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松本晃彦氏 年間100曲を手掛ける売れっ子アレンジャー時代

−−今までの所属はどのような感じだったんですか?

松本:ハーフトーン・ミュージックから、ロックオン・カンパニーに行って、今ロックダムアーティスツですね。それで、清水さんとかと付き合うようになって、プロフェッショナルのやり方みたいなものを学ぶことができましたね。スタジオ・ミュージシャンとかミュージシャンって、たまたま同じ世代にかたまっている最後の世代なんですよね。僕と清水さんとギターの佐橋(佳幸)君。僕はアレンジの仕事をもう20代前半くらいで始めたんですけど、鈴川君とかドラムの江口(信夫)君とかギターの是永(巧一)君は、15、6年〜20年くらいの付き合いなんですよね。みんな20代の前半くらいからスタジオ・ミュージシャンとか、コンサートのサポートとかをやるような世代だったので。

−−その世代は寿命が長いですよね。

松本:というか、その下の世代がきっとコンピューターを中心とした世代なんですよね。だからプレイヤーっていうところでは一番集まっているところですよね。

−−層が厚いですよね。

松本:僕は同じ世代のスタジオ・ミュージシャンの人とやりたいと当時から思っていたので、その世代の人たちと20年間音楽を作ってきたなって感じはあるんです。

−−強力な世代ですね。

松本:もう、20代の前半に友達になった人たちが、そのまま今も付き合っているし、その人たち以外に新しい人はあまり出てこなかったですよね。

−−20代前半でアレンジャーになれる人っていうのは限られていると思うのですが。

松本:清水さんなんか10代からだし、いわゆるアレンジャーの最後の世代という感じだと思いますが、その前の世代の人は、例えば佐藤準さんとかみんなすごく若い頃からなさってましたよね。シンセサイザーの黎明期みたいな時期だったので、キーボード奏者がアレンジャーになるのは全然不思議じゃないことだったんでしょうね。

−−それにしてもアレンジを手がけられた曲が1500曲以上ってすごいですね。

松本:そうですよね。一番すごいときは1日2曲とかやってましたね。今みたいに色々なことができない時代だったんですよね。テープレコーダーもデジタルじゃなくてアナログのマルチしかなかったし、だいたいCDじゃなかったし、アナログのレコードしかない時代。CDが出てきたときに「こんなのになっちゃうんだ」って思ったくらいですから(笑)。だから、ドンカマみたいなものを聞きながらみんなで一斉にリズムを録って、ストリングスを重ねたりとか、シンセサイザーのメロディをちょろんと弾いたくらいしかできない時代だったわけです。デジタル技術っていってもその程度で、レコーディングの手法もあまり多くなくて、オーソドックスなやり方だけでしたから。そこから3、4年でものすごく変わってしまったんですよね。ちょうど僕なんかも20代前半と若かったので、新しいことをやろうとしていましたけどね。

−−スタジオ・ミュージシャンが1日でスタジオを何軒も駆け回るような時代から生き抜いてきたと(笑)。

松本:そうそう(笑)。

−−'87年に吉川晃司を手がけられて以降は、まさに売れっ子状態ですね。

松本:90年代の前半くらいまでは、ものすごく働きましたね(笑)。当時はカメリア・ダイアモンドとか、ブティック・ジョイみたいなのとか、あの辺でかかっている曲はほとんどやりましたよ。久宝留理子とか鈴木雅之とか。80年代終わりくらいはアイドル歌手全盛時代だったので、小泉今日子さんとか。

−−1年に何曲やったって感じなんですか?

松本:一番すごいときは100曲以上はやったんじゃないですかね。

−−それって簡単にできることなんですか?

松本:できないですよ(笑)。今みたいにプリプロ・スタジオみたいなところである程度できたものをバーンといけるわけじゃなくて、いちいちマルチに全部録らなくちゃならなくて、それもアナログのシーケンサーとかMC-4みたいな時代。1個ずつ全部録んなきゃいけなかったり、録りながらタイミングも合わせなければならなかったりとか、すごく時間がかかりましたね。何でこんな時間がかかるんだろう?ってくらいに。

−−体力的にも大変な作業ですよね。

松本:若いからできたんでしょうね。

−−その頃はコンサートの仕事もなさっていたのですか?

松本:やってましたね。ツアーの移動日に僕だけ東京帰ってレコーディングしたり。ツアー終わってホテルでみんなが打ち上げしているところを、俺だけ1人譜面書いていたりとか、そういうことが多かったですね。

−−何で断らなかったんですか?

松本:うーん、何かね仕事したかったんでしょうね。やっぱり大学を卒業しなかったんで、その分仕事を一杯していないと絶えず不安な時期っていうのがあったんじゃないですかね。

−−そんな時期があったんですか・・・。

松本:そうですね。今もフリーの仕事だと思えば、危機感はあるんですけどね。まあ学生も長かったですから、26まで学生でした(笑)。


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INDEX
音楽一家に育った少年時代
内定もらって就職せず〜大学4年の決断
▼ 年間100曲を手掛ける売れっ子アレンジャー時代
自分のカタチになるような音楽を作りたい〜叔父・松本英彦の影響
飛躍の「踊る大捜査線」
音響システムの進化──5.1chシステムの未知なる可能性
日本人ミュージシャンの使命〜世界進出の3本柱


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