−−ロードランナー・ジャパンの森田和幸さんとのご関係からお話ししていただきたいのですが。
松本:森田君とは、もう15年くらいの付き合いです。彼がまだ織田裕二さんのマネージャーをしていたときに、織田君のアルバムの制作で出会ったのが最初の出会いですね。それ以来、彼自身がプロデューサーで、その時に僕が編曲の仕事をしたり、サウンド・プロデューサーの仕事をしたり、必ず何年かに1回はご一緒させてもらっています。最近だと「踊る大捜査線2」は彼が音楽プロデューサーで、僕が音楽担当って感じで。彼は新しい音楽とかにもすごく敏感で、それでいて音楽ビジネスとして大事な要所要所はしっかり押さえているという部分もあって、刺激しあっているなという感じはありますね。
−−どこかウマがあうという感じですか?
松本:彼の場合は、「将来こういう風になっていたい」という計画をわりと若い頃から持っていて、現状の音楽シーンに対する分析をしているようなタイプだったので、そういう話もしましたし、今も会ったりすると音楽シーンの将来像とか、現状の分析みたいな話をします。
−−この間、森田さんにインタビューさせていただいたときも、通常の3倍くらい語っていただいて・・・(笑)。
松本:すごい情熱ですよね。彼は20歳くらいから変わりませんよ。
−−情熱がほとばしってました(笑)。松本さんのご出身は東京で、誕生日が2月14日、バレンタインデーですね。東京のどちらですか?
松本:世田谷で生まれたんですけど、ヤマハに勤めていた父は転勤が多かったもので、子供の頃から引っ越しが多かったんです。父は音楽教室をやっていたり、財団にいたりとかしたんですけどね。ヤマハの音楽教室でカリキュラムみたいなものを作る仕事をしていたんです。
−−お父さんも音楽に関わられていたんですね。
松本:そうです。ヤマハを定年退職になったあとで、音大の講師をやったりもしていました。一応そういう影響もあって、うちの姉も作曲家になりましたし。
−−本当に音楽一家ですね。
松本:あと、父は「外国部」っていう部署にいるときもありましたね。今は、世界中でヤマハの楽器を売っていますよね。たぶん父はヤマハの教室を世界中に作って、そこのお客さんにヤマハの楽器を使ってもらうというようなシステムの中で、カリキュラムみたいなものを作る草分けだったと思うんですよ。僕や姉とかも、音楽教室の実験材料みたいな部分もあって、海外に出張しては現地の楽器、例えばペルーのケーナとかを買って帰ってきたりして、家には色々な楽器がありましたね。もちろんフルートやヴァイオリン、ピアノとか、普通の楽器もあるんですけど、それだけじゃなくてインデオ・ハープとか、沖縄の三線、あとギターに進化する前のナイロン弦四弦の楽器とか、雅楽の笙とか、マニアックな楽器がいっぱいあったんですよ。そういうのを子供ながらに遊びで弾いてました。
−−意識する前から音楽的環境はバッチリ整っていたんですね。
松本:ピアノやフルートも習っていたんですけど、ヴァイオリンがあったり色々な楽器があって、なんとなくこの楽器はこんな風に演奏しているんだろうなっていうことを遊び弾きで覚えたのが、今サウンドを作る上では役立っているのかなとは思います。
−−子供の頃からマルチプレイヤーですね。
松本:いや(笑)、正式に習った楽器とは違いますから・・・。
−−現在何種類くらい楽器が弾けるのですか?
松本:どうでしょう…。最近ってそんなに演奏能力が高くなくても、コンピューターでエディットできるので、音色が欲しいってときは僕でもできるんですよ。だけど、卓越したプレーが欲しいときは、スタジオ・ミュージシャンの皆さんがどうしても必要になります。「まあ、だいたいこんな感じ」というデモ的なものを自分で弾いて、それをスタジオ・ミュージシャンの方に聴いてもらって、ちゃんとした演奏をしてもらうというようなことですね。
−−職業を意識する前から、音楽があるのがごく当たり前の生活であったということですね。
松本:そうですね。
−−少年時代から音楽漬けだったんですか?
松本:いや、そんなことはないですよ。
−−では、ごく普通の学生生活ですか。
松本:テニス部でしたしね(笑)。早稲田の付属高校だったんです。だから、大学受験もなかったものですから、その分ピアノを弾いたりするチャンスに恵まれたのだと思います。
−−バンドは組まれていなかったのですか?
松本:中学生くらいからギターを弾いたりしてて、高校のときはフュージョン、クロスオーバー全盛。そのあとにニューウェーブとかパンクという流れがあって、すごく刺激的なことが多かったですよね。楽器奏者としてジャズに興味を持っていたり、練習したりしつつ、時代はシンセサイザーとかデジタル黎明期みたいなところもあって。普通は「この道一筋」みたいな感じになっちゃうんでしょうけど、僕の場合は面白そうなものがあると飛びついちゃったりするものですから(笑)。ある日、ジャズを弾いていたかと思うと、ニューウェーブみたいなものを聞いてみたり、そういうことが多かったです。
−−じゃあ、1つのスタイルでバンドをずっと続けていたということではなくて、プロデューサー的な感じですか?
松本:そんなに深くは考えていなかったですけど(笑)、アメリカンTOP40みたいなものも好きでしたし、クラシックも聴いてましたし。
−−ピアノはずっと続けられていたのですか?
松本:ピアノは、途中でやめちゃったのかな?クラシック系は途中でやめてしまったのですが、中学生くらいになると音楽にまた興味を持ち出すじゃないですか?そんなときにまたピアノを始めたりしましたね。
−−ちなみに子供のときはどんなお子さんだったのですか?
松本:お調子者でした(笑)。転勤が多かったからでしょうね。ひどいときは2年に1回くらい転勤していた時期があって。
−−今まで住んだ町というと?
松本:まず、世田谷でしょ、横浜、浜松、九州、横須賀、川崎だったり転々と。ほとんど旅のような(笑)。
−−友達を作るの大変ですよね。
松本:初めのうちは大変なんですけど、慣れちゃうんですよね(笑)。それでその地方の方言とかを3ヶ月で覚えちゃったりとか、そういうことができるようになるんですよ(笑)。
−−方言を覚えるのが溶け込む近道ですか?
松本:たぶんそうなんですよね。例えば、すごく方言があるところに横浜から引っ越していくと、最初はちやほやされるけど、本当の仲間意識みたいなものは持ってもらえなかったりするんです。やはり地元に溶け込まないと。
−−「よそもん」っていう。
松本:そういう感じになりますよね。
−−そうすると何カ国語かしゃべれる感じですよね。
松本:わからないですけどね(笑)。ただコンサート・ツアーでその地方に行くと友達に会えたりして、それはそれで楽しいです。
|