第29回 恒川光昭 氏

6. 日音を離れてワーナーへ…骨を埋める覚悟でのぞんだ社長職

恒川光昭7−−ではワーナーにはどういったいきさつで行かれたんですか。

恒川:あれは1995年ですか。当時、私は専務だったんですが、ちょうど50歳だったんですよ。そのころにワーナーの会長だった小杉さんから「ワーナーに来て社長やってくれないか」って言われたんです。もちろん冗談だと思ってたんですよ。レコード会社に行くなんていうイメージはまったくありませんでしたし、そんな野心もなかった。生涯日音だと頭の中は思ってましたから、「何言ってるんだよ(笑)」って、そういう会話を何回かしたんです。ご存じだと思うんですけど、小杉さんも日音出身で、日音では僕が先輩だし、僕がきっかけで日音に入ったという縁もあったから、「逆に僕が会長だから嫌なの?」「いや、そうじゃなくてレコード会社に行って仕事をするというイメージがないんだよ」とね。小杉さんに誘われる1年前には石坂さん(石坂敬一氏:現ユニバーサル(株)代表取締役社長兼CEO)が東芝からポリグラムに行って、石坂さんにも「レコード会社で一回仕事したら」とか言われたり、新田さんともそんな話をして「いやー行きませんよ」なんて話をしてたんですよ(笑)。そうしたら折田(育造氏)さんがワーナーをやめてポリドールに行って、また小杉さんから強い誘いがあって、それでも固辞してたんだけども、ちょうどゴールデンウィークが明けた頃にTBSグループの役員の改選期、人事があったんです。それでTBSの役員さんで、プライベートでも一番親しい方が日音に来ることになって、それじゃ向こうもやりにくいだろうし、僕もやりにくいなと思ってたんですよ。そしたらその人事が外に漏れたとたんに、すかさず小杉さんがすっ飛んできて「決心したろ」って言うわけですよ(笑)。さすがだよね。そこでピンっと考えが入れ変わったわけですよ。「今までやったことがレコード会社で生かせるのかな」とね。なにしろ根がいいかげんなんで、そういうふうに考えてみるようになって…それで小杉さんとも話をして「思い切ってやってみよう」ということで村上と相談したんです。

実はね、村上はそれからさかのぼること1年前に、私だけではなく役員と幹部十何人を前にして「これからは時代が激しく変わるから、日音とか村上にとらわれないで、自分の人生のシナリオを今からもう一回作り直しなさい」って言ったんですよ。暮れの忘年会が終わって、その後にみんな残されて。そういう風に言われたもんだから、みんなギクっとしたよね。みんなそれぞれが「クビかな」と思った。部長レベルまでいましたから。

−−はははは(笑)、それはコワイですね。

恒川:忘年会の後ですよ。酔いなんていっぺんに覚めましたよ。「例えば恒川だってそういうことがあるかもしれない。みんなにはあの恒川と村上が別れるっていうイメージはないだろう。だけども恒川の人生だから、もしこいつが外へ行きたいって言って、またそういう縁があるならば、俺は行かせるよ」って言ったんですよ。それまで僕にもそんな話したことなかったのに。それが8ヶ月経って現実になったんです。

−−予言者のようですね。

恒川:まあ折ちゃんのこともあるし、あるいは村上は知ってたのかもしれないなっていう想像はできるんですけどね。だけど僕なんかまったく知りませんでしたから。村上にうち明けたときはもう、「お前がそのつもりなら俺はいいと思う」と言ってもらえて…決心したのは、51歳になる直前か、なった直後ですね。7月末が誕生日ですから。

−−レコード会社に行かれてどうでした?

恒川:似て非なる物だなって思いましたね。なんとなくお隣さんっていう感じがあったんだけど、とんでもない。音楽出版社とレコード会社がこれほど違うのかっていうのをつくづく感じました。

−−レコード会社の人間とつきあってはきたけど、入ってみたら全然違うと。

恒川:ぜんぜん違う。まずレコード会社は社会的に認知されてるパブリックだっていうことです。例えば、音楽出版社に新聞、雑誌の取材はまず来ないですから。音楽出版社に取材にくるのは業界誌だけで、一般の方には知られてないでしょう。ほんとの表舞台なんだなと思いましたね。社会に直接接してると感じました。表現としてはあまり好きじゃないんだけど、裏舞台からいきなり表舞台に出ていったっていうぐらいの違いを感じましたね。

−−居心地はよくなかったんですか?

恒川:いや、居心地がよくなかったってことではないです。今までになかったような新鮮な気持ちになれましたし、今までとはまったく違うテンションで辞めるまで毎日過ごしましたよ。とくにワーナーミュージック・ジャパンだったからかもしれませんね。何よりも株主であるインターナショナルとの関わり合い、いわゆる外資ですよね。それを1から教わりましたし、外資の良い所、悪い所などすごく勉強になりましたね。悪い所なんてもう忘れちゃったけど(笑)、この経験から教わった良い所はすごくあります。だから小杉さんとはね「我々は給料もらってそういった勉強をさせてもらった。本当に幸せだったね」と話すことがありますよ。正直に言って本当にそう思う。

−−何年間いらっしゃったんですか?

恒川:3年と7ヶ月です。一番辛かったし勉強になったのは、小杉さんが辞めてからですね。形の上では翌年の3月までいましたけど、実質的には健康的な問題もあって9月か10月くらいから出てこなくなりまして。僕と小杉さんの間に副会長がいて、その方は要するに向こうから来てる方だったんですね。顔が日本人でもまったく外人。その方も12月いっぱいで来なくなったんです。それは私との考え方の違いからで、彼はアメリカに戻ってしまって上が誰もいなくなっちゃったんです。インターナショナルの会長が2ヶ月に1回来てミーティングをするわけですよ。毎日のようにEメールがバンバンくるわけね。そのうちの8割は怒りのEメールなんです(笑)。

−−それは嫌ですね~~(笑)

恒川:ほとんど怒りなんですよ。最初のうちはカッカカッカしてましたけど、だんだん慣れてきたり向こうの考えが読めてきたりするといろいろわかってくるわけですね。ただ僕の場合はストレートに英語でこられてもわかりませんから、アシスタントの秘書が訳すわけですよね。だから大変ですよ。1日のうちに何通も来るから訳すのも大変だし、返事も自分で日本語で書いて、それを彼らが訳して送ると、すぐ返ってきたりするんですよ。「バカヤロー!」みたいな感じで(笑)。そんなことが連日だったので夢の中で返事を書いてるとかしばらくあったんですけども…それは勉強になりましたね。

−−嫌なこともいっぱいあったみたいですね。

恒川:でも嫌なことすぐ忘れちゃうんだよねぇ。

−−いい性格ですね(笑)

恒川:ほんと。小杉Jr.もそうじゃない?嫌なことみんな忘れちゃったですよ。

−−じゃあ、きっと後任の稲垣さんも嫌なことに直面してるんですかね。あの方もすぐに忘れるタイプなのかな?(笑)

恒川:そうなんでしょうねぇ(笑)。都合の悪いことはすぐ忘れちゃうし、やっぱりできが違うからね。ちょっとやそっとじゃ堪えないんじゃない?あまりのタフネスさに向こうも嫌になっちゃうんじゃないかな(笑)。「もういいやー」みたいに(笑)。

−−恒川さんはワーナーに行かれる前が専務で、日音に戻ってこられた時は副社長ですよね。

恒川:うん。副社長ですね。それは2年間。

−−ワーナーをお辞めになった理由は何だったんですか。

恒川:これもタイミングなんですよ。ここを辞めて行く時も、向こうを辞めてみんなに挨拶した時も、戻ってきた時も、言ってることはバカの一つ覚えで同じこと言ってるんです。「人生って縁とタイミングだ。僕の場合はありがたいことに素晴らしい縁とタイミングに恵まれてきました」と。本当に心からそう思ってるんです。

実は稲垣さんには水面下でワーナーの会長を何度もお願いして何度も断られたんです。やっと実現して一緒に働いて、大半の株主とのやりとりは稲垣さんに移ったので僕自身は楽になったんだけど…戻るなんていう気持ちはなかったんですよ。そんな気で行ってませんから。「最初からそうだったんじゃないの?」ってよくみんなに言われたんですけどね。「最初から戻る気はなかったんだ」って言っても信じてくれる人の方が少ないですよね。それはしょうがないんだけど、ほんとにそうなの。骨埋める気で行ったわけだし。ところが、根っからのレコードカンパニーマンの稲垣さんが来て、そういう人と一緒にやっていくと、いろいろと考えさせられたんですよ。「なるほどな」と思ったし、どこか潜在的に「俺は音楽出版社の人間かな」という気持ちがあったんでしょうかね。蓋されてたのがどこかでちょろちょろ出てきて、年末から年明けぐらいに村上からも「レコード会社はもういいんじゃないか」みたいに言われるわけですよ(笑)。その時はその気はなかったんですけど、株主の方とお会いしても「君は戻らないんですか?」って言われる(笑)。でもまだその時も辞めるつもりはなかったんですよ。それからしばらくして稲垣さんと話して「やっぱり日音に戻ってやった方がいいんじゃないの?」って言われて「その方がいいのかな」って…この時に一番考えたかな。とはいえそう言った本人にも「でも辞めちゃダメだよ、まだまだ働かなきゃ」って言われたりして。それから3ヶ月ぐらいしてからかな、「やっぱりどうする?」っていう話になって。タイミングとしては改選期の方がいいだろうということで、あっという間にそうなっちゃったっていうことなんですね。だから僕、6月30日まで勤め上げて、1日から勤務してますからね。

−−空白ゼロですか?

恒川:空白ゼロ。当時からずっと一緒に働いてる日音の連中が「何の違和感もないですね」って。

−−あははは(笑)

恒川:でもそう言ってくれて嬉しかったですよ。なんていいこと言ってくれるんだろうって思いました。

−−やっぱり「日音の方」なんでしょうね。

恒川:そうでしょうね。それから何よりも株主の方も異例なことを認めてくれたし。だって戻った奴なんていませんからね。

−−オリコンとかで発表される人事を外部から見ている限りでは、日音から出向で社長をお引き受けして、形ができたんで戻りましたみたいなイメージでしたよ。

恒川:そういう風に言われましたね。外部の方だけではなくて、株主の方達からも「あれ、出向終わったの?」って(笑)。「出向じゃないですよ」って言ったぐらいで。まあ日音がワーナーチャペルっていう世界一の音楽出版社のカタログを35年ずっと村上がやってることもあったので、行くならワーナーだっていうのはあったんですよ。戻ってきた時に一緒に働いていた仲間達がそう言ってくれたことと株主の役員の方達に挨拶に行った時に「おかえり」って拍手してくれたことは、とても有り難かったですね。

−−日音の専務がワーナーに社長になって行って、戻ってきて副社長、社長で。そういう段取りだったのかっていうイメージでした。

恒川:そうなんですよ。「そういうシナリオが最初からあったんじゃないの?」っていう人もいるわけですよね。

−−「社長修行にちょっと行って来ようかな」みたいな。村上さんは後継者としてはじめから考えられていた気はしますけどね。

恒川:ええ。ある時から「そういう勉強を日常意識しろ」と言われていたことはありますけどね。

−−結局収まるところに収まられたということですね。