Musicman-NET TOPMusicman's RELAY第69回
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屋敷豪太氏
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屋敷豪太氏
 今回の「Musicman's RELAY」は吉田 建さんからのご紹介で、プロデューサー/アレンジャー/ドラマー 屋敷豪太さんのご登場です。上京直後に「Player」誌のメンバー募集からミュート・ビートに参加。伝説のクラブ「ピテカントロプス」のOpenをきっかけにメロンのメンバーへ。その後、言葉もわからぬまま単身渡英しソウル トゥー ソウルとの出会いで“グランドビート”が誕生。アルバムのヒットからシンプリー・レッドのプロデューサーに見初められアドバイザーとしてレコーディングに参加後、正式メンバーとなりビッグヒットとなったアルバム『STARS』をリリースとまさにワールドワイドに活躍されている屋敷さん。現在は日本を中心に活動中の屋敷さんに、実家のお好み焼き屋さんで過ごした少年時代や東京でのアーティスト活動、イギリスでの貴重な体験など、事件の連続だった屋敷さんの半生を時間いっぱい語っていただきました。

[2008年1月23日 / 目黒区三田 株式会社エフエフエムにて]
プロフィール
屋敷 豪太(やしき・ごうた) プロデューサー/アレンジャー/ドラマー

'62年生 京都府出身。
高校卒業後、'82年に上京しこだま和文らとMUTE BEATを結成。'86年にMELONに加入、ヨーロッパ公演を行う。'88年に渡英し'89年Soul ll Soulの1st.アルバムに参加することからグランド・ビートを生み出し、世界的な注目を集める。その後、'91年にはSimply Redの正式メンバーとしてアルバム「Stars」のレコーディングと2年間にわたるワールドツアーに参加。近年はジャンルを越え、多くのアーティストをプロデュース、また楽曲をリミックスする一方、ソロアーティストとして、またB.E.D.(Jimmy Gomezとのユニット)としてアルバムを発表。現在、活動拠点を日本に移し、新人アーティストのプロデュースや、アルバムプロデュース、リミックス、またドラマーとしての活動など精力的に行っている。

<GOTA-YASHIKI-ON-THE-WEB / 公式サイト> http://www.gota.com/

::: INDEX
お好み焼き屋のお客さんと8トラに囲まれた少年時代
綾部太鼓で養われたドラムのグルーヴ
ミュージシャンになりたい!100万円のドラムセットを携え京都市内へ
藤井フミヤ曰く僕は「音楽の藁しべ長者」
グランドビートは通過地点
この人こそ本物のプロデューサーだ〜スチュワート・レヴィンとの出会い
シンプリー・レッドのドラマーとしてワールドツアーに参加
海外での経験を日本で生かしていきたい


1.お好み焼き屋のお客さんと8トラに囲まれた少年時代

−−前回ご登場いただいたプロデューサーの吉田建さんとはいつ頃出会われたんですか?

屋敷:きくち伸プロデューサーとは『僕らの音楽』でご一緒したことがあったんですが、その後『新堂本兄弟』のレギュラーをきくちさんが建さんに相談したときに「豪太がいいんじゃないか?」みたいな話になったんだと思うんですよ。それで、三宿のカフェで紹介していただいたのが建さんとの初めての出会いだと思います。

−−世界の屋敷豪太というイメージでしたから、テレビに出ていること自体に驚きました。毎回すごい人をゲストにキャスティングするので、きくちさんもすごいなと思いますが。

屋敷:そうなんですよね。きくちさんの頭の中に入っている日本の音楽シーンとかミュージシャンの幅ってものすごく広いんですよね。

−−きくちさんはそれを自然にミックスさせちゃいますよね。

屋敷:その自然な感じに僕も飲み込まれたと思うんですけどね(笑)。20年間ロンドンにいましたから、日本のテレビや音楽シーンをほとんど知らなかったので、『新堂本兄弟』に出させてもらえるのは、勉強っていう言い方は変かもしれないけど、色んな人に会えて楽しいですね。

−−番組を通じて交友関係も広がったんじゃないですか?

屋敷:そうですね。今、番組に20歳の子たちとかが出ていますけど、僕がロンドンにいたときにまだ生まれたばかりだとか、1歳、2歳の子たちが前線で頑張ってやってるわけだから、ある意味、浦島太郎ですよね、僕(笑)。でも、多くのミュージシャンの方たちから、日本に帰ってきたことによって「君が豪太君なんだー」とか「話がしたい」って言ってもらえるのですごく楽しいですね。日本語で色々喋れますし(笑)。

−−(笑)。建さんとのお仕事はいかがですか?

屋敷:例えば、リハーサルしてるときでもここはダメだ、ここはこうしろ、ああしろってはっきりおっしゃる方なので凄くやりやすいですね。いいお兄さんと言えばいいですかね。

−−では、ここからは屋敷さんご自身についてお伺いしたいんですが、どのような家庭環境で少年時代を過ごされたんですか?

屋敷:生まれは京都府綾部市というところで、京都の北部、福知山のそばなんです。祖父が綾部でクリーニング屋をやっていたんですが、あの頃のクリーニング屋としてはすごく大きかったらしくて、丸正クリーニングっていうお店だったんですけど、東京から手紙を出すときも「綾部の丸正さん」とか「丸正の屋敷さん」って出せば、住所書かなくても届いたらしいんですよ。それぐらい大きかったので、京都府内の北桑田群美山町っていうド田舎でも受取所をやっていたんです。それで僕が生まれてすぐに、そこに親父が行くことになって、北桑田群美山町に引っ越しました。その頃は美山村って言ったかな。小学一年生までそこで過ごすんですが、その経験は僕にとってすごく良かったと思いますね。何もないところだったんですが、美山町というぐらいで、字のとおり山に囲まれて本当に綺麗な所でした。

−−そういうことを覚えてらっしゃるんですね。

屋敷:すごく覚えてますね。でも小学生のときにまた綾部に戻るんです。そこからは、もう綾部小学校、綾部中学校、綾部高校という公立をトントントンと。

−−なるほど。その頃の印象的な経験などはありますか?

屋敷:綾部に戻ってすぐだと思うんですが、うちの父はもともと飲食店をやりたかったらしく、お好み焼き屋さんを始めるんです。線路際の漫画に出てくるようなトタン屋根で、お風呂もないような建物で、そこで中学生ぐらいまで七、八年過ごしました。面白いのがお好み焼き屋さんなんだけどお酒を置かなかったんですよ。入り口の玄関みたいなところにまだクリーニング屋の受付所もやっていたので、親父が配達で外に出ちゃうと母が一人で店番をやることが多くなるからお酒売るのが嫌だったみたいで。

お店には大工さんや肉体労働系の人や会社員の人、ヒッピー風の髪の毛の長いお兄さんたちも母を慕って来てくれていました。「おかあちゃん、今日50円しかないけど、腹へってるねん」とか言うので、「しょうがない、ほらご飯と卵」とか言って母が出してあげてたんです。色んな人が出入りしてるところにいつもいたので、音楽的な事もその人たちから教わっていました。

−−お客さんから音楽を?

屋敷:うちはお好み焼き屋さん以外にも、8トラのレンタル屋もやってたんです。だから壁中に8トラのカセットがわーっと並べてあって、そこには映画音楽や演歌だとか、ヒット特集、あと小林亜星さんのCM特集とかいっぱいありました。切れたりしても親父はうまくテープ編集をして直しちゃうんですよ。トラックの運転手さんとかがよく借りに来てましたね。そこでも色んな音楽を聞いてました。

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