−−大学時代を通じていちばん時間を割いてたことはプロデューサー活動ですか。
後藤:そうですねぇ。
−−でも学校にはちゃんと行ってたわけですよね。
後藤:4年で卒業できたのは奇跡だったと思いますよ。卒業式に「何しに来た」って友達にいわれましたから。「見学に来た」って(笑)。真面目にコツコツやってるヤツが留年して、僕は要領だけで渡ってきたようなもんでしたから。
−−忙しかったですか。学生時代は。
後藤:忙しかったですね、やっぱり。
−−学生とは名ばかりの、実際はイベント・プロデューサーだったわけですよね。
後藤:そうかもしれないですよね。
−−経歴としては簡単に書いてありますけど、実際にやるのって大変ですよね。イベントひとつやるだけでものすごく時間と労力がかかってるわけでしょ。そのエネルギーの原動力は何だったんですか?
後藤:そうですね。だいたい基本的に「人に会いたい」っていうのが根本にあるんですよ。遡ると川島なおみさんまで戻るんですけど(笑)。会いたいと思った人には会いたいな、というのが基本にあったんで。SASPとかでイベントをやるにしても、だいたい200通ぐらい案内を出すんですよ。CLSのキャンパス・サミットの出演交渉ごとなんかは僕がやったりしたんですけど、会いたい人には会って話を聞くっていうスタイルだったんで。
−−行動力だけあればできるって話でもないですよね。やっぱりそういう政治力やリーダーシップも必要ですよね。すごいですね。誰に頼まれたのでもなく、好きでやってたんですよね。
後藤:そうですね、好きでやってましたね。
−−大学の4年間に手掛けたイベント全部通じて、事業としては金銭的にプラスだったんですか?マイナスだったんですか?
後藤:そうですね…親に頼らずなんとかできたんで…。
−−生活費もそこから出てたんですか。
後藤:そうですね。授業料以外出してもらってなかったんで。
−−じゃあこれらのイベントで生活を支えてたんですか。ほかのバイトとかしないで?
後藤:バイトはDJぐらいですね。
−−それはスゴイですね。完全に「学生」とは名ばかりですね(笑)。
後藤:1年生のときに唯一やったバイトは三浦和義さんの「フルハムロード・ヨシエ」でしたね(笑)。
−−あのロス疑惑の三浦和義さんですか?
後藤:そうです。表参道にビクターのスタジオがあって、そこで僕もミニFMのDJをやらせてもらってたんですよ。それで僕の番組の前の時間のDJが、当時「ブルータス」編集部の小黒一三さんだったんですね。休憩時間に小黒さんがだれかに電話していて、どう考えても三浦和義さんだと思ったので、「今電話してたのって三浦和義さんですか」って聞いたら、そうだって教えてくれて。それで、僕のやっていることを説明して紹介してもらったんです。それで三浦さんにはアフリカ救済のイベントに出て頂くことになって。
−−ちょうど話題の人だったんですね。まだ捕まってなかったんですか。
後藤:まだでしたね。「Xデー近し!」みたいな頃で。マスコミが追いまくってる時期で…この人は会ってみたいなって。それで連絡して、赤坂の東急ホテルで会ってもらったんです。彼が捕まったところですね。それで2時間ぐらいお話しさせていただいて。すごいんですよ、しゃべると。止まらないんです。タバコに火を付けて、全部灰になるまでしゃべってるような人で。「後藤君の考えは面白いよ。どうせやるなら学生の組織を世界中に広めたらどうだ」って言ってくださって。それからしばらくして電話があって、「うちの良枝がバーを出すから手伝ってくれないか」って。親に相談したら大反対されましたけどね。「やめなさい!」って(笑)。
−−もちろんやったんですよね(笑)。
後藤:やりましたよ。面白かったです。渋谷の桜丘にあって、夜は11時ぐらいまでだったんですが、当時僕は池袋より奥のほうに住んでいて、帰れないと一緒に遊びに連れていってくれたりして。
−−バーテンさんですか。どのくらいやってたんですか。
後藤:そうですね。2〜3ヶ月くらいですけど、三浦さんご夫婦には大変お世話になりました。
−−それ以外は、皿洗いとか単純作業のアルバイトはしたことがないと…すごいですね。フリーのプロデューサーとして立派に食ってたわけですね。
後藤:そうですね、やったことないですね…真面目じゃないんですよね。
−−失礼ですけど、かなり儲かったんですか。とりあえず生活はできるっていうレベルだったのか、それともかなり余裕があったんですか。
後藤:そうですねぇ、まあちょうどバブルの時期だったんで、企業が学生にお金を出す時期でしたから、たとえばアンケートを仕切るだけでも入ってくるんですよ。住所とか名前とかいろいろランクがあって、細かいところまで書くと1枚2000円とかですよ。それを何人かでやっていて、僕がまとめて何千枚とやったりしてましたし。
−−そういう学生生活を送っている人はほかにもいたんですか?
後藤:他の人はみんなサークルに入っていたんで、サークルでは純益は求めちゃいけないですよね、利益が出たらサークルの部費になるわけですからね。僕のように個人でやっていたような人達はパーティを仕切るパーティ系の人達ですね。彼らはホントに会社組織のような感じでしたから。「ああこんなに(お金が)動くんだ」って思って見てましたね。
−−あの当時の大学生はほんとにパワーがありましたよね。
後藤:ありましたね。非営利団体のCLSとかでもね、イベントの前には事務所を半年くらい借りるんですよ。家に帰らずに寝泊まりも事務所で…営業局、財務局、総務局と分担ごとに局が別れていて、まあ営業が一番大変なんですけどね。企業をまわって何百万、何十万と協賛金を集めるわけですから。有線ブロードネットワークスの宇野社長は確か営業のトップでしたね。僕はCLSでは5代目の代でした。初代は西川りゅうじんさんで、2代目は青学の今井さん、峰岸さんが3代目、4代目が東大の望月さん、そして僕らが5代目で。ホテルオークラのいちばん大きい会場を借りて、学生の名刺交換会とかやってましたね(笑)。やるのに2000万とかかかるんですよ。企業からみんなお金を出してもらって。僕の場合はお金を集めるよりはソフトのほう、3、4代目の時に進行台本を書いたり、ゲストの出演交渉をやってました。
−−すごい時代でしたね。もう「学生企業」って感じですよね。話には聞いてるけどイベントでは何万人と集めてたわけでしょ。
後藤:すごいパワーですよね。そういうグループの代表だった人達はみんなリクルートに就職してますよね。引き抜かれて…。
−−まさに85年の4月から89年という、バブル景気の絶頂を大学で過ごしたんですね。
後藤:世の中が一番浮かれてた時代を見事にビジネスにもしたわけですね。
−−卒業後はどこかに就職しようという気は当然なかったですよね(笑)。
後藤:まったくないですね。「リクルートスーツってナニ?」っていう感じで。すみません…(笑)。
−−リクルートに来いとは言われなかったんですか。
後藤:話はありましたけど…その時は既に自分でやってましたからね。唯一の就職活動と言えば、寝ころがりながら電通に電話して「募集はまだやってますか」「もう終わりました」「あっ、そうですか」ってそれだけですね(笑)。30秒くらいで(笑)。
−−一応電通は受けようかなと(笑)。でも終わってたんですね(笑)。ひとつぐらいやらないとまずいかなと思ったんですか。
後藤:いや、親の手前なんですよ、「就職活動はしたの?」「うん、電通…落ちちゃった」って(笑)。落ちるも何も終わってるって(笑)。受かるわけないですけど、ほんと申し訳ないですよね、みんな周りは必死に就職活動やってるのに…。 |