第28回 小杉 理宇造 氏

株式会社スマイルカンパニー 代表取締役社長
 第28回目「Musicman'sリレー」は、(株)スマイルカンパニー代表取締役社長・小杉理宇造氏の登場です!
 不遇のミュージシャン時代を経て、音楽出版社、レコードメーカーで経験を積み、33歳で独立してレコード会社を設立。その後45歳という若さでワーナーミュージック・ジャパンの会長職にまで上りつめた小杉氏。現在は長年のパートナー、山下達郎氏を要するスマイルカンパニーの代表取締役社長として、またジャニーズエンタテインメントの音楽アドバイザーとしてその手腕を発揮しています。 音楽業界でも比類なきサクセスストーリーを生きてきた小杉氏に、自らその半生を語っていただきました。
小杉理宇造メイン
[2000年11月16日/渋谷・バッドニュース・レコード社長室にて]
プロフィール
小杉理宇造(Ryuzo KOSUGI)
株式会社スマイルカンパニー 代表取締役社長

1947年11月10日 東京生まれ。
1973年 (株)日音入社。1975年RCAレコード入社。このとき山下達郎と出会い、デビューアルバムのアメリカレコーディングを実現させる。1982年 独立してアルファムーン(株)を設立。のちにワーナーミュージック・ジャパン傘下となる(現イーストウエスト)。1995年、(株)ワーナーミュージック・ジャパン 代表取締役会長就任。現在はワーナー退任後、(株)スマイルカンパニー代表取締役社長として後進の指導にあたっている。また、KinKi Kidsのデビュープロデュースをはじめとするジャニーズグループの音楽アドバイザーとしても活躍中。

1. 挫折の連続…なりゆきまかせの青春時代

--まずは生い立ちを簡単に伺いたいんですが。

小杉:1947年11月10日東京生まれです。東京と言っても練馬区だから田舎だけどね。

--音楽業界とは無縁のご家庭だったんですか。

小杉:無縁と言ってもエンタテインメント業界は関係あるかな。親父が映画関係だったからどこかで関係してたんじゃないかと思いますけど。お袋も僕が小さい頃は子役を養成する、今の「劇団ひまわり」みたいなことをやってたらしいんだけど、僕は記憶にはないんですよ。

--ご兄弟は6人ですよね。その中で音楽業界入りなさったのは…

小杉:音楽業界は僕だけですね。

--6人のうち何人目なんですか?

小杉:男・男・女・女・男・女の5人目です。

--バランスいいですね。

小杉:バランスいいでしょ(笑)。それも全部3年に1人なんですよ、妹と一番上の兄貴が18歳違い。

--すごいですね。

小杉:でしょう?でも昔は「貧乏人の子沢山」とかいって1人食うも5人食うも同じって感じで。そういう意味では、精神的には豊かだったよね。教育は普通の公立に行けばいいし、塾の月謝がかかるわけでもないから。そういう普通の家庭ですよ。

--理宇造っていうお名前は本名ですか?

小杉:そう。「理科の宇宙を造る」というような意味で、親父は宇宙科学者になってほしかったんじゃないかな。なにしろスペースクリエイションっていう名前だからね(笑)。

--素晴らしい名前ですね。立派に別のスターをクリエイトなさいましたよね。

小杉:いえいえ。

--どんな少年時代を過ごされたんですか?

小杉:野球大好き、サッカー大好き!もうスポーツ少年ですよ。

--家にこもって音楽聞いたりとかはなかったんですか?

小杉:全然。アウトドアボーイですよ。

--アカデミックな雰囲気だったわけじゃないんですね。

小杉:まったくない。隣にドクターの家があって、そこの息子で僕が一番遊んでもらってた二つか一つ年上の人がラグビー部だったんですよ。僕はすごく運動が得意だったから、ぜひラガーになりなさいと言われてね。そのお兄さんが休みになるとラグビーにつきあってくれたんです。でもラガーになるにはそれなりの学校を選ばないといけない。その家の人はみんな立教なんだけど、俺は普通の区立中学校に行ってたからもちろん立教なんて入れないだろうけどね。でも高校の進路はラグビーをやるために決めたんですよ。花園の常連だった学校といえば保善と専修大学付属。お袋は当然、大学の付属の方がいいから、それで専修大学付属高校に入ったんです。実は僕、サッカーもけっこううまかったから、帝京とか何校からか特待生で引っ張られてたんですよ。

--それはすごいですね。ほんとにスポーツマンだったんですね。

小杉:そう。ぜんぜんイメージなかったでしょ。 それでね、人生って常に誰かの影響を受けるでしょう?僕は影響を受けやすいタイプだったから、そのお兄さんの影響でラグビーをやりに高校に入ったんですよ。そしたらラグビー部は全員坊主だったんですよ!坊主ほど恥ずかしいものはないと思ってたからすごく嫌でね。どうしよう、何のために入ったんだろうって。

--だったらサッカーで学校を選ぶこともできたのに。

小杉:そうですよ。それで坊主にしたことなかったからすごく悩んで、結局サッカー部にしちゃったんです。そしたらそこのサッカー部はめちゃくちゃ弱かった。東京の中でもワーストケースの学校で、1年からレギュラーになっちゃったんです。そうすると男子校だし、ヤキ入れられるんですよ、1年でレギュラーだから。

--レギュラーだったらやられないとかじゃないんですか?

小杉:レギュラーはもっとやられますよ。毎日殴られるんですよ。バカらしいじゃないですか。弱いし夢がないし。で、クラスでたまたま隣に座ってたやつが高校には珍しい管弦楽部にいたんです。彼はクラリネット吹いていて、すごくかっこよくて。それで管弦楽部に入ったんですよ。当時ベンチャーズが流行っていて、ギターがうまい奴がギターを持ってきて、昼休みに弾いてくれるわけよ。それで感動して「バンドつくろうよ」っていう話になって。そのクラリネットの奴がベース、ギターできるヤツもいて、ピアノなんてできるお坊ちゃんはいなかったから、あとドラムが必要だったんです。僕はほんとはサックスをやってみたかったんだけど、譜面をみたらあまりにも難しくて、これは覚えられないなと。ドラムの譜面が一番簡単だったし、ドラムだったらメンバーに入れてくれるっていうから「じゃあ、ドラムでいいや」って、ドラムやったのが高校1年(笑)。

--それが最初の音楽体験ですか。

小杉:そう。15の夏ですね。高校を選んだのは隣のお兄さんの影響で、サッカー部に入ったのは自分の意志だけど、それが嫌になって、音楽部に入ったのは隣の奴の影響。クラスにギターの上手いヤツがいたから、じゃあバンドやってみようかなと。

--かなりいい加減ですねぇ(笑)

小杉:まあそんな感じです(笑)。でもそのうち1年ぐらいでめきめきうまくなっていって、僕も含めて高校時代のメンバー4人のうち3人がプロになった。

--すごいですねぇ。

小杉:うん。あとの2人はテリーズっていうバンドをやってたんですよ。寺内タケシとバニーズだっけ?その弟分でテリーズっていうのがけっこう人気あったんです。僕の場合はジャズ好きの兄貴の影響があって、兄貴も中学の時はハワイアンとかずっとやってたけど、長男だからそういうことを許されなかったんです。お前は三男なんだから好きなことやればいいよ、俺もホントはミュージシャンになりたかったんだって言ってくれて。ただロックでなんか食えないんだからそれはやめてくれ、ジャズプレイヤーとしてプロになるんだったら俺は両親を説得してやるからって。兄貴の中では音楽と言えばジャズなんですよ。それで高校3年の終わりぐらいから本格的にジャズを勉強したんです。だから最初はジャズプレイヤーだったんですよ。当時はクラブしかなかったから、高校出てすぐ新宿のクラブで働いていたんです。

--プロのキャリアはジャズドラマーからだったんですね。

小杉:そうです。でもお袋が嘆いていてなかなかプロとしてやっていくことにOKもらえなくて、1年経ってやっとプロのプレイヤーとしてはじめて給料もらったのかな。

--専修大学付属なのに進学は考えなかったんですか?

小杉:全然。付属高校は進学できることが条件だから、勉強がまったくできなかったわけじゃないから試験さえ受ければいいんですよ。でも僕は1回も受けなかった。それである時にお袋が呼ばれて、先生になぜ試験を受けないんだって聞かれて「俺はプロになるんです。大学なんて行く必要ありません」って言ったらみんなすごくショック受けてましたよ。行かなかったのは僕だけかな。バンドのメンバーは一応みんな親のために進学したんですよ。だけど結局、卒業した奴は一人もいなかった。

--みんな親のためだけに行ったんですね。

小杉:うん。親のために大学に行ったけど授業は出なかった。リードギターの奴なんかは一度も授業に参加しなかったって言ってたな。もっとひどい奴はね、5人目のメンバーになった奴なんだけど、彼は中央大学の付属で、母子家庭で育ったのに、大学の入学金をもらって、払わずにアンプかなんかを買っちゃったのね。それはあまりにもひどいんじゃないかと思うけどね…(笑)。

--自分の息子だったら、やっぱり嫌ですよね。

小杉:嫌だよねぇ。

--小杉さんの場合は行かないんだから、入学金も授業料もかかってないですよね。振り返ってみて、やっぱり行かなくて正解だったって思いますか。

小杉:いや、正解だったっていうのは結果論だよね。当時はそういう風に思わなかった。