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[2008年1月23日 / 目黒区三田 株式会社エフエフエムにて]
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プロフィール
屋敷 豪太(やしき・ごうた) プロデューサー/アレンジャー/ドラマー
<GOTA-YASHIKI-ON-THE-WEB / 公式サイト> http://www.gota.com/ |
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−−前回ご登場いただいたプロデューサーの吉田建さんとはいつ頃出会われたんですか?
屋敷:きくち伸プロデューサーとは『僕らの音楽』でご一緒したことがあったんですが、その後『新堂本兄弟』のレギュラーをきくちさんが建さんに相談したときに「豪太がいいんじゃないか?」みたいな話になったんだと思うんですよ。それで、三宿のカフェで紹介していただいたのが建さんとの初めての出会いだと思います。
−−世界の屋敷豪太というイメージでしたから、テレビに出ていること自体に驚きました。毎回すごい人をゲストにキャスティングするので、きくちさんもすごいなと思いますが。
屋敷:そうなんですよね。きくちさんの頭の中に入っている日本の音楽シーンとかミュージシャンの幅ってものすごく広いんですよね。
−−きくちさんはそれを自然にミックスさせちゃいますよね。
屋敷:その自然な感じに僕も飲み込まれたと思うんですけどね(笑)。20年間ロンドンにいましたから、日本のテレビや音楽シーンをほとんど知らなかったので、『新堂本兄弟』に出させてもらえるのは、勉強っていう言い方は変かもしれないけど、色んな人に会えて楽しいですね。
−−番組を通じて交友関係も広がったんじゃないですか?
屋敷:そうですね。今、番組に20歳の子たちとかが出ていますけど、僕がロンドンにいたときにまだ生まれたばかりだとか、1歳、2歳の子たちが前線で頑張ってやってるわけだから、ある意味、浦島太郎ですよね、僕(笑)。でも、多くのミュージシャンの方たちから、日本に帰ってきたことによって「君が豪太君なんだー」とか「話がしたい」って言ってもらえるのですごく楽しいですね。日本語で色々喋れますし(笑)。
−−(笑)。建さんとのお仕事はいかがですか?
屋敷:例えば、リハーサルしてるときでもここはダメだ、ここはこうしろ、ああしろってはっきりおっしゃる方なので凄くやりやすいですね。いいお兄さんと言えばいいですかね。
−−では、ここからは屋敷さんご自身についてお伺いしたいんですが、どのような家庭環境で少年時代を過ごされたんですか?
屋敷:生まれは京都府綾部市というところで、京都の北部、福知山のそばなんです。祖父が綾部でクリーニング屋をやっていたんですが、あの頃のクリーニング屋としてはすごく大きかったらしくて、丸正クリーニングっていうお店だったんですけど、東京から手紙を出すときも「綾部の丸正さん」とか「丸正の屋敷さん」って出せば、住所書かなくても届いたらしいんですよ。それぐらい大きかったので、京都府内の北桑田群美山町っていうド田舎でも受取所をやっていたんです。それで僕が生まれてすぐに、そこに親父が行くことになって、北桑田群美山町に引っ越しました。その頃は美山村って言ったかな。小学一年生までそこで過ごすんですが、その経験は僕にとってすごく良かったと思いますね。何もないところだったんですが、美山町というぐらいで、字のとおり山に囲まれて本当に綺麗な所でした。
−−そういうことを覚えてらっしゃるんですね。
屋敷:すごく覚えてますね。でも小学生のときにまた綾部に戻るんです。そこからは、もう綾部小学校、綾部中学校、綾部高校という公立をトントントンと。
−−なるほど。その頃の印象的な経験などはありますか?
屋敷:綾部に戻ってすぐだと思うんですが、うちの父はもともと飲食店をやりたかったらしく、お好み焼き屋さんを始めるんです。線路際の漫画に出てくるようなトタン屋根で、お風呂もないような建物で、そこで中学生ぐらいまで七、八年過ごしました。面白いのがお好み焼き屋さんなんだけどお酒を置かなかったんですよ。入り口の玄関みたいなところにまだクリーニング屋の受付所もやっていたので、親父が配達で外に出ちゃうと母が一人で店番をやることが多くなるからお酒売るのが嫌だったみたいで。
−−お客さんから音楽を?
屋敷:うちはお好み焼き屋さん以外にも、8トラのレンタル屋もやってたんです。だから壁中に8トラのカセットがわーっと並べてあって、そこには映画音楽や演歌だとか、ヒット特集、あと小林亜星さんのCM特集とかいっぱいありました。切れたりしても親父はうまくテープ編集をして直しちゃうんですよ。トラックの運転手さんとかがよく借りに来てましたね。そこでも色んな音楽を聞いてました。
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