第29回 恒川光昭 氏

5. スタッフ、メンバーが一丸となって作ったC-C-Bの大ヒット

恒川光昭6−−ではC-C-Bについて改めてお話しを聞かせてください。

恒川:C-C-Bはね、語るべきテーマです。さっきから言ってるター坊っていう京平さんの弟がいるんですが、ター坊とは長い付き合いにも関わらずそれまでたいした仕事はしてなかったんです。ブレッド&バターぐらいでね。でもブレッド&バターはブレイクしなかった。業界での評価は高かったですけどね。やっぱり時代と合わなかったのかもしれないね。「傷だらけの軽井沢」とか今でも歌えるけどね(笑)。それでター坊が日本フォノグラムからポリドールに行ってから、あるバンドを見てくれと言われて、エッグマンに行ったんです。それがココナッツ・ボーイズだったんですよ。当時はもうレコード出してたかな。(編註:C-C-Bはココナッツ・ボーイズ名義で1983年にポリドールからデビューしているが、1985年にC-C-Bと改名)。スマイルカンパニーの小杉さんたちが関係していたみたいだね。それで見たんだけどね、まず下手だし、見かけもあんまり良くない。ただものすごくいい子達だったんです。マネージャーもとても良くてね。だけどどうやったら彼らを売れる商品にできるだろうかと思っても、なかなかアイディアが浮かばないわけですよ。

どうしようかと何ヶ月か話してるうちに、木下プロっていうTBSグループの制作会社があって、そこの阿部プロデューサーが「毎度おさわがせします」という番組を企画したんです。当時大センセーショナルを巻き起こしましたよね。当時のテレビ編成の担当が原田さん(原田俊明氏:現 トレソーラ代表取締役社長)だったんですよ。この3人は同じ年なんですよ。同じ19年生まれで、そういったよしみでつるんでたんです。それで「毎度おさわがせします」の音楽を考えてくれ、番組がこんな感じだから踊れるものがいいということで、最初に一世風靡が候補にあがってたんです。当時はそれこそ一世を風靡してましたからね。でも打ち合わせでまったく話がかみあわなくて、ゼロからまた考えようということになって「このバンドで第二のチェッカーズを目指すから私に任せて欲しい」と2人に頼みました。ター坊と話して、やっぱり曲は京平さん、詞は松本隆さんだろうということでできたのが「Romanticが止まらない」だったんです。編成の方も当初「チェッカーズなんて嘘じゃないか。どこがカッコイイんだ?」「カッコよくするからみてろ」と。レコーディングに入って、船山基紀がどういうアレンジをするかなと思ってカラオケが流れ出したらあのイントロですよ。京平さんと「これは売れるぞ」と思った。番組の人達にも来てもらってスタジオで聴いてもらったら「いいんじゃない。お前が言ってた通りになるよ。後はがんばってな」昔の人は判断するのが早いんですよ。それであの曲ができて、これだけじゃダメだから名前を変えることになって。「ココナッツ・ボーイズなんてダメだ」と。メンバーも一緒になって考えたら誰が言ったのかわからないけど、「CCBと頭だけ取ったらどうか」と。これだったらキャラクターにもなるということで、C-C-Bになったんですよ。それで最後に「あと足りないのはお前達だ。お前達がここで何かをやらないことにはダメだよ」って言って彼らが考えたのが、髪をそれぞれの色に染めちゃうってことですよ。あれにはびっくりしました。挨拶回りに行こうとTBSの前で待ち合わせしていたら、突然自分たちで考えて髪を染めてきたんですよ。

−−あれは自分たちで考えたんですか!メイクはしてませんでしたっけ?

恒川:メイクはしてないですね。あれにはほんとに感動しましたよ。「よくぞやった」って。今でこそ当たり前だけど、あの当時で紫、グリーン、黄色、赤ですからね、びっくりですよ。連れて歩いたらみんなびっくりするんですから(笑)。1回放送したらドラマも大変な騒ぎになったんだけども、主題歌も問い合わせがどーんと来て、発売前に新譜バックが入っちゃうぐらいですよね。放送1回か2回して発売だったかな。あっという間にベストテンでしたから。

−−C-C-Bはほんとにゼロからしっかり作り上げたアーティストなんですね。

恒川:そうですね。いろんな仕事があるけどほんとに楽しい仕事なんていうのは10やったうちの2つか3つですよ。あとは仕事と思ってやれってことですよ。今の子たちって嫌な奴と仕事やりませんからね。でも仕事は好きになれない奴とやる仕事だっていっぱいあるわけですよ。それがヒットになることだっていっぱいあったわけだし、そういったことではこの仕事は、数少ない仲間でやって大ヒットしたっていうことでは、一番思い出になってますね。

−−達成感ありますよね。

恒川:そう。当時ポリドールの邦楽のシェアが社内で1ケタパーセントだったときですよ。だからこの貢献度は大変だったと思いますし、その頃死んだようになってた人たちが一気に息吹き返してがんばったっていうことでは大変な貢献だったと思いますね。

−−C-C-Bはどれくらい活動してたんでしたっけ?

恒川:8年間やってましたよ。だから日音は彼らの楽曲の権利をほとんど持ってるんですよ。コピーライトから原盤権からマーチャンダイジングからなにからね。もちろん最終的にはメンバーのものですけど、エージェントの権利だとかも全部持ってましたから。キャラクターや写真を使うことも全部取り扱ってたわけですから、大変なもんですよね。ビデオも今はTBSがやってますけど、当時はまだ立ち上がったばっかりでTBSと日音とで共同製作したり、ライブの主催をTBS事業部が初めてやって大成功したりして。ほんとに彼らは貢献するだけしてくれたと思いますね。最後の最後、解散コンサートまで直接彼らと関わってきましたから。

−−果たした役割は大きいですね。

恒川:それはやっぱりソウルメイツかなと思いますね。ただ仕事というだじゃなくて、彼らとの仕事はもっともっと深いところでお互いに関わり合えたと思いました。

−−今もそういった関係は続いていらっしゃるんですか?

恒川:いや、今はそういうつきあいはないんですけどね。ただ彼らのチーフマネージャーと現場マネージャーをやっていた二人を僕は引き受けました。現場にいた若いのが今でも僕の所にいますよ

−−でもほんとうにとてもいい時代を過ごされたわけですよね。

恒川:そうですね。ワーナーに行く時の挨拶状に「みなさんに教えて頂き育てて頂いた資産をレコード会社に行ってがんばってきます」と書いて出したような覚えがあります。自分で学んだとか努力したとかの記憶はないんですよ。ともかくまずそんな暇がない(笑)。一方的に実践で覚える、先輩や作家の方たちが言われることがすべて教科書だったっていうのがありますね。