−−そういったヒット曲系の音楽から映画・ドラマの音楽を手がけるようになるきっかけはあったんですか?
松本:僕の叔父は70歳でまだお客さんを集めてコンサートをしていたんです。しかも、今は亡くなっているにもかかわらずメモリアル・コンサートをやると、スイート・ベイジルが一杯になるわけですよ。その70歳くらいまで音楽家をやっている人生って素晴らしいなと思いまして。たくさんヒット曲はあっても結局消費されていってしまうだけじゃないですか?一番すごいときはオリコンを見ると僕がやった曲が片側だけで6曲載っていたことがあるんですよ。だけど、結局消費されていくだけだし、アレンジャーっていうスタンスって職人の最たるもので、そういうところで10年さらに10年ってやっていくよりも、インストゥルメンタルの音楽だけれども、自分のカタチになるようなものをやっていくほうがいいんじゃないのかな、と思い始めたのが90年代の途中くらいからなんですよね。
−−人のためというよりも、自分の音楽を考え出すわけですね。
松本:ヒット曲を狙うとすると、例えばイントロは短く派手な感じにして、Bメロはちょっと落としてリズムを薄くして、サビの前にキメがあってドッカーン、みたいな時代だったんですよ。そういう形にアレンジャーとしては囚われている部分というのもあったので。
−−ヒットを期待されて仕事をしている以上しょうがないですよね。逃れられないというか。
松本:時代的にそのあとプロデューサー時代があったじゃないですか?その後、インディーズや、R&Bだったり、今だと自分がやりたい音楽をカルチャーを持ってやっていて、そのカルチャーの代表みたいな人が人気があって、ムーブメントの村社会みたいなところで成り立っている音楽シーンに変わりましたよね?その中で乗り遅れた人は、仕事がなくなってしまったというのが多いんですよね。僕がやり始めた80年代に仕事をいっぱいやっていても、「今どうしているのかな?、あの人」っていう人のほうがたぶん多かったりして…。その中で70歳くらいまで叔父が音楽家としてやっている。僕もそこを目指さなくちゃいけないのかなと思ったんですよね。そんなところから、映画の仕事とかを始めたんです。80年代は、ロック・バンドの人もあれば、女の子のポップスの曲があったり、いきなりボサノヴァやったりと、何でもできるし逆にどんな仕事でもひとりのところに集まるような時代だったんですけど、今みたいな形に音楽シーンが変わっていく中では、自分のやりたいことをもっと明確にしないといけない。あと森田君もそうですけど、今この時代のこのタイミングで一番新しくてかっこいい音楽というのは何なのか、と日々考えたりする中で、やりたいことが少しずつ変わってきたんですね。アーティストともアルバムで1曲だけといった形で今までやっていたことを、1年とか時間をかけてプロデュースしたりね。例えば、ASKAとはアルバム1枚で曲を作るところから、マスタリング、そしてコンサートを回るところまでプロデューサーとしてがっぷり付き合うというような仕事のやり方に変えたり。その中でASKAとは気が合って、それまで作曲家のプロダクションにずっといた人間が、「松本、一緒にやろうよ」ということで現在の事務所に移ったんです。だから、これからはもうちょっと「松本晃彦」っていうものを全面に押し出していきたいなと思っています。
−−先ほどもお話に出ましたが、叔父様の松本英彦さんの影響は大きいですか?
松本:若い頃はもう恐れ多くて、一緒にセッションしたりしませんでしたが、数年前にサントリーホールで一緒にリサイタルを開いたんです。やっぱりあの世代の人は楽器の技術が卓越してますよね。僕はスタジオでアレンジャーをやっているので、この譜面はどれくらいの難易度で、何テイクくらい録ると時間内で収まるかっていうことを日々わかっているんです。でも、叔父はリハーサルでも1回演奏するぐらいで、もうほとんどパーフェクトなんです。ジャズってそれが当たり前の世界で、びっくりしたこともありましたね。
−−叔父さんの凄さを大人になって改めて思い知らされたと。
松本:そうですね。あとインタビューでもよく話すことなんですけど、叔父はサックスを持たないと無頼の人というか、普通のおじさんなんですよ。たぶん音楽のこととか、サックスを吹くときにいいプレイができるかどうかってことしか考えてなくて、他のことは奥さんがやっているような(笑)。今から10年くらい前なんですけど、一曲に対して努力はしているんだけど、締切に追い込まれたりして、自分の中でいい演奏とか、いい楽曲を作る暇を与えられない状態になってしまったときに、叔父さんと一緒に演奏をしてみると、僕に比べて70歳の叔父の方が音楽に対して自由で、僕の方が若いのに背負っているものが多いような気がしちゃって…。その時期から「叔父みたいな音楽家の人生を送るには、どうしたらいいのだろう?」ってことを考え始めて、今ちょっと自由になってきたかなって感じはあるんですよ。
−−本当に大きな影響を受けてらっしゃるんですね。
松本:実を言うと、どんな考えで、どんな風に暮らしているのかよくわからない人だったんですよ(笑)。
−−普通の人が興味を持つようなことには興味がない?
松本:本当に音楽だけ。どちらかというと無口なタイプで、自分で感情とかを表すようなタイプじゃなかったんですよね。で、いつも寝ているようなので、「スリーピー」ってあだ名が付いてて(笑)。たぶん米軍キャンプを回っているときに、外国人がそのあだ名を付けたのだと思うんですけど。もう亡くなってしまいましたが、もし生きていたらもっとセッションをしたかったですね。
−−直接音楽を教わったことはないんですか?
松本:スケールがどうのとか、教わったことはないですね。ただ、たまに音楽の話をすると叔父はチャーリー・パーカーの世代なのに、「マイケル・ブレッカーと同じリードを買ってみたんだよ」とか、数年前には「ケニーGのフレーズをちょっと真似してみたんだけどさ、今まで自分がやってきたパッセージの捉え方とは、どこか違うような気がするんだよね」といった話になったりとか(笑)、若いんですよね。新しいものを吸収しようとしてたそのスタイルが。僕もそういうところを目指しているので、森田君とかもたぶんそうだと思うんですけど、何か新しいこととか、今までに人がやっていないようなことってなんだろう?って考えたりするので、70歳になってもまだ新しいものを取り入れてっていう叔父は、素晴らしいなって思います。
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