−−高校まではバンド活動をやりながら綾部で過ごされたんですね。
屋敷:はい。で、高校のときにブラスバンドを始めたんです。実は中学校の二、三年のときにボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのライブをテレビで観て、「あんなドラムは叩けない・・・」と思ってドラムはやめてたんですけど、「夏にブラスバンドの大会があるから夏の間だけでいいから出てくれないか?」って頼まれて、また始めることになったんです。それでスティックの持ち方とかをちゃんと教わって、みんなに追いつくためにメトロノームを見ながら、そのひと夏、朝の9時から夜の10〜11時ぐらいまで猛特訓ですよ。で、その大会に出て銀賞を取ったんです。それからブラスバンドはずっとやることになるんですけど、ブラスバンドを通じてドラムの基礎を学んだ事は確かですね。
−−ブラスバンドが屋敷さんのドラミングのルーツだったんですね。ドラムセットはいつ頃買われたんですか?
屋敷:確か小学校6年の修学旅行の費用を家のお好み焼き屋でバイトをして自分で出したんですよ。その積み立て金がオーバーして、戻ってきたお金でパールの一番安いドラムセットを買ったんです。そのうちバイトを始めて新しいドラムセットを買ったんですが、KISSが好きだったのでKISSのピーター・クリスと同じモデルのドラムを買ったんですよ。100万ぐらいしたんですけど。
−−えっ!100万?
屋敷:はい。高校の手前ぐらいに実家が田舎でもアップタウンに引っ越して、今度はコーヒーショップをやるんです。そこで二年ぐらい頑張って働いたら買えたんですよ。他にも色んなバイトをやったと思います。結局そのドラムセットを東京にも持っていって、ミュート・ビートとかメロンとか東京で活動するバンドのときのドラムセットは全部それですよ。
−−ちなみにドラムを思いきり叩けるような環境だったんですか?
屋敷:うちの母方の祖母の家が農家なんですよ。それで祖母の家に離れがあって、そこにセットさせてもらって、毛布とかを壁中に張ったりして防音してました。でも一回だけ苦情が来たことがあって、警察の人が来てしまったときに、うちのおばあちゃんが僕と警察の間に立ちはだかって「夜中にやってるわけじゃないんだから、好きにやらせてあげなさいよ!」って僕を守ってくれました。すごいおばあちゃんなんです。ドラムって今もそうだと思うんですけど、練習する場所の確保が大変なんですよね。だからおばあちゃんには本当に大感謝ですよ。それで高校二年生になったときにミュージシャンとしてやりたいからもう高校には行きたくないって言ったんですよ。
−−もうそこで気持ちは決まってたんですね。
屋敷:高校に行くときまではまだ分かんなかったのかな。親にとっても僕にとっても世間的にも高校行くっていうのが普通の流れですから。それが実際に高校に通ってみたら「別に高校来てても・・・」って思っちゃって。ブラスバンドに入ったことによって「二年生もやってみようかな」とも思ったんですけど、このままじゃ嫌だからもう辞めたいって言ったんです。そしたら親父に「高校ぐらいは出てくれ」って言われてとりあえず高校は出たんです。
−−それは自分の未来に対する絶大な自信があったという事なんですか?それとも、あまり深く考えてなかったんですか?(笑)
屋敷:若いときは何も考えてないと思いますよ(笑)。ただ単にミュージシャン=カッコイイ!みたいな。あとは中学生の頃に色んなアーティストのライブを見たからかもしれないですね。京都会館とか大阪のサンケイホールとかで。
−−淡々と話されてますけど、結構熱中してたんじゃないですか?
屋敷:そうですね。熱中してました。
−−その頃はドラムでやっていくっていうことしか見えてなかったんですか?
屋敷:とにかくミュージシャンになりたいとそのときはずっと言っていましたね。そして一年間社会勉強で京都市内に出させてくれということで、京都市内に出るんです。お好み焼き屋さんの頃から一緒だった人が京都市内出身だったので、紹介してもらってダンプの運転手になるんですね。だから初めて乗った車がダンプカーでした(笑)。車は運転しながら音楽が聴けるじゃないですか。それに、僕の中ではドラム=体力も必要だと思っていて、トレーニングも兼ねて肉体労働をやっていたので、全然苦にはならなかったです。
−−その生活は何年間続いたんですか?
屋敷:まず一年間って言ってたんですけど、そんなのあっという間じゃないですか。で、とにかく二年って言って。そこで色んなライブを観たり、バンドになりきれないバンドをやってたわけですよ。でも、やっぱり煮詰まりますよね。僕は黒人音楽やレゲエが好きだったので、グルーヴ的なものと言いますか、もっとノリのいいものをやりたかったんですが、周りでやってる人たちはフュージョンとかプログレとか小難しい感じだったんですよ。そのときに6歳年上の女性と知りあって同棲していたんですが、ある日「あなた、ホントにそういうことをやりたいんだったら絶対数の多い所に行くべきよ。東京に行くしかないんじゃない?」って言われたんです。そんな事考えてもいなかったし、僕にとっては東京に行くなんて、宇宙に行くようなもんですから(笑)。それで肉体労働をしてお金貯めて、東京に二人で行くんですよ。
−−二人で上京されたんですか?
屋敷:はい。駆け落ちみたいなもんですから、当然親は大反対ですよね。今でもよく覚えているんですけど、上京するためにトラックを借りて荷物積み始めたら、親父が連絡もなしに三時間かけて来てくれて、荷物積むのを手伝ってくれたんです。最後は見送ってくれて・・・あれは今でも話すと涙が出そうになりますね。
−−すごくいいお父さんですね。ちなみにその彼女は今は?
屋敷:東京に来て一年ぐらいかな?「頑張ってね」ってひと言言ってすっと去っていきましたね。すごく出来た女性で。
−−じゃあその女性と出会ってなかったら、今日の屋敷豪太はなかった?
屋敷:ないですね。彼女がいたからこそ今の僕があるので本当に感謝してます。
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