−−前回の林 博通さんとはいつ頃お知り合いになったんですか?
丸山:キョードー・ウドー全盛期に第三勢力として、林さんがリスクを負って色々おやりになっているときに知り合いましたから、長い付き合いですね。
−−林さんはとてもエネルギッシュな方でした。
丸山:林さんは極めて合理的な考え方をする真っ当な人だと私は思っていたんですが、その真っ当な考えが業界に通じないといつも怒っていましたね(笑)。その怒り方がとても激しくて私は好きでした。時々林さんに会うと、業界の人々を片っ端からまな板の上にあげて、「あいつは駄目だ」「こいつは駄目だ」とやるわけですよ(笑)。しかし彼一流の見方は「もっともだな」と思うことも多くて凄く面白かったので、しょっちゅう一緒にご飯を食べながら悪口を聞いていました。彼の会話にはリズム感があって、会話をしながらラップを聴いているような気分になったものですが、最近はジェントルマンになってしまったので、面白くないんですよね(笑)。
−−それでも取材でお会いしたときはすごい勢いを感じましたよ。
丸山:最近一緒に食事をするときに「お前最近面白くないぞ」とか言うと、「丸さん、私だって大人になったんですよ」って言うんです(笑)。人間はお金が儲かり始めると保守的になる、その典型が林さんですかね(笑)。最近は業界内でも林さんの悪口を言う人は少なくなったと思うんですが、私は最近になって悪口を言い出していますね(笑)。
−−(笑)。昔は林さんの考えが業界内で通じなくて怒っていたと先ほど仰っていましたが、林さんに対して反発も凄かったんですか?
丸山:林さんが「こうあるべきだ」と言うことを、みんなが「NO」と言ってましたからね。最近は林さんが言っていることの方が合理的であると理解されてきましたね。
−−その「合理性」という部分に関しては、林さんはインタビューの中で力説されていました。
丸山:
私も林さんが言っていることの方が合理性があるとずっと思ってきましたからね。そうやって合理性のあることを言っているのにみんな「違う」とか「協力できない」と言うから、彼は悪口を言うわけです。それは人格の誹謗ではなく、合理性があるにもかかわらず、それに対して「NO」と言うとは、なんという奴らなんだ! という部分が林さんの中にはありましたからね。
−−不合理なことに対する理不尽な思いがあったと。
丸山: そうですね。
−−対して丸山さんは林さんにとって良き理解者であったわけですね。
丸山:理解者というほど林さんと私は年が離れていませんよ(笑)。でも、私がソニー時代に林さんと一緒にZeppを作ったんですよ。
−−そうだったんですか! 知りませんでした。
丸山:その当時、音響とPAの会社がコンサートの中で占める比重があまりにも大きくて、彼らはフィーですから必ず支払わなくてはいけないんですが、キャパが2000人の小屋で500人しか入らなくても、そのフィーを取っていくんですね。ですからどんなに私たちがしっかりビジネスをやったとしても、コンサートをやったらアーティストに入ってくるお金はゼロで、周辺の人間ばっかり儲かってしまうという構造があったんです。
−−業者だけが儲かってしまうと…。
丸山:そうです。会場の借り賃であり、PA、照明、それに付随したイベンター、トランスポート、あとミュージシャンですよね。これらの人たちはみんなギャランティーをもらいますが、本人だけがもらえず、アカを被るという不思議な世界がずっと続いたんです。それで最初に林さんと「照明をやろうか?」と話し合っていたんですが、それも大変だなと思っていたときに赤坂ブリッツが出来て、「こういうふうに楽器だけ持ってくればいい環境を作れば、全ての問題が解決する」と思い、Zeppを全国に作りました。
−−Zeppの発案者は丸山さんだったんですか?
丸山:私というよりも私と林さんの2人が「照明役から始めよう」というのが発展してZeppになったんです。ですからZeppの発案者は林さんですよ。
−−ここからは丸山さんご自身のお話を伺いたいのですが、ご出身はどちらですか?

丸山:生まれてからずっと東京です。私は昭和16年生まれですから戦前の生まれなんですが、飯田橋のそばの大曲というところに同潤会のアパートがありまして、そこに住んでいました。戦争で周りが全部焼けてしまってもそのアパートだけ鉄筋ですから残って、戦争が終わってからもそこにいました。
−−いつ頃まで同潤会アパートにいらしたんですか?
丸山:学生の間はそこにいたんですが、結婚して市ヶ谷に移りました。そうしたら、その家から歩いてわずか50メートルくらいのところにCBSソニーが引っ越してきてしまったんです(笑)。
−−通勤費いらずのいい社員ですね(笑)。
丸山:会社が引っ越してきたときは参っちゃいましたね(笑)。最初は市ヶ谷から六本木まで通っていたんですが、CBSソニーは5年で儲かったので市ヶ谷に自社ビルを造って、引っ越したんです。本当に嫌でしたよ(笑)。ビル建設が始まったときに「こんなところに会社が来ちゃうのか…まいったな」と思いましたね(笑)。会社終わってからわざわざタクシーに乗って六本木まで飲みに行って、また帰って来るという感じでしたね(笑)。
−−ご兄弟は?
丸山:姉と弟の3人兄弟です。
−−丸山さんのお父様は丸山ワクチンの開発者である丸山千里博士というのは有名なお話ですが、幼少時はお坊ちゃまだったんですか?
丸山:微妙ですよね。父はちゃんとした学者ですから、グレるわけにはいかないというところがありますよね。もともと自分も医者になろうと思っていました。
−−そうなんですか。
丸山:医者になろうと思っていたけど、出来が悪くて医者になり損なったんです。
−−ご兄弟の方々の中でお医者さんになられた方はいらっしゃるのですか?
丸山:姉は女ですからそういう気がなかったんですが、家中で医者になるのは私だとみんなが了解していて、弟も医者になる気はなかったですね。よくあるじゃないですか? 小学校の時に天才、中学でそこそこ、高校に入って超低空飛行になっちゃったというパターンだったんです(笑)。でも親は子供の頃のイメージで私はちゃんと医者になれると思いこんでいましたから、ならなかったときに愕然としていましたね(笑)。
−−その件に関しては親不孝だったんですね(笑)。
丸山:そうですね(笑)。
−−では、お医者さんを継がれた方はいらっしゃらなかったわけですね。
丸山:ただ開業医ではなかったので、「仕方がないな」という話になって、私は文系に進みました。
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