−−ナベプロに行くと決めてしまったと(笑)。
森田:そうなんです(笑)。ここしかないと(笑)。なぜレコード会社がイヤだったかというと、当時は当然新卒採用で狭き門ですよね。募集要項見ると、学歴重視じゃないとは謳いつつ、「英語力必須」って書いてあったりして(笑)、「なんだ、全然ロックじゃねぇじゃん」って思ったんですよ。それで本命はナベプロにしておいて、試しに何社か受けてみたんです。当時は青田買いがありましたよね。事前のマスコミセミナーで論文を書いて出して、論文が通った人が面接に呼ばれるんです。それで某社のセミナーに参加して、面接に行きました。メーカーは「個性重視」っていうの謳い文句にしてますよね。僕はそれを真に受けて(笑)スーツを着ないでTシャツと友達に作ってもらったジャケットを着ていったんです。そういうヤツがいっぱいいるだろうと思ってたらそんなの誰もいない(笑)。みんなリクルートスーツで慶応とか青学とか早稲田とか、いい大学ばっかりなんです。俺だけ北里の水産学部で、全然違うんですよ。
−−笑っちゃいますね(笑)。
森田:最初は集団面接ですよね。ほかの人の受け答えは典型的な、就職面接の勉強してきたような模範解答なんですよ。ハキハキと答えるし(笑)。
−−質問もそういう質問なんですよね(笑)。
森田:そうなんですよ。俺なんて全然そんなこと考えてなかったから、「なにこれ〜」って思いましたね。「どうしてスーツ着てないの?」って聞かれても「自分の個性をアピールするためです」って答えればそれがアピールになると僕は信じてましたからね。結局は何次面接かで落ちたんですけど、そのときも「ダメだな、わかってないな〜」とか思ってて(笑)。
−−すごい強気ですね〜(笑)。
森田:ほんとに信じられないくらい強気だったんですよ。俺はナベプロに入るんだから関係ないやって(笑)。当時のプロダクションで新卒採用しているところはほとんどなかったんですけど、ナベプロは毎年やっていて、募集時期が少し遅かったんですね。前年度に渡辺晋さんが亡くなった直後で、今年はあまり(新卒を)とらない、って言われていたんですけど、新卒採用があったんで受験しまして…けっこうトントン拍子で選考に残ったんですよ。最終は合格者だけ参加して、会長と面接だったんですが、その手前で落っこちたんです。
−−落ちちゃったんですか!
森田:そうなんです。興味を持ってくださる面接官の方もいらっしゃったんですけどね。格好も格好だったし、「そのジャケットどこで作ったの?」「友達に作ってもらいました」とか、そういう会話をしたり…逆にカタイ面接官の方もいて、結局落ちてしまいまして。落選の通知が来てびっくりししましたよ(笑)。どうしようかと思って悩みました、岩手の海を見ながらね(笑)。
−−絶対受かると思っていて落ちてしまったと。
森田:二十歳の時に音楽業界に就職すると決めて、当然親に大反対されたんですよ。母親には「縁切る」って言われて…やっぱり親は地元に帰ってきて欲しかったんだろうし、せっかく大学入れたのにちゃんとした職業についてほしいと思ってたんでしょうね。音楽業界が職業として認められてなかったし、東京にいればまだしも、地方にいたらわからないですよ。それで大反対されたんですが、「音楽業界で骨を埋めたいからやらせてほしい。絶対逃げて帰らないから」って啖呵切ったんですよ。父親にもそうやって説明して、「成功するまで帰ってくるな」って言われて。だからなにがなんでも受からなきゃダメだったんです。絶対通ると思ってたし(笑)。それでナベプロの人事部長さん宛に手紙を書いたんです。なぜ落ちたか知りたい、っていうのと、こういうすればナベプロは変われる、っていう提案をレポート形式で書いたんですよ(笑)。
−−提案ですか(笑)。生意気ですね〜(笑)。
森田:これからは日本のロックがもっといいバンドが出てくるし、ビジネスモデルとしてもどんどん出てくるだろうから、そういうジャンルに強い人間がいないといけない。そうすればナベプロはメジャーとアンダーグラウンドのバランスがよくなる、というようなことを延々と書いたんです(笑)。えらそうにね、たかがド素人が(笑)。「だからバイトでもビル掃除でも警備でもいいから入れてください」って。そうしたらありがたいことに当時の人事部長からお返事をいただいて…「君の言ってることはよくわかるし、提案ももっともだと思う。ただ、一度決まったことは覆せないし、どうすることもできない。君の個性はとても面白いと思うけど、今年は新卒採用しかしないし、申し訳ないが今回は無理です」ってご丁寧にお返事をくださったんです。
−−それだけでもありがたいですね。
森田:その手紙を見ながらまた海に行ってボーっと考えて…それで次の日、東京まで行ったんです。ナベプロの近くの麻布郵便局の公衆電話から「今年受験した森田と申しますが、人事部長さんお願いします」って電話したんです。向こうも覚えていてくださって、「近くまで来ているので会っていただけませんか」って。強引だなぁと言われましたけど、ちょうど時間が空いてるからいいよと言ってくださって、ナベプロのビルの下の喫茶店でお会いしていろいろ話したんですよ。
−−すごい度胸ですね。
森田:もうほかになにも受けていなくて後がないこと、掃除夫でもいいから入れてくださいと。そしたら「それを面接で言えばよかったんだよ。君に対してはとても評価が割れたんだ。たしかに面白いし熱意も知識もあるけれど、かなり偏っているし、メジャーな渡辺としてはマニアックすぎる。当社としてはやはりバランスのいい人間を採用したかったし、だから君は次点落ちだったんだ。他の年だったらもしかしたら採用したかもしれないけど、今年は人数も少なかったからね」って言われました。少なかったと言っても、当時も7〜8000人くらいは受けてたとは思いますけどね。それで2、3人の採用ですから。
−−ほんとうに狭き門だったんですね。
森田:それで「ほかにアテはあるのか」って聞いてくださったんです。「いえ、なにもないんです。僕にとっても最後の賭だったし、業界に知りあいもコネもないし、どうしようもないんです」「そうか…実はいい人がいたら教えてくれと頼まれてるところがあるんだ。仕事の内容は一緒だから、紹介してあげよう。これから連絡しておくから、君はそこへあとで連絡して行って来なさい」と。それで紹介してもらったのが、(株)ビー・エー・シーだったんです。
−−紹介してもらえたんですか。熱意が通じたんですね。
森田:そうなんです。それで僕の人生は変わったんですよ。
−−わざわざ東京まで出かけていって、会ってもらわなかったらそうはなりませんでしたよね。
森田:そうですね。あのとき普通に面接で不合格になって、ハイそうですかと引き下がっていたら、今の僕はココにいないですよ。
−−並々ならぬ努力と熱意が通じたと。
森田:親に対して啖呵切った手前、意地もありましたね。
−−このサイトは音楽業界に入りたくて悩んでる若い人達もたくさん見ていると思うので、そういう人達にとってホントに勇気づけられる話ですね。
森田:僕は何の実績もなかったし、音大や芸大を出たわけでもない。音楽とは全く関係ない畑違いの所から思いだけで突入していったんですよね。
−−運も実力のうちですよね。
森田:それで(株)ビー・エー・シーの永田洋子社長に拾ってもらえたんですが、ここで永田社長に出会っていなかったら、やっぱり今の僕はいないと思います。永田社長に出会えたことも、僕にはいい巡り会いだったんですよ。永田社長は元々渡辺プロにいた方で、独立してからはパーカッションのツトム・ヤマシタさんのマネージメント、海外公演なども含めた全てを担当していたんです。ほかには映画音楽やクラシックのイベントなんかもやっていたんですが、僕は当時何の予備知識もなく、ただ人事部長さんに紹介してもらって、電話して会いに行ったんです。ツトム・ヤマシタがすごい世界的なパーカッショニストだっていうのはわかりましたけど、聴いたことはなかったし、その会社がどんなところなのかなにも知らずに行きました。何でもいいからとりあえず藁をもつかむ気持ちで入り込んで、そこからまたはい上がっていけばいいと思って。そこで当時駆け出しの役者で芽が出ていなかった織田裕二さんのマネージャー兼付き人になったんです。「織田君はこれから歌でもやっていくし、レコードを作ったら原盤はウチで持つから、基本的にはナベプロとやることは変わらないから、やってみる?」って永田社長に言われて…「やります、何でもやります」って。
−−経験もないのによくやらせてもらえましたね。それは会いに行ってすぐ決まったんですか?
森田:そうです、すぐ決まりでしたね。「もうすぐ冬休みだから、そのころ一度見に来なさい」って言われて、休みの間に手伝いに行ったり…まあ大学四年の10月くらいのことだったんで、大学と言っても論文書いてしまえば暇でしたし。卒業前にはもう手伝っていました。
−−ビー・エー・シーは当時何人ぐらい社員がいたんですか。
森田:まず永田社長と先輩のプロデューサーの方がひとりいて、それにデスク兼経理の方、それからもともと織田君についてた現場マネージャーがいたんですけど、その人がやめることになっていたんで、人を捜してたんですよね。だから4人です。
−−少人数だったんですね。それは鍛えられましたね。
森田:そうなんですよ。それまで僕はアンダーグラウンドのサブカルチャーで生きてきた人間だったから、歌謡曲とか芸能界とかいちばんバカにしてた典型的な人種だったんです。ダサイって思ってたのに、まさか自分がその芸能界で現場マネージャーをやるなんて、自分の中ではすごいギャップがありました。でもとにかくなんでもやってやろう、と思ってたし、結果的にこの仕事をやったことが、後の自分にとって非常にバランスがとれたというか、いい結果になりました。
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