−−週末のオビ番組はどんなものだったんですか。
後藤:まずその番組作りのきっかけなんですけど…中学3年から高校生になるまでの長い春休みに、デビューしたばかりの川島なおみさんがうちの地元のデパートにイベントで来ていて、友達がすごい大ファンだったんで僕もついて行ったことがあったんです。そのころは「ミスDJリクエストパレード」(*編註1)が始まったがばかりの頃ですよ。そのイベントで立ち入り禁止のところにたまたま入っていったら目の前に彼女がいて、話しかけたら応対してくれたんです。そういうイベントって2回くらいやりますよね。1回目の時に話してくれたので、2回目には図々しくもプレゼントを持っていったら、警備員がいたんですが、彼女が「大丈夫」って入れてくれて楽屋で話させてもらったんです。その一件で「なんだ。芸能人っていっても全然近いじゃん」って勝手に勘違いしまして(笑)。
−− 一気に垣根を飛び越えてしまったと(笑)。
後藤:そうなんですよ。それで高校に入って放送部に入って、放送局にしてお昼にしゃべることも認めてもらって…そのお昼の番組の1回目のゲストは松本伊代さんでした。
−−ゲスト!?学校のお昼の放送にゲストを呼んだんですか?
後藤:いえ僕が行くんです。あとはほとんど電話インタビューでしたけどね。松田聖子さんは文面で最初にコメントをいただいて、厳密に言うとその松田聖子さんが最初のゲストですね。
−−ほんとですか?スゴイですね〜!
後藤:やるなら徹底的にやらないと(笑)。
−−相当図々しいですね(笑)。「太田高校放送局の後藤です」って電話したんですか?
後藤:そうですそうです(笑)。まだ1年生でしたし。わかってなかったんですよ、ガキなんで、なんでもできるんじゃないかって思ってて(笑)。たくさんの方に出ていただきましたね。松本伊代さん、河井奈保子さん、小泉今日子さん、中森明菜さん…中森明菜さんのときなんてもう絶頂期だったんですよ。
−−その全員と話したんですか。
後藤:会ったりもしましたよ。僕がインタビューに出向いていったんで。
−−もちろんプロダクションにまず話をとおすんですよね?当時は「Musicman」はなかったし…(笑)。
後藤:「明星」とか「平凡」ですよ。あれで連絡先とスケジュールを調べたんです。中森明菜さんの当時のマネージャーさんには、「オマエちょっとおかしいんじゃないか」って言われましたよ。行く先々にリハだろうがどこだろうが連絡しますから(笑)。携帯なんてない時代ですから、学校の休み時間に公衆電話から電話するんですよ。そこで交渉に交渉をかさねて…。
−−向こうの都合は関係なく、学校の休み時間にあわせて電話すると(笑)。
後藤:そうです(笑)。
−−向こうに行ってインタビューを録音して帰ってくるんですか。テレコかついだ高校生が…。
後藤:そうですね。最初はコメントをもらったり、電話インタビューをしてたんですが、後半は直接東京に出向いて、テレビ局とかにいるときに控え室にお邪魔して…新人だと楽屋に何人も一緒だったりして、そこで直接交渉で出てもらったこともありますね…。
−−もちろん東京へは自費で行ってるわけですよね。
後藤:そうですね、まあ親には違う理由でいろいろお金もらったりして(笑)こつこつ貯めて…。
−−その番組は高校の生徒たちにはバカ受けだったでしょうね。
後藤:最初は嘘だと思ってたみたいですよ。まさか本人が出てるとは思わないから、違う音源だったり編集してやってると思ってたみたいで。「群馬県立太田高校のみなさんへ」まで言ってもらわないと信じてもらえなくて。
−−ですよねぇ。本物だってわかったときの反響は?
後藤:「ホントに?!」って感じでしたね。先輩なんて「彼女の連絡先を教えろ」とか言ってきたりして(笑)、連絡先なんてわかるわけないですよ(笑)。完全に勘違いしちゃって(笑)。
−−(笑)ホントに豪華な番組ですね。おひとりでなさってたんですか?とくに仲間がいるわけでもなく…。
後藤:そうですね。基本的にはひとりで。家でもできないんですよ。ウチの親とか、そういうのは絶対に許さないタイプだったんで…公衆電話の脇に小銭をつんで、電話に録音できる機械をとりつけて、公衆電話から電話インタビューしてましたね。
−−とんでもない行動力だと思うんですが、その原動力は何だったんですか。自分がアイドルに会いたかったとかじゃなくて「番組を盛り上げたい」ってだけですか。
後藤:そうですねぇ。ミーハー心もありましたけど(笑)。
−−それも男子校なのに(笑)。
後藤:うーん、そうですね、ただやりたいことはやりたいし、できないことはないと思ってたんでしょうね。今でもその精神はあんまり変わってないと思いますけど。
−−それは強烈な成功体験ですね。普通は大学くらいからいろいろな体験するんだけど、プロデューサーとしての経歴は中2ぐらいから始まってると。
後藤:そうかもしれないですね。だから高校1年のときそういうことをやってたんで、なにげにプロダクションのスタッフに僕の名前が知られていたみたいなんですよ。群馬にへんな高校生がいると。その年のアイドルはほとんど全員インタビューしてたんで。
−−オマエのところにもあいつ来たか?って(笑)。アイドル全盛の時代ですよね。
後藤:そうです。1982年ですね。ただ僕より下の世代からは全然わからないんですけど。
−−原点はそこにあったんですね。高校生活はその番組一色ですか。
後藤:そうですね。その番組は1年ぐらいやってたんですが、アイドルを一通りやったあとに、「ミスDJリクエストパレード」が大人気だったんで、文化放送に電話して、「うちの番組を作りたい」って言ったんです(笑)。
−−(爆笑)
後藤:しかも「文化放送のスタジオで録りたい」って言ったんです(笑)。そのとき電話に出てくれたのが部長さんで、「なんだコイツは」って思ったそうなんですが、それがOKが出たんですよ。僕も文化放送まで一度行って打ち合わせをして…千倉真理さんにDJをやっていただいくことになってたんですが、結果的にはスケジュールの都合でできませんでした。千倉真理さんにはゲストで出ていただきましたけど、「ミスDJリクエストパレード太田高校版」はできなかったんです。でも千倉真理さんにはそれから大学卒業くらいまではいろいろ面倒見ていただきましたね。大学1年のときに文化放送にバイトに行ったこともあったし…バイトは1ヶ月でやめちゃいましたけど。
とにかくしゃべるほうに興味がわいてきて、高校2年のときは高崎のファッションビル「bebe」のなかのミニFM局でレギュラーをもらってしゃべってました。
−− 一応アルバイトにもなってたんですか。
後藤:そうですね、一応ギャランティはもらってました。月2回でしたけどね。
−−ほかにそこでDJやってらした方々はプロの方ですよね。
後藤:そうですね。みなさんオトナの方々でしたよ(笑)。僕だけが高校生で。
−−それはどんな番組だったんですか。
後藤:普通の音楽番組です。ちゃんと構成とかありましたし、女性のDJの方といっしょに構成に則してしゃべってました。
−−「高校生DJ」として売ってたわけではないんですね。
後藤:別にそういうわけではないですね。
−−ご両親はそういう活動には理解のないタイプだったと仰いましたけど、そういうDJ活動も秘密だったんですか。
後藤:まったく内緒にしてましたね。
−−ご両親は普通の会社員ですか?
後藤:父親は若いときに独立して自分の会社を作ってたんですが、後輩の保証人になって借金をかぶってしまいまして…しばらくはいろいろやってたみたいですけどね。あんまり家には帰ってこなかったですね。僕が大学の途中ぐらいから腰を据えてサラリーマンやってます。 |