Musicman-NET TOPMusicman's RELAY第64回
リレーロゴ 谷村新司氏 BACK NUMBER

2.洋楽のサウンドと和のボーカルの融合

−−祇園中探しても谷村さんのような小学生はいないでしょう? 谷村さん

谷村:周りには全くいなかったですね。小学校の音楽の時間に「好きな歌を歌ってください」と先生から言われて、みんなが童謡を歌っているときに、僕はお座敷で覚えた都々逸を歌っていましたからね。

−−そういったご経験は谷村新司という音楽家を形成する上で影響はありましたか?

谷村:その影響はものすごく大きいです。僕は中学生くらいから洋楽に憧れてPPM(ピーター・ポール&マリー)とか、ああいったモダン・フォークにどんどん傾倒してオリジナルを作り始めたんですが、そのときに自分の歌の中に不思議なこぶしがあることに気付くんですね。これは演歌のこぶしとは全然違うこぶしなんです。

−−演歌とは違うけれど和のイメージ?

谷村:そう、和なんです。洋楽のサウンドに乗っかっている和のボーカルという不思議な世界観と言いますかね。アリスがそういう世界なんですね。だから、アリスの音楽はすごくオリジナルなものだと僕はいつも思ってたんです。アリスの中ではそんなに和を強調した曲は多くないですけど、ソロでやっている世界というのは割とそっちの方ですね。やはり小さい頃から見聞きしていたものが自然と体の中に入っていたんでしょうね。

−−お茶屋さんだけでなく、家でもそういう音楽を聴かれていたんですか?

谷村:姉の稽古とかずっとありましたから、家の中には長唄、清元、常磐のレコードが絶えず流れていましたし、そういったSP盤やLP盤がたくさん家にはありました。

−−では、一番最初の音楽的な洗礼はそういった音楽なんですね。

谷村:そうですね。あと、テレビから流れてきた歌謡曲です。そして、自分が好んで聴いていたのはモダンフォークみたいなアメリカの音楽でした。

−−その当時はフォークブームだったんですか?

谷村:いや、僕らがギター弾き始めたのはブームの前です。ギターを弾く人があまりいなかった頃で、ギターさえ弾けばモテると思っていた時代でした。教則本などなにもなかったので、全部耳で音を取っていました。昔はPPMのような3人組のレコードだと、左のパートの人は左のスピーカーから聞こえてくるステレオだったんです。

−−ステレオでも音の分離がはっきりしていましたよね。

谷村:はい。センターに一人と左右に一人ずつがバランスよく聞こえるというね。僕は左のポールのパートをやっていたので、左のスピーカーだけを鳴らしながらギターの音を一音ずつ耳で拾ってコピーしていました。そうこうするうちに、小室等さんのギター教則本やPPMフォロワーズみたいな人たちが出てきて、それで自分がやっていたことはこういうことなんだと初めてわかりました。そんな時代ですね。だから、最初の日本のニューミュージックとかフォークで出て来た連中はほとんどみんなその世代ですよね。井上陽水や南こうせつ、泉谷しげるとかはみんな僕と同い年です。

−−洋楽を受け止めて、自分たちのオリジナルを模索した世代?

谷村:そこに自分たちの詩の世界と一緒にどんな世界が作れるか、というのにみんな燃えていました。オリジナルを作りたかったという世代でしょうね。

−−オリジナルを作り始めるきっかけは何だったのですか?

谷村: コピーをやっていると、いくら上手にコピーをしてもオリジナルには勝てないことに気付くんですね。PPMのあのアンサンブルを再現しようとしても、まず声が違いますしキャリアも違いますからね。そんななかで自分たちにしかできないものを作りたいと中学3年ぐらいから思い始めたんです。

−−ちなみに谷村さんは曲と詞はどちらから先に作られるんですか?

谷村: みなさんは作曲が得意な人が曲だけ作って後から詞を当て込むパターンか、詞が得意な人が後から苦心して曲を付けるというパターンしか思いつかないんですが、僕はほとんど同時なんです。 ミュージシャンの発想の人が言葉をサイドディッシュのように考えたり、逆に言葉だけの人がメロディーをサイドディッシュのように考えたりしていると、どこかで無理が出てくることが多いと思うんです。

−−つまり谷村さんは一つの世界がイメージできたら曲も詞も自然に生まれると。

谷村: そうですね。詩を書き始めながらメロディーを歌っています。だからその作業自体は大体1時間ぐらいです。

−−例えば『昴』はどのぐらいでできた曲なんですか?

谷村: 『昴』はきっちり作って1時間半ぐらいですね。僕はわかりやすくお話するために、「ウンコです」とよく言うんです。なにを食べていたか、その結果としてウンコは出るので、バランスの良い食事をしているといいお通じが出来るはずですよね(笑)



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芸妓、舞子を見ながら育った少年時代
洋楽のサウンドと和のボーカルの融合
後先考えずにひたすら音楽に打ち込んだ学生時代
聴いてくれる人が待っている〜アジアに音楽を伝えるために
活動を白紙にして見えてきたもの〜上海音楽学院教授に就任
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