| ●AMESは何年やってたんですか。
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| 僕は4〜5年はやってたのかなぁ。2階にゴルフ練習場も作ったんですけど、最後のほうはそっちのほうが盛り上がってきて、最終的にはあそこは全部そういうスポーツ施設にしたはずですけど…そこでDJをやるようになって、その間にGOLDができたんですよ。意外と近いんで、僕も入り浸るようになって…
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| ●AMESはGOLDより前なんですね。
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| 前なんですよ。僕にとってはやっぱりAMESがきっかけになって、DJとして音楽の世界に入ったっていう感じですね。原点というか。GOLDでよく遊んでたのが、ニューワールドの後藤君で、そのときGOLDのスタッフやってたのが谷川さん(谷川寛人氏:(株)リズメディア代表取締役)なんです。みんなゴールドでつながってるという…谷川君は一時後藤君の会社にいたんですよ。
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| ●そうなんですか。僕はあのAMESの浅川さんと、アーティマージュの浅川さんがどうやって結びつくんだろう?って思ってましたよ。
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| そうですよね、それは単純にGOLDで遊ぶようになって、GOLDでもDJやったりしてたんですよ。僕らは2人でDJチームを作ってたんだけど、そのころハウスとかが流行りだして音を作ってる奴らも出始めて、そういう奴らと知りあってオリジナルのハウスを作ろうっていって4人ぐらいで音作りをやってたんです。当時AMESにはヒップホップのDJが遊びに来てて、「今度クラブチッタでヒップホップのイベントやるんだけど、出ない?」って誘われたんですよ。それでライブやることにしたんですけど、マニュピレーターとDJだけじゃ、チッタのヒップホップのお客さんが引いちゃうんじゃないかと思って、それで当時AMESで踊っていた奴らをダンサーとして入れよう!ということになったんです。当時はマドンナのヴォーグが流行ってて、ヴォーギングやってるけっこう有名な3人組がいたんですね。それで彼らに声をかけて、ダンサーとしていっしょにライブに出てもらったんです。それがのちのMORE DEEPなんですよ。
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| ●知ってますよMORE DEEP。そういう経緯だったんですか。
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| というかね、ほんとは僕らがMORE DEEPだったんですよ(笑)。MORE DEEPっていう4人組のサウンドチームだったんです。チッタのライブのときに彼らをダンサーとして迎えただけだったのに、それがやたら受けちゃって、クラブ界隈で名前が上がっていっちゃったんですよ。それでだんだんあの3人がMORE DEEPだと思われるようになっちゃったんでよ(笑)。
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| ●そうなんですか!?すいません、僕らもそう思ってました(笑)。
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| ですよねぇ…今はみんなそうですよ。でもほんとは僕らがMORE DEEPで、彼らはただのダンサーだったんです。でもダンスだけじゃなんだから、軽いラップのようなものをやってもらったりしてるうちに、当然彼ら3人が目立つようになったんで、その時点ではMORE DEEPっていうのは彼らを含めた7人組だったんです。
そのうちにソニーから「東京アンダーハウスグラウンド」っていうコンピレーションに参加しないかと声をかけられて…91年だったと思いますけど、1曲参加して反応がよかったらデビューさせたいと。当時(現NWPの)後藤君がそのコンピのプロデュースをしてたんですよ。もちろん僕らはデビューできると思って大喜びしました。すげぇやった〜って(笑)。そしたらソニーのディレクターが「ところでMORE DEEPの3人なんだけど…」「え、3人?7人ですよ」「え、だって君たち裏方でしょ?ソニーとしては彼ら3人と契約したいんだけど」って話で…まあそうですよねぇ(笑)。その上「君たちが音を作ってくれるのはいいけど、メーカーとしては君たち以外のいろんなプロデューサーにも音を発注したい」と(笑)。
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| ●つらいですねぇ〜(笑)。
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| それでまあ4人で話し合って、しょうがないから3人をMORE DEEPにしようと決めたんですよ。それで打ち込みやってたヤツは抜けたんです。曲は作るから仕事として発注してねって言って(笑)。そこで僕はどうしようかと思ってたら、今度は契約のときMORE DEEPの事務所が必要になったんです。それまでは僕らが個人的にやってただけでどこにも所属してなかったんですけど、ソニーとしては個人と契約することはできないと言われたんです。それで会社作るしかないなーということになったんですよ。
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| ●アーティマージュはMORE DEEPのために作った会社だったんですか。
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| そうなんです。でも僕も会社の作り方とか全然知らなくて、当時よく出入りしていた広尾のバーの常連だった上田(上田浩良氏・現(株)アーティマージュ代表取締役会長)に相談したんです。彼はそのときは音楽じゃなくて舞踏系の仕事をしてたんですけど、昔山海塾のプロデュースをやったりしたことがあって、「音楽の仕事はしばらくしてないけど、相談のりがてら、じゃあいっしょにやってみるか」って立ち上げたのがアーティマージュなんです。
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| ●そうだったんですか。そのときはおいくつだったんですか。
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| …たちあげたのは平成4年ですから、25歳だったかな…要するにソニーと契約するために作った会社で、自分ではノウハウが全くないから上田に相談して、じゃあ経営面はやるから、ダンスミュージックとかわからないから、現場はやれということになったんです。
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| ●上田さんは今もいらっしゃるんですね。
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| ええ、います。会長ですね。経営面は上田がやってます。
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| ●なんか依田さんと松浦さんの関係みたいですね。
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| そうかもしれないですね。それが92年、登記は92年になるのかな。MORE DEEPのデビューは91年です。
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| ●MORE DEEPが最初のアーティストだったんですね。アーティマージュとしてのヒットはいつごろですか。
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| MORE DEEPは鳴り物入りでデビューした割にはあんまり売れなかったんですよ。当時は社員もデスクの子ぐらいしかいなくて、僕はマネージャー兼DJ兼社長兼プロモーター、全部ひとりでやってました。そのおかげでいろんな現場のプロモーションの仕方、アレンジの仕方を覚えましたね。MORE DEEPが売れなくて、そのあとgroovy boyfriendをやったんですが、なかなかブレイクには繋がらなくて、ヴォーカルはのちのK.になり、コンポーザーの木村貴志はFavorite Blueになったんですよ。
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| ●そういうつながりなんですね。
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| そういう意味で売れ出したのは、ジュリアナが流行ったときですね。木村貴志とジュリアナナイトに行ったらあのイケイケのテクノがかかっていて、木村貴志は打ち込みの達人だから、このサウンドなら自分たちで作れるよな、っていう話になったんですよ。それでジュリアナでかかりそうなデモを作ってエイベックスに持ち込んだんです。エイベックスはジュリアナのCD作ってましたから、人づてで松浦さんを紹介してもらって会いに行ったんですよ。そしたら聞いた途端に「コレはスゴイよ!日本人が作ってるの?」「自分たちで作ってるんです」「すぐ契約したいんだけど」って話が進んだんです。
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| ●その場でですか。
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| そうです。聞いた瞬間に。ちょうど近くに依田さんがいらっしゃったんですよね。エイベックスはそれまでジュリアナでかけてるような曲は輸入してたんですよ。それを日本で低予算で作れるならそのほうがいいし、原盤も持てますからね。 |
| ●ジュリアナの曲がきっかけだったんですね。
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| それで契約することになったんです。僕らもどんどん曲を量産しますし、あんまり売れてないけどMORE DEEPっていうのをやっていて、クラブには強いので、1曲単位ではなくで年間契約にしてくださいって交渉して…当時年間7〜800万で10曲とかだったと思いますよ(笑)。でもこっちにしてはオイシイ話で、1年間で800万っていう収入が見えるわけですからね。結局2年契約にしてもらいましたよ(笑)。それがエイベックスとの出会いですね。僕らで和製のテクノを作り出して、どういうのがジュリアナでウケるか、っていうのも研究して、そういう曲を提供していきました。
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| ●エイベックスとのつきあいはそこからなんですね。
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| そうこうするうちにエイベックスのtrfがヒットして、アーティマージュでもクラブミュージックやってるなら、いっしょになにかやろうという話になったんです。当時のMORE DEEPはソニーとの契約は切れてたんですが、リーダーのMOTSUはラップも上手いし、いいセンスを持ってる。プロデューサーの木村貴志もいろんな曲を作れるし、エイベックス側には女の子ヴォーカルがいるから、やってみましょうということになって、木村貴志がポップスを狙ってやったのがFavorite Blueで、ダンスミュージックのポップ版として作ったのがMOVEだったんです。それでFavorite Blueが当たったんですね。ラッキーなことにアルバムもオリコン1位になって…
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| ●最初のヒットはFavorite Blueなんですね。
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| そうですね。それでMOVEもまあいい感じに売れて…それが最初のブレイクアーティストですね。ただ、自分ではずっとDJをやってきてクラブミュージックを仕掛けてきた割にはポップス系で当たっちゃったなとは思いましたね。
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| ●ご自分のなかでジレンマがあったんでしょうか。
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| 僕はDJもロックも好きだったから自分ではべつによかったんだけど、周りから見るとそれまでアーティマージュがやってきたイベントや仕事とは全然違うようなのがヒットしてるよねって見られることがありましたね。
それに、Favorite Blueのボーカルの女の子はアクシヴ所属でしたからマネジメントも分割された部分がありました。だから完全な自社アーティストをやりたいという思いもあったし、周りの声もあって、純粋なダンスミュージックのヒットを作りたいなとも思ってました。結局それがm-floになるんです。
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