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学生時代にトランペットに魅了され、東京大学へ進学後も精密機械工学を学びながら音楽漬けの日々を送られた岡部さん。大学を卒業後、音楽と精密機械工学の両方が活かせるということで’74年にヤマハ株式会社へ入社し、管楽器開発チームの一員として当時プロ奏者の間ではあまり評価されていなかったというヤマハの管楽器を現在の品質まで向上させる足掛かりをつくりました。その後、東京・銀座のヤマハ管楽器アトリエにて数々のアーティストとのコラボレーションに携わり、’87年には楽器制作の本場であるドイツ、そしてイギリスに渡り世界中のアーティストを技術者として裏側から支えました。帰国後は執行役員、取締役などを歴任され、現在は取締役常務執行役員・楽器事業統括に就任されている岡部さんにヤマハの歴史や楽器業界について伺いました。
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早くから天才少女として名高く、全日本学生音楽コンクールの小学生部門、中学生部門と優勝を重ねたのち、慶応義塾中等部3年在学中に、第28回音楽コンクールにおいて史上最年少で第1位特賞を受賞。ただちに翌年、NHK交響楽団初の世界一周公演のソリストに抜擢され華やかにデビューを飾り、’65年のショパンコンクールでは、日本人として初めて入賞、以後今日に至るまで、3500回を越える演奏を国内外で行っています。’08年には紫綬褒章、’09年には日本芸術院賞・恩賜賞を受賞。日本のピアニストの代名詞として聴衆を魅了し続けている中村さんに今日に至るまでの様々なお話をお伺いしました。
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■第78回 大賀 典雄 氏 |
ソニー株式会社 相談役 / 東京フィルハーモニー交響楽団会長兼理事長 / 東京文化会館館長 / 軽井沢大賀ホール名誉館長
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ベルリン国立芸術大学へ留学し、音楽家としてご活躍中に、ソニー株式会社より発売されたテープレコーダーにクレームを付けたことがきっかけでソニーへ入社。入社後は経営者としての能力を発揮され、52歳という若さで代表取締役社長に就任。その後、CD開発のプロジェクトリーダーとして世界で初めてCDプレイヤー、ソフトをリリースし、現在のソニーだけでなく、世界の音楽産業の礎も築かれました。今回のインタビューでは、日本人では数少ない、家族のような付き合いをされたというカラヤン氏との想い出や、現在も行われている指揮者の活動、2004年に莫大な退職慰労金を全て寄付し設立した軽井沢大賀ホールについてなど、様々なお話をお伺いしました。
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■第77回 渡辺 貞夫 氏 |
ミュージシャン (Alto Saxophone,Sopranino Saxophone, Flute)
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18歳で上京後、数々のバンドへ参加。秋吉敏子さんの紹介でバークリー音楽大学へ留学し、在学中にチコ・ハミルトン、ゲイリー・マクファーランド等と共演・全米ツアーにも参加。帰国後は、バークリーで学んだジャズ理論を広め、日本を代表するサキソフォンプレーヤーとしてジャズのみならず、ボサノヴァやアフリカ音楽などを取り入れた多彩なスタイルで世界を舞台に活躍されています。近年では子供達とのリズム教育にも力を入れ、2005年の『愛・地球博』では世界5カ国の子供達と共演し大盛況となりました。今回のインタビューでは、すでにミュージシャンとして活躍されていた高校時代から、大きな影響を受けたブラジル、アフリカ、チベットでの体験など、これまでの音楽生活58年間をふり返っていただきました。
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キョードー東京内野二朗さんとの出会いをきっかけに、全く知識がないまま興行の世界に入られた岡本さん。地元松山、そして設立直後のキョードー横浜で数々のコンサートを手掛けられ、’70年代後半からは山下達郎、佐野元春、松任谷由実、THE ALFEE、B’z、そしてサザンオールスターズと、多くの邦楽アーティストの興行を成功に導かれました。そんな岡本さんに松山での少年時代からキョードー東京創設者永島達司さんや内野二朗さんとの思い出、そしてキョードー横浜でのお仕事を振り返っていただきつつ、コンサートビジネスについてじっくり語っていただきました。
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幼い頃から映画・音楽に夢中になり、特にエルヴィス・プレスリーとの衝撃の出会いを体験されて以降はプレスリー道まっしぐら! の石田さん。そこで培われた幅広い音楽知識をバックボーンに、フジテレビ入社後は『リブ・ヤング!』や『ミュージックフェア』、『オールナイトフジ』、『夕やけニャンニャン』、『とんねるずのみなさんのおかげです』など数々の音楽番組やバラエティー番組を手掛けられ、どの番組もテレビの枠を越えて一大センセーションを巻き起こしました。現在もエグゼクティヴ・プロデューサーとして現場の第一線でご活躍中の石田さんにキャリアを振り返っていただきつつ、たっぷり語っていただきました。
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学生時代、伝説の呼び屋 神彰さんとの出会いから音楽に携わるようになり、ウドー音楽事務所では数多くの海外アーティストの招聘を手掛けられ、成功に導いた寺林さん。レコード会社に活躍のフィールドを移されてからも持ち前の行動力と感性、そして音楽に対する情熱で洋楽・邦楽問わずヒットを生み出してきました。最近では徳永英明『VOCALIST』シリーズや中森明菜『歌姫』シリーズの大ヒットが記憶に新しいところです。現在はユニバーサルミュージックの執行役員 マーケティング・エグゼクティヴとして若手を見守りつつも、現場の第一線でご活躍中の寺林さんに、ウドー時代のエピソードから発売間近の作品のお話までじっくり語っていただきました。
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祖父に服部良一さん、父に服部克久さんを持つ服部隆之さんはまさに音楽界のサラブレッドとしてお生まれになり、パリ国立高等音楽院を経て、帰国後はさだまさしさんとのお仕事を皮切りに、ポップスからクラシックのアーティストのアルバム、コンサートの編曲を数多く手掛けらています。また同時に作曲家としてテレビドラマや映画、舞台、コマーシャルにゲームと多岐にわたるジャンルにおいて「誰もが服部さんの生み出す音楽を一度は耳にしたことがあるのでは?」と思うほどのご活躍です。そんな大忙しの服部さんに今までのキャリアを振り返っていただきつつ、パリ留学時代の思い出や音楽の制作現場に対して感じられていること、そして今後の夢までたっぷり語っていただきました。
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大学時代に財団法人大阪国際フェスティバル協会でアルバイトをしたことからクラシック音楽の世界に入り、その後(株)梶本音楽事務所、(株)高柳音楽事務所を経て、(株)ナサ・アーティスツ・ビューローを設立。当時3千枚売れたらヒットと言われていた日本人クラシック・アーティストのレコードを1万枚以上売り上げました。'85年にはレナード・バーンスタインを音楽監督とする「広島平和コンサート〜世界巡礼の旅」を企画し、世界的な反響を呼びました。このコンサートがきっかけとなりバーンスタインの日本での相談役として欠かせない存在となります。そして「パシフィック・ミュージック・フェスティバル」を札幌で開催し、以降14回目まで企画プロデューサー、また昨年まで6年近く(社)クラシック音楽事業協会会長を務め、現在は(株)クリスタル・アーツの代表取締役社長として活躍する佐野さんにお話を伺いました。
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大学時代にザ・フォーク・クルセダーズを結成し自主制作アルバム『ハレンチ』を制作し、収録曲「帰って来たヨッパライ」の斬新さにリクエストが殺到。全レコード会社からプロデビューのオファーを受け、1年間限定でデビュー。フォークル解散後にロンドンポップに影響を受けサディスティック・ミカ・バンドを結成。名盤『黒船』をリリース後にロキシー・ミュージックと共にイギリス・ツアーを行いロンドンで話題に。その後もプロデューサーとして竹内まりやなど多くのアーティストへ楽曲を提供しながらヨーロッパ三部作と呼ばれる自らのアルバムも制作。2006年には木村カエラを迎えミカバンドを再結成し、今秋には小原礼、屋敷豪太、土屋昌巳、ANZAとのバンドを結成するなど現在もシーンの第一線で活躍される加藤さんにお話をうかがいました。
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