−−今回ご紹介いただきました松浦勝人さんと最初にお会いになったときの印象をお伺いしたいのですが。
小室:すごくミュージシャンと会ったときに近い感覚でしたね。実際はビジネスマンなんでしょうけど、髪の毛が長いとか見た目ではなく、色というか雰囲気がミュージシャンに近かったです。
−−松浦さんとは、アイデアを出し合いながらお仕事をされていたんですか?
小室:最初は僕のアイデアを商品にしてくれるという作業をやっていたと思います。エイベックスは国内屈指のインディーズレーベルでしたから。
−−当時のエイベックスは全てが掟破りという感じでした。
小室:そうですね。国内で考えたらとんでもない飛躍だと思います。
−−そのエイベックスの飛躍も、小室さんの他とは違う明確なコンセプトやサウンドが1つの時代を築いたことが大きな要因だと思います。
小室:それはやはりエイベックスが協力をしてくださったことが大きいと思います。僕の中で松浦さんは、ヴァージンのリチャード・ブランソンが一番近いイメージですね。リチャード・ブランソンはもともとレコード屋からスタートして、レコード会社を立ち上げ、航空会社まで始めたわけで、レコード会社で航空会社をつくれるまでの資産を生み出したということは驚異的なことだと思うんですね。あとはゲフィン・レコードを売却してドリームワークスを設立したデヴィッド・ゲフィンの二人が松浦像としては思い浮かびますね。彼らにとても近い存在ではないでしょうか。
−−ここからは小室さんご自身のお話を伺っていきたいのですが、小室さんの音楽的なルーツは何なのでしょうか?
小室:70年代の洋楽がルーツですね。アトランティック・レコードもそうですし、アサイラム・レコード、ワーナーとか、レーベルで選んでいたところもあります。アサイラムには魅力的なウェストコーストサウンドがいっぱいあり、また、ワーナー傘下にはトッド・ラングレン、ヴァン・ヘイレンも所属していました。トッド・ラングレンは、ミュージシャンでありプロデューサーで、グランド・ファンク・レイルロードが一時期落ち込んていたのをプロデュース力で全米1位にまで導いたんです(「ウィー・アー・アン・アメリカン・バンド」)。あの当時はそのプロデュース力を驚異に思っていたんですね。そのあとはモータウンとかクインシー・ジョーンズのプロデュースにも影響を受けました。
−−それはいつ頃のお話ですか?
小室:中学から高校にかけてですね。
−−そんな時代からプロデューサーに注目されていたんですか? すごく早いですね。
小室:そうですね。TM NETWORKのデビューアルバムから「Produced by TETSUYA KOMURO」という文字を大きく入れて欲しいとお願いして記載してもらっていました。これは自分の資質の問題だと思うんですが、コンサートでステージに立ってセンターでピンスポットを浴びるようなことが嫌だったんです。その頃から半分表で半分裏ぐらいのほうか居心地が良かったんですね。
−−ちなみに一番最初に買ったレコードって覚えてらっしゃいますか?
小室:一番始めにレコードを買ってもらったのが小学校5年のときで、確かセルジオ・メンデスですね。あと「サン・ホセへの道」を聴いたときになぜかいいなと思ったんですね。他にもサンタナとかちょっとラテン・テイストのものも好きでした。
−−日本のアーティストはいかがですか?
小室:Charさんや山下達郎さんはすごいなと思っていました。山下達郎さんのプロデューサーでいらした小杉理宇造さんもすごい方ですよね。
−−やはり裏方にも注目してらしたんですね。
小室:村井邦彦さんもすばらしいですよね。荒井由実さんを見出したり、YMOもそうですよね。考えるとエイベックスって、アルファレコードのユーロビートがルーツになっている部分が大きいと思うんですよね。
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