|
|
| (1) ハードもソフトも大好きな機械少年 |
|
|
-- 15歳でこの世界に入ったということですが、キャリアのスタートがとても早いですよね。自分の進むべき道がそのころすでに決まっていたんでしょうか。 私は機械が大好きで、小さい頃は整形外科医の父がメモ代わりに使っていたディクテイティング・マシーン(会話をメモする為のマシーン)に吹き込んだりして遊んでいたのを憶えています。8歳か9歳で小さいテープレーコーダーを買いました。DCバイアス(直流)のマシーンだったんですが、それが嫌だったので、自分で交流に改造してしまいました(笑) -- なんでそんなことできるんですか(笑) 初めてこういう仕事に就いたのは15歳の時で、ジョン・ホプキンス大学の医学部で、カーティス・マーシャル教授に仕事をもらいました。彼は自分でマイクロミキサーを作ってしまうような人で、偶然電気屋で知りあって、彼に「よかったらいっしょに働かないか」と誘われたんです。 仕事は神経科医が脳波の検査に使う真空管のごくごく初期のコンピューターを扱う仕事でした。半導体とかが出てくるずっと前の1960年代のコンピューターです。私はそのころ、システムエンジニアを目指していて、自分で回路図を書いたりしていました。コンピューターの仕事と掃除夫と、両方やってましたよ(笑) また同じ頃に、ボルチモアの小さなレコーディング・スタジオを紹介されました。主な仕事は車と銀行の広告音楽の仕事でした。でも仕事は昼間だけだったので、夜はスタジオにこっそり忍び込んで自分で音楽を作ったり、いろいろいじったりして憶えました(笑)。今はとてもそんなことありえませんけどね。 そのスタジオにはいろんないいマイクやテープレコーダーがありましたよ。マイクはノイマンのU47、U48やSM2、テレフンケン251、SHEPS 221B、あとAKG-C60、AMPEX 300、AMPEX351、AMPEX354 やAMPEX PR10 なんかね。AMPEX PR10ほどいいテープレコーダーはありませんね。私はコンピューターのバイトで稼いだお金でPR10を買いました。うまく動かなかったんですが、自分で直して使ってたんです。そのPR10で初めてレコーディングを体験しました。近所の学校のブラスバンドや合唱団なんかを、自分で録音しに出かけて行ったりしてました。 17歳の時にはレコーディング・スタジオで働きながら、ジョン・ホプキンス大学にも行っていました。でも学校には1年半しか行ってません。電気工学の先生とケンカしたんですよ。私が設計して持っていた回路図を見て、先生は「こんなのできるわけがない。システムエンジニアはハードやソフトのことには口出すな」と言うんです。でも私はハードウエアを組み立てて音を作り出すのが大好きだったんです。1965年のことですから、ソフトウエアなんてない時代ですよ。でもそのころには私はレコーディング・スタジオでエンジニアのプロとして働いてお金を稼いでいました。だから学校に行く必要なんてなかったんです(笑) 1967年だったか68年にITI(International Telecom Incorporate) を設立して、1971年、19歳の時、AESでパラメトリック・イコライザーを発表しました。同時に専門誌にも論文を発表しました。普通のイコライザーはすでにありましたが、パラメトリック・イコライザーは私のアイデアなんです。そして1972年に最初の製品を発表しました。でもそのときの共同経営者が悪いヤツで、私は無理矢理契約書にサインさせられて、ITIの権利や収入などはすべて彼の物になってしまったんです。 2年後、私は失意のうちにアメリカを離れてパリに移りました。26歳のときです。パリでフリーのレコーディング・エンジニアとして働き、フランス人の一人目の妻と結婚しました。 -- 一人目?何回ご結婚されたんですか? 3回です(笑)。彼女は女優でモデルで、スタイルもばっちりで、とても美しかったのですが・・・(苦笑)パリでの生活のことは、あんまり思い出したくないですね。 2年後にパリからロサンジェルスに帰ってきて、ロスには25年間住んでいました。 そのあいだに手がけたアーティストは、リトル・フィート、アース・ウインド&ファイアー、エモーションズ、デニス・ウィリアムズ・・・ほかにも数多くのR&Bのレコードを手がけました。 |
![]() |
|
Copyright(C) 1998- F.B.Communications Inc. & Magnet Co.,Ltd. All rights reserved.
Contact info@musicman-net.com with question regarding this site. |