株式会社アクシヴ
代表取締役社長 千葉龍平 氏
すべてに反抗していた青春期、そして事業家としての目覚め

●まず、オン・ザ・ラインの西さんとはどのようなお付き合いなんでしょうか。
僕は以前マハラジャのNOVA21グループで企画部にいたんですよ。マハラジャとか、キング&クイーンとかのディスコブームで、20年ぐらい前ですね。いろいろ店舗展開してましたが、その企画部で何をしてたかというと、マハラジャでファッションショーをプロデュースしたり、イベントをプロデュースしたりしてました。それで「東京ドームをディスコにしよう」というマハラジャの企画でキョードー東京さんにお世話になって、その担当が西さんだったんです。その頃からの付き合いなんです。
●長いですね。
26歳の頃だから、12年ぐらいですね。
●アクシヴ以前のお付き合いだったんですね。ではお仕事のお話しの前に、まずご自身のことを少し伺いたいのですが、ご出身はどちらですか?
東京の駒込です。
●ご家族は?
普通のサラリーマン家庭ですよ、三人兄弟の長男です。下に弟がいて、一番下が妹ですね。
●小さい頃はどんなお子さんだったんですか。なりたかった職業とか…
こう言うとかっこよく聞こえるんだけど、人に喜ばれること、褒められることが好きな子どもでしたね。例えば、掃除をするのはお母さんに褒められるから。勉強するのも親や親戚に褒められるから。だから小中学校の頃は成績よかったんですよ。モチベーションはそれに尽きるんですけど。この仕事についてからも、小室(哲哉)さんに喜ばれる、褒められるのが嬉しくてやっていたようなところがありますからね。本質は変わってないですね。たぶんどこの職業に行っても変わらないと思いますけど。
●それは親から見たらすごくいい子ですね。
いや、それがですね、小学校時代はそうだったんですけど、ストレスがたまったのか、反抗することがすべてみたいな自我が中学校2年ぐらいに出てきたんですよ。僕、歴史小説、とくに革命期が好きなんです。歴史小説ってだいたい古い時代の考え方を否定して新しいモノを作っていくことが、そこに携わってる国民だったり会社だったりに良い影響を与える。古いシステムが崩壊する時は、底辺にいる人たちが一番困ってる時で、そこを正すために革命が起こってくるっていう話ですよね。そうしなければ人臣がついてこないって。まだその当時はそこまで深く考えてなかったんですが、とにかく時代に反抗していく、上の人の言うことと違うことをやっていくのが良いみたいに思ってしまったんですよ。子供ってズルイじゃないですか。先生に見えない所で何かしたり。自分は正直者だったので、そういう子たちがうまく渡っていくところがものすごくズルく見えて、歴史小説を読んでたことと悪い意味で結びついて、反抗することがすべてみたいになったんです。
●革命を起こそうと思ってたんですか?
そこまで大それたことは思ってないですけど、ただ言われたことに反抗していく時期が何年ぐらいあったかな…13歳から17歳までだったので、5年ぐらいですかね。それもまた間違いだって気づいたのが17歳の後半ぐらい。今の自分の延長線上みたいなのがそこからできてきたんですけど。
●自我に目覚めるのが人より早かったんですね。
そうですね、早かったと思いますね。
●その頃の話をそういう風に客観的に話される人ってあまりいませんよね。高校生活はどうだったんですか?
高校はけっこう良い高校に行ったんですよ。都立北園高校っていう、その学区では2番目かな。そこに入ったんですが、結局辞めて、仕事をして、19歳で小石川高校の定時制にもう1回入ったんです。で、23歳の時に卒業して、それから印刷業界で職人をやっていたんです。23で高校卒業だから、普通の会社は入れなかったんですよ。
●そもそも高校はどうしてお辞めになったんですか?
辞めたと言うよりも、他のことをやってたら高校を辞めざるを得なかったんです。辞めたくて辞めた訳じゃなくて、出席日数が足りないとか…
●忙しかったんですね。
そうですねぇ、遊びとかバイトとか…(笑)。
●じゃあ辞められてかもう一度高校に行かれるまではいろんなお仕事をされてたわけですね。
そうですね。だいたい喫茶店とか運送会社とかですけどね。
●世の中に出られたのが早いですね。
そうですね。15歳からひとり暮らししてましたから。中三のときから。
●え、中三ですか!?それはまたかなり早いほうですよね。印刷会社には何年いらしたんですか?
3年間です。在学中から行ってましたから。印刷屋での経験は面白かったですね。実は赤字で、倒産するかしないかって時期に入ったんです。知り合いの会社だったんで、「この会社を黒字にしたら辞めよう」って目標をたてたんですよ。そのときから事業を黒字にするっていうのが面白くなったんでしょうね。どれだけ効率よく印刷機を回せるかとか、お客が足りなかったら自分で行って話して持ってくるとか、そういう自分の仕事が経営の数字に響いてくるっていうことが面白くて…自覚はなかったけど、その経験が大きかったかもしれないですね。事業というものを意識しだしたのは。
●それまでは事業ということを意識してなかったんですか?
それまでは自分の待遇をあげることが目的だったんですよ。だいたいバイトなんてそうじゃないですか。いかにサボって、いかに楽しんで、いかに給料を上げさせるかっていう、事業とはまったく逆のベクトルで考えていたんです。でも黒字にしてから辞めよう、と思った時点でそれまでとはすべて逆の考え方になったんです。そうなったときに今までのスケールの小さい個人的な考え方が変わったんです。
●新入社員なのに再建屋を自覚してたんですね。
自覚してはなかったんでしょうけど…実はね、女房の親父の会社だったんですよ(笑)。それで、彼女と結婚するためにはそうしなくちゃいけないな、と(笑)。
●なるほど(笑)。それで事業家マインドを意識したと。
そうですね。
●ということは結婚されたのはずいぶん早いんですか?
いえ、結婚は30歳ですね。付き合い始めたのは19歳でしたけど。
●印刷会社からクリエイティブマックス(編註:前述のNOVA21系列の広告代理店)に転職されたわけですね。それはどういうきっかけだったんですか?
印刷会社だと広告代理店が版下持ってきたりしますよね。代理店の人っていつも威張ってるようなイメージがあって、彼らはどういう仕事をしてるんだろうって思って調べたら、企画とか制作をやってたんですね。会社の商品をいかにして売るかっていうことを考えて実行してる。それは面白そうだなって思ったんですよ。で、いろいろ代理店受けたんですけど、学歴でたぶん全部落ちたんでしょうね。40社くらい受けたかなぁ。2社受かったんです。そのうちのひとつが、今のクリエティブマックス、先ほどお話ししたNOVAの企画部門だったんです。そういう経緯ですね。

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▼すべてに反抗していた青春期、そして事業家としての目覚め
クリエイティブマックスの大ヒット…TKとの出会いからプロダクション独立へ
小室哲哉という希有なアーティスト=プロデューサーを組織化すると…アクシヴの飛躍
人間のゆとりを豊かなものにしたい…エンターテイメントの本質をめざして
遠回りをしてでも、人間を大事にしていきたい
日々の人生学習は歴史小説から〜アクシヴ流社員教育も読書が必須です
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