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中村伊知哉氏


 廣瀬禎彦氏の紹介で、今回ご登場頂いたのは、スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事 中村伊知哉氏です。京都大学在学中にはロックバンド「少年ナイフ」のディレクターを務め、郵政省入省後は主にメディア関連に従事され、マルチメディア政策やインターネット政策を推進。退官後はMIT客員教授をはじめ、様々な団体の要職を歴任されている中村氏。ご自身のユニークな経歴や、ご専門であるITメディアと音楽との今後についてお話を伺いました。
プロフィール
中村伊知哉(なかむら・いちや) 
スタンフォード日本センター研究所長/国際IT財団専務理事


1961年生まれ、京都市出身。京都大学経済学部卒。在学中はロックバンド「少年ナイフ」のディレクターなどを務める。
1984年、郵政省入省。電気通信局で通信自由化に従事した後、放送行政局でCATVや衛星ビジネスを担当。登別郵便局長を経て、通信政策局でマルチメディア政策、インターネット政策を推進。
1993年からパリに駐在し、1995年に帰国後は官房総務課で規制緩和、省庁再編に従事。
1998年、郵政省を退官し渡米、MIT客員教授に就任。(社)音楽制作者連盟顧問、 NPO「CANVAS」副理事長、(株)CSK顧問、ビジネスモデル学会理事、芸術科学会評議員。
2002年9月からスタンフォード日本センター研究所長を兼務。
2004年4月から国際IT財団専務理事/事務局長を兼務。著書に『インターネット,自由を我等に』(アスキー出版局)、『デジタルのおもちゃ箱』(NTT出版)など。
<中村伊地哉氏ホームページ> http://www.ichiya.org
<おとコトひろば> http://www.otokotohiroba.com/



::: INDEX
パンク発 郵政省行?
たった一人のマルチメディア&インターネット担当
パリでの「公然スパイ」活動
日本の活路は1億人パワーの発揮!
「役所なんか辞めて外に出なさい」〜人生を変えた廣瀬氏の一言
気軽に音楽を作れる場〜キッズプロジェクトの試み
デジタル千年周期の始まり
恋人の声に打ち勝つ音楽を!

パンク発 郵政省行?

中村伊知哉氏 −−ご出身は京都ということですが、大学までずっと京都にいらしたんですか?

中村:そうです。

−−そして、在学中に少年ナイフのプロデュースをなさっていたんですね。

中村:はい。詞や曲を書いたり、ちょこっとギターを弾いたりしている裏方ですね。彼女達を見てるとピュアでちゃんと表現しようとしてるので、自分はそれを下で支えたいなという気持ちがありまして、今もずっとやっています。

−−ご自身はもともと音楽の道に行こうという気持ちはあったんですか?

中村:ありました。というか大学の時は音楽しかしていなかったですね。当時は日本のパンクが出てきた頃で、ちょうどその辺りの方々と音を鳴らしていました。私の数年上に近藤等則さんがいらして、2年上にボ・ガンボスのKYON、2年下に亡くなった どんとがいました。

−−みんな京都大学なんですか?

中村:そうなんです。KYONは滅茶苦茶頭の良い工学部で、近藤等則さんも工学部ですね。近藤さんはここ(スタンフォード日本センター)によく来ますけど、僕が大学にいた時は西部講堂の辺りで、いつも朝から晩までトランペットを吹いている人っていう感じでしたね。

−−(笑)。

中村:西部講堂というのは別に大学も何も関係なく、みんながごろごろいる所なので、あとで大学の先輩だと知ったんですけどね。

−−京都に行くと、街全体がすごいアカデミックな感じがしますよね。鴨川の所でギターを弾いていたり、一人楽器練習してる人とかいて。

中村:京都の街の力というか雰囲気というのはあるかもしれないですね。

−−独特の風土がありますよね。

中村:学生にとっては居心地が良くて、かつ縛られないで変なことをしなさいというところがありますからね。京都から任天堂が生まれたり、京セラが生まれたりと、変なものが出てくる風土かもしれませんね。

−−日本の中の街で1番かっこ良くて雰囲気のあるのは京都だと思いますが…。

中村:千数百年の歴史文化みたいなものと、最先端のエッジの立った所と両方あるんで、そこが面白いんでしょうね。

−−ちなみに中村さんは、楽器は何を弾かれていたんですか?

中村:ギターやベースを弾いたりはしてましたけど、一番熱心にやったことは楽器作りみたいなことですね。

−−楽器作りですか?

中村:田舎によくかかっているオロナミンCやベープマットの看板を取ってきて、叩くとどの看板が1番良い音がするかとか(笑)。

−−(笑)。

中村:ビール瓶を割ると、どの瓶が1番効果的な音が出るかとか、そんなことばっかりやってましたね。

−−サンプリングのはしりですかね。

中村:サンプリングも何もしないで舞台の上で瓶をガシャーンと割っていただけです(笑)。

−−(笑)。バンドを組まれていたんですか?

中村:だから、そういうバンドとか、パンクバンドみたいなやつとか色々やっていたんですが、たまたまその1つが少年ナイフだったわけです。

−−そこから何故突然、郵政官僚に転身したのですか?

中村:「こいつには勝てないな」と思う出来事があったんですよ。

−−具体的にはどんなことがあったんですか?

中村:西部講堂の辺りで大学3年の時に、夜中にギターを弾いてると、モヒカンで、シンナーで歯が溶けたような人が、自分の目の前でビール瓶集めているわけです。「何してるの?」と聞いたら、そのビール瓶を翌日酒屋さんに持っていくと1本10円で代えてくれるから、それで俺はパンを買って食うって言ってるわけですよ。だけど、ギターはフェンダーのムスタングか何かを持っていて、それはピカピカに磨いて絶対売らないわけです。その時に「こいつには勝てない」と思ったんです。

−−既に生き方がパンクだと。

中村:はい。では自分に出来ることは何かと思ったら、そういう人達の表現を何とか上手くいくようにするとか、新しい技術をみんなが上手く使えるようにするとかそっちかなと思ったんですね。考えたらそれって広告代理店なのか通信会社なのかテレビなのか、なんだろう? と思ったんですが、そういうのをいろいろ見てる郵政省という存在に気がついて、じゃあそこへ行こうと思ったんです。

−−そういう発想なんですか(笑)。

中村:そうすると公務員試験というのを受けなきゃいけないので、それからガリガリと勉強を始めました。その当時、西部講堂のイベントでモギリをしながら法律書を読んでいたら、モヒカンの連中に「こんなとこで勉強すんな!」って怒られました(笑)。

−−(笑)。結局、音楽のために公務員になられたわけですか?

中村:音楽が自分的には柱だったんですが、表現とかコミュニケーション一般のためですね。それをやりたいなというのはその頃からずっと変わらないです。

−−そんなこと考えて官僚になる人っているんですか?

中村:自分は官僚になりたかったというより、郵政省に行って仕組み作りやプロデュースみたいなことがしたいと思ったんですが、そうすると公務員にならなきゃいけないという「後ろめたさ」みたいものもありましたね(笑)。

−−なるほど。何かイベントを仕掛けたいと思って電通に行くみたいな発想だったんですね。

中村:そうかもしれないですね。自分的にはすごく素直な発想だと思うんですけどね。

−−ちなみにお役所の試験というのは各省でやるんですか?

中村:筆記試験というのはみんな一緒にやるんですが、それで受かった人が「ここ入りたい」と希望を出すわけです。それで私は郵政省に行きたいと言ったんですが、東京で面接ですから、その時、東京に行くお金もないし、何か東京に用事がないと行けなかったので、東京でP-Modelとライブをやると言って、「今日ライブなんでこんな格好で来ました」と蝶ネクタイで面接に行きました(笑)。「変な人が来た」と言われましけど、結局何とか入れてくれましたね。今から考えるとよく入れてくれたなと思いますね。

−−(笑)。

中村:まあ、入り込んでしまったということですかね(笑)。

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