Musicman-NET TOPMusicman's RELAY第60回
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木崎 徹氏


 今回の「Musicman's リレー」は、東芝EMI(株) 代表取締役社長兼CEO 堂山昌司さんからのご紹介で、放送作家/音楽プロデューサー 木崎 徹さんのご登場です。学生時代、ワイルドワンズのマネージャーを皮切りに、『11PM』でのAD〜ディレクターを経て、放送作家として『夜のヒットスタジオ』を始め、数々の番組を手がけられた木崎さん。同時にバブルガム・ブラザーズの結成や日本初の本格的なトリビュートアルバムの制作、そして現在は日本ゴールドディスク大賞のスーパーバイザーと、まさに縦横無尽のご活躍です。そんな木崎さんにご自身のキャリアから、日本ゴールドディスク大賞の今後までたっぷりお話を伺いました。
プロフィール
木崎 徹(きざき・とおる)

 昭和29年11月6日、東京・神田生まれ。中学2年生で立教に編入し、大学まで立教ボーイ。学生時代、音楽活動を通じ南こうせつ、THE ALFEEらと知り合う。また、ワイルドワンズのマネージャーを皮切りに、『11PM』でのAD〜ディレクターを経て、放送作家に。
 『夜のヒットスタジオ』『FAN』『ポップジャム』『日本ゴールドディスク大賞』などの音楽番組や『ディズニータイム』などを担当する。同時にバブルガム・ブラザーズなどの音楽プロデューサーとしても活躍。意欲的な企画作品を送り出した。主な作品として加山雄三トリビュート『60 CANDLE』、ミッキーマウス生誕70周年記念トリビュート『We Love Mickey』、『美空ひばりトリビュート』、『THE JAPAN GOLD DISC AWARD 2006』。現在は日本レコード協会の顧問として、『日本ゴールドディスク大賞』のスーパーバイザーを務める。

<ZACKEY.Net> http://zackey.net/oldweb/zackey/news/news.htm
<社団法人日本レコード協会> http://www.riaj.or.jp/

::: INDEX
落語をたしなむ上野黒門町の九代目
学生なのにテレビディレクター!?〜伝説の『11PM』時代
バブルガム・ブラザーズ結成秘話
『夜のヒットスタジオ』の復活劇
日本のスタンダードナンバーを作りたい!
CDを買ってくれた人々が獲らせてくれる賞〜日本ゴールドディスク大賞にこめる思い
音楽でアジアと仲良くするために



1.落語をたしなむ上野黒門町の九代目

−−お生まれはどちらですか?

木崎僕は上野黒門町の九代目です。

−−チャキチャキの江戸っ子ですね。

木崎そうですね。普通三代で江戸っ子と言われる中、僕は九代目ですから。

−−どのようなご家庭だったのですか?

木崎祖父が彫刻家で父が建築家だったんですが、父はとてもスポーツが好きで、小さいときからスキーや海に連れていってくれました。また、何かやりたいと言ったら、すぐにやらせてくれるような家庭でした。

−−とても自由な雰囲気のご家庭ですね。

木崎そうですね。上野は遊び場といっても、せいぜい池之端の不忍池くらいしかないので、学校が終わってランドセルをポンと置くと、家のちょうど裏にあった桂文楽師匠の家へ遊びに行ってました。すると師匠がお弟子さんに稽古をつけているんですが、「座って聴いていきな」と言われて、小学校3年くらいから落語を聞いていました。

木崎 徹氏 −−小学校3年で落語ですか。渋いですね。

木崎お弟子さんが帰った後に、師匠が「あいつどうだった?」と訊いてきて、僕は「あいつは枕の振りが下手だね」なんてことを小学校5年くらいから言っていたらしいんです(笑)。どうも生意気なガキで「師匠! 奴はうまかったねえ」とか「驚いたね、こいつは!」とか落語家のような口調で言ってたらしいです(笑)。それまでにも師匠に連れられて、鈴本演芸場の楽屋から落語を聞いていたので、耳が肥えちゃったんでしょうね(笑)。

−−未だにパッと見ただけで、「こいつはものになる」とわかるんですか?

木崎落語家だけじゃなくて、ミュージシャンも結構分かりますね。例えば、久保田利伸やドリカムやB'zも会った途端に「彼らは絶対売れる!」と思い『夜ヒット』にすぐに出て貰いました。

−−音楽が好きになるきっかけは何ですか?

木崎やはり兄の存在ですね。兄がビートルズ来日公演のチケットがどうしても欲しくて、ライオンハミガキを1年分買ったんです。ですから、家では何年も歯磨き粉がライオンだったんですが(笑)、僕の名前でも応募したらしくチケットが2枚当たったんです。当時、僕はビートルズなんて全然わかりませんでしたが、「絶対に観ておけ」と連れて行かれました。今から考えると、行っておいてよかったなと思います。

−−それはいい経験ですね。

木崎後に日本テレビでビートルズのスペシャル番組をやるとは思いませんでしたが、本当にラッキーでしたね。

−−木崎さんくらいの年代だと、ビートルズはそれほどリアルタイムじゃないですものね。

木崎そうですね。兄がビートルズと加山雄三!と騒いでいて、兄がギターを始めたのですが、教えて貰った僕の方がギターとかすぐに上手くなってしまうんですよ。スキーでも何でも大体そうで、最初に始めるのは兄の方ですが、いつの間にか僕が追い抜いちゃうんです。

−−お兄さんからしてみれば、嫌な弟ですね(笑)。

木崎(笑)。でも、兄は立教大学を優等生で卒業していますから、勉強ではかないませんでしたね。

木崎 徹氏 −−小学校は地元ですか?

木崎小椋佳さんと同じ黒門小学校です。

−−なぜ中学の途中から立教へ行かれたんですか?

木崎実は兄が立教中学・高校と通っていたんですが、もの凄く軟派と言いますか、お坊ちゃま的な印象があって、それが僕は嫌だったので、神田の今川中学校に行ったんです。それで入学式の時に「てめえ、目立ってんじゃねえぞ!」と校庭の裏に連れて行かれて、ボコボコと殴り合ったのが古舘伊知郎なんですよ。彼とはその大げんかで仲良くなりました(笑)。
 中学では軽音楽部に入ろうと思っていたんですが、その中学校の軽音楽部はもの凄くつまらなそうで(笑)、結局、足が速かったという単純な理由で陸上部に入ったんですが、5時になったらすぐに帰れだとか、やはり面白くないんですよ。そうしたら、たまたま立教中学の編入試験があって、2人だけ募集すると。僕は結構勉強していましたし、母親がPTAの役員をやっていて、要するにコネがないと試験自体も受けられないので、それで受けて、受かったのが僕と後に渡辺貞夫さんのところでギターを弾いた秋山一将の2人だけなんです。それで立教中学に2年から編入しました。

−−立教中学に編入されて、学校生活はどう変わりましたか?

木崎立教中学での生活は天国ですよ(笑)。何でもありの自由な校風で、バンドをやれば(ユーミンのいた)立教女学院から大勢見に来てくれますし、高校時代のイブニング・フォークという音楽サークルの島田会長はユーミンの初代マネージャーだったし、クリスチャン・スクール連盟の同期で明治学院にはアルフィーもいましたし、アマチュアのコンサートにみんな集まるわけです。そんな楽しい学生生活を送っていました。そういえば中学3年の時に古館から電話がかかってきて、「木崎、立教どう?」と訊いてくるんですよ。僕は「ここ天国だぞ!」と答えたら、「俺も行く!」と古館は高校から立教に入ってきました(笑)。だから、中学・高校・大学、クラブもクラスも一緒なんです。まさか将来一緒に『夜ヒット』でコンビを組むとは思ってもいませんでしたよね。

−−音楽は中学時代からやっていたんですか?

木崎バンドを立教中学からやっていて、立教高校1年の時にライトミュージックコンテストの東京大会で3位に入り、関東甲信越大会に出場しました。その大会には南こうせつとかぐや姫も初出場していました。後に『夜のヒットスタジオ』であった時、こうせつさんが「せっちゃん」でいいよ!と言ってくれたのは、そのとき一緒にやっているからでしょうね(笑)。
 それで高校2年の時に僕は軽音楽部のキャプテンをやっていたんですが、僕らのバンドに憧れて、クラブに入ってきたのが佐野元春なんです。これは自慢じゃないですが、元春にCSN&YのオープンDチューニングを教えたのは僕なんです(笑)。そのあと、大学に入ってから勿論音楽は続けるのですが、「ZIGZAG」というテニス愛好会を作ったり、フリースタイルスキーのクラブを作ったり、当時7つくらいクラブを兼任していて、そのうち4つのクラブでキャプテンをやっていたので(笑)、何が何だかわからないような状況でした。

−−スキーもおやりになるんですか?

木崎はい。自慢じゃないですが、三浦雄一郎さんにフリースタイルスキーを教えたのは僕らなんです。僕らのチームのリーダーがアメリカで「ホットドッグ」というのを習得してきて、立教でフリースタイルスキーのクラブを日本で初めて作りました。中里昭和というメンバー制のスキー場で練習していたら、三浦さんが「それは"ホットドッグ"だろ。リフトが終わってから教えて!」と言ってきたんですね。僕らは「世界の三浦雄一郎にスキーなんか教えられませんよ」と言ったら、三浦さんは「そのスタイルは一番新しいやつだから教えてほしい」と。
 「リフトが終わっちゃったらどうするのかな?」と思っていたら、三浦さんがリフト小屋まで行って「2時間よろしく!」と声をかけたら、いきなりリフトが動き出しました(笑)。それで僕らが半年くらいかけて習ってようやく習得したものを、三浦さんは2時間で覚えちゃいましたね。でも、三浦さんがあれだけ転んでいる姿を見たのは、僕らしかいないんじゃないでしょうか(笑)。
 その後、三浦さんは「君たちは僕の先生なんだから、今日からプロスキーヤーだ!」とおっしゃっていました。「プロライセンスあげるからロッジに来い」と言われましたが、さすがにそれは冗談だろうと行きませんでしたが、後で聞いたら本当に用意してくれていたそうでした。行けば良かった(笑)。

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