Musicman-NET TOPMusicman's RELAY第66回
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武部聡志氏
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武部聡志氏

 今回の「Musicman's RELAY」はヴァイオリニスト 葉加瀬太郎さんからのご紹介で、プロデューサー/アレンジャー/キーボーディスト 武部聡志さんのご登場です。国立音大在学中からプロとして活動を始められ、以後キーボーディスト、アレンジャーとして数多くのアーティストを手掛けられた武部さん。'83年からは松任谷由実さんのコンサートツアーの音楽監督を担当され、一青窈さんをはじめ多くのアーティストをプロデュースとまさに日本のポップミュージックの第一線でご活躍です。また、CX系『僕らの音楽〜OUR MUSIC〜』の音楽監督としての姿を思い出される方も多いかと思います。そんな武部さんに今までのキャリアを振り返っていただきつつ、現在の音楽業界について感じられていることや、これからアーティストを目指す人たちへのアドバイス、そしてご自身の夢まで伺いました。
プロフィール
武部聡志(たけべ・さとし) プロデューサー/アレンジャー/キーボーディスト

大学在学中よりキーボーディスト・アレンジャーとして数多くのアーティストを手掛ける。
1983年より松任谷由実コンサートツアーの音楽監督を担当。1990年より本格的にプロデューサーとしての活動を始め、一青窈、Lyrico、大黒摩季、今井美樹etc.のプロデュース、CX系ドラマ「BEACH BOYS」、「西遊記」etc.の音楽担当、CX系「僕らの音楽〜OUR MUSIC〜」の音楽監督等、多岐にわたり活躍している。
また、日本工学院専門学校にてミュージックカレッジ エグゼクティブアドバイザーを務める。

<ハーフトーンミュージックグループ> http://www.htmg.com/

::: INDEX
受験勉強とピアノの日々
バンド活動に熱中した学生時代
プロデビューのきっかけはかまやつひろし氏〜ハーフトーンミュージック設立
アーティストとじっくり音楽を作りたい〜年間250曲を手掛けるアレンジャーからプロデューサーへ
自分のオリジナリティーを見つけよう!
打席が用意されている者の使命


1.受験勉強とピアノの日々

武部聡志氏 −−前回ご登場いただいた葉加瀬太郎さんと最初に出会われたのはいつ頃だったんですか?

武部:葉加瀬さんのプロデュースをしているロビー和田さんが麗美という女性アーティストを手掛けていまして、その麗美にユーミンが曲を提供する流れの中で、僕もコンサートをお手伝いしたりお付き合いがありました。そのロビーさんのところで新しいクラシック・ユニットをやるとご紹介いただいたのがクライズラー&カンパニーで、ライブを観に行って「面白いことをやっているな」という印象を持ったのが最初ですね。それ以降はテレビ番組でご一緒したりしたんですが、先日初めて彼のニューアルバム『SONGS』にプロデューサーとして参加してお互いに意気投合しました。

−−葉加瀬さんとの正式なレコーディングはそれが最初だったんですね。

武部:それまではNHKの番組で葉加瀬さんと一青窈が共演をするので僕がアレンジして演奏したり、『LOVE LOVE あいしてる』という番組で葉加瀬さんにプレイヤーとしてゲスト参加してもらったり、割とそういうワンショット的な仕事だったんですが、今回初めてちゃんとした形で作品を残したという流れですね。

−−わかりました。ここからは武部さんのお話を伺いたいのですがご出身はどちらですか?

武部:出身は東京の田園調布です。完全にお坊ちゃんという感じですよね(笑)。祖父、親父、僕と三代で東京の人間なので、東京出身のひ弱さと適当さを持ち合わせているというか、ハングリー精神があまりないんです(笑)。要するに地方から東京に出てきて頑張るぞ! みたいな意識があまりないんですよね。

−−音楽に最初に触れられたのはおいくつの時だったんですか?

武部:4歳違いの兄がいるんですが、兄も僕も小さい頃からピアノを習っていました。これは後から知ったんですが、僕は兄が習いに行っている音楽教室に、赤ん坊の頃からおんぶされて一緒にいたらしいんですよ。たぶん、そういうことから絶対音感が身についたんじゃないかなと思います。僕自身も3歳からエレクトーン、4歳からピアノを始めたんですが、その当時はピアノを習いに行くというと女々しいとか、女の子みたいだと結構いじめられたりするものですが、僕はピアノがすごく好きで、習いに行くのもあまり嫌がらずに楽しんでやっていたようですね(笑)。

−−ポピュラーミュージックとの出会いはいつ頃ですか?

武部:兄の影響で小学校3年生くらいからベンチャーズに代表されるエレキ・ブームに触れるようになりました。当時譜面がなくても耳で聴いてパッとコピーできたので、割とポップスに親しんだのも早かったんです。もう小学校の頃からポップスの曲をコピーして弾いたりしていましたから。

−−では、子どもの頃から音楽漬けの日々という感じだったんですね。

武部:そうですね。最初ベンチャーズの影響で兄弟でギターをやりたいと思って、子どもですからベニヤ板に針金を張ったような自作のギターを作って、兄と一緒に弾いたんです(笑)。そうしたらある日突然、親父が「今日からこれで練習しろよ」と本物のエレキギター2本とアンプを買って帰ってきたんです。それは僕が小学校3年の時で、親父がエレキギターを買ってきてくれたことで、毎日練習するようになりました。ですからポップスはギターから入ったんです。当時のポップスって、ビートルズにしても何にしてもギターで弾くと楽しいものが多かったですしね。

−−コードなんかは自己流で覚えられたんですか?

武部:実は叔父さんが進駐軍のキャンプを回っていたジャズギタリストだったんですよ。その叔父さんの家へ行って、簡単なコードの押さえ方を教わり、耳で聞いたものを自分で押さえながらベンチャーズをコピーしました。それが小学校の頃です。

 僕が中学に上がる頃は中学受験が流行みたいな時期で、親はみんな子どもを私立のいい中学に入れるために、小学校5年くらいの頃から塾に通わせていました。僕も毎日塾に通って、丸2年間は受験勉強ばかりやっていました。親父としてはいい中学・高校に入れて、大学は東大に入れたいと思っていたらしいんですよ(笑)。ですから「ピアノなんかやらなくていい。勉強しろ」と言われたんですが、僕はピアノが好きだったので、「ピアノだけは止めないから!」と食い下がったらしいんです。

−−本当にピアノがお好きだったんですね。

武部:そうですね。受験勉強をしている最中もピアノだけはずっと習いに行っていました。ピアノが好きだったのか、音楽が好きだったのかわからないんですが、もしかしたら受験勉強のストレスを音楽で解消していたのかもしれませんね。

−−普通の子どもらしい野球やサッカーといったスポーツとはあまり縁がなかったんですか?

武部:放課後、他の子たちはサッカーやキャッチボールをしていましたが、僕は塾があるから帰ったり、ピアノをやっているから突き指をしちゃいけないとか全然やらなかったですね。だから、運動に対するコンプレックスって未だにすごくあるんですよね(笑)。

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