTRYはデフスターになってからですか。

吉田:そうですね。

-- たたでさえいいアーティストがいたのに、分社されてさらにすごいアーティストが加わったという感じですか。

吉田:そうですね。

-- たまたまいいアーティストが重なっただけです、っていう話ではないと思うのですが、どうやって3連発のヒットが生まれたのでしょうか。

吉田:やっぱりデフスターができる前のTプロジェクトで、the brilliant green、そして平井堅というヒットが生まれて、そこで成功体験として僕がなにを体験したかというと、当時のR&Bをめぐるシーンのいろんな人脈、自分がそれまで持っていなかった人脈をアーティストによってさらに拡げてもらったんです。

-- 成功したからできてくる人脈というのがあるんですよね。

吉田:ありますね。それらを自分たちの人脈にしたことですね。一気に自分たちの札が拡がったんで、それをそのままCHEMISTRYにばっと使えたんです。そのころにはもうレーベル自体にブランドというか、信用度があったんで、レーベルとしてプロモーションもできたし、デフスターがやる新人という認識もしてもらえましたね。


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