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| ●じゃあイギリスでは楽しく自由な高校時代を送ったんですね。 |
| ところがね、楽しく自由な高校時代を送っちゃった為に、日本に帰って来て普通に日本の大学に入ろうって雰囲気じゃなくなったんですよ。そもそも当時は高校生の海外留学が少なかったから、簡単には高校卒とは認められなくて、元の高校に戻らなきゃいけないとか、大検受けなきゃならないということになったんです。けっこうたいへんだな、他の留学生はどうしてるのかなと思ったら、みんなはアメリカの大学を受けると言う。じゃあ僕もっていうんで、今度はアメリカの大学に入ったんです。
アメリカの大学は、1年目は大学のキャンパスの寮にボンッと放り込まれるんですよ。だから他のアメリカ人と同じように、みんなが「ハジメマシテ」なんです。アメリカも広いからね、西海岸生まれの人なんて東海岸に来たことないし。いろんな人がいましたよ。 そういえばあの時もねあんまり小遣いがなくてね…。うち、もうちょっとお金持ちだったと思ってたのにな(笑) |
| ●仕送りは人並みだったんですね(笑) |
| アメリカ人の学生は、基本的に親に金出してもらって大学に行く奴っていないんですよ。奨学金もらって卒業して就職してから返すとか、あるいは夏休みが4ヶ月ぐらいあるから、夏の間にバイトをして一生懸命学費貯めて、払うとかね。だからみんないつも金がないんです。彼らと一緒に寮にいたから、一人だけ親から金もらって生活してるのが格好悪くてね。 |
| ●たしかに一人だけそういうわけにはいかないですよね。 |
| だから、親に「金いるか?」って聞かれても「いらない」って言ってました。
もちろん親の弁護のために言っておきますと、学費も払ってもらったし、ちゃんと下宿して困らないだけの仕送りもしてくれてましたけど…でもそういう生活してない学生と一緒にいたら自分だけ、ねぇ…みんなが週に20〜30ドルで生活してるのに、こっちは50ドルも100ドルもって、格好悪いからね。だから雪が降るとシャベルを持ってジョージタウンの街の家に行って、雪かき5ドルとかバイトしてましたよ。 それからアメリカ人の学生と同数の単位を学期内に取るのが僕にはちょっと辛くて、本来なら各期5教科ずつ取っていくところを、僕は4教科ずつ取って、残り2教科は夏休みの間にサマーコースを受けてたんですよ。ところが夏休みは寮生は寮から追い出されちゃうんです。寮はワシントンにあったんですけど、夏だけワシントンに来てバイトをする人たちのための安宿になるんですよ。それで僕は夏の間寮を出て、サマーコースを受けるためにどこかに下宿しなきゃいけなくなったんです。そこで寮の夜警バイトをやったんですよ。月曜から金曜まで夜中の12時から朝の7時まで夜警をやってるから下宿いらないんです。7時に仕事が終わってワシントンの友達の家に行く。友達は昼間バイトに行くから部屋があいてるでしょ。だからそこで2時間ぐらい寝て、シャワー浴びて、着替えて。着替えも車の中に放り込んでおいてね。夏の間はずっとそうやって過ごしてました。 |
| ●仰ってた知恵で生き延びるっていうことを実践されてますね(笑) |
| 夏の間の下宿代がうく上に、ちゃんと給料ももらえるんだからね(笑) |
| ●ぜんぜん普通の学生ですね。 |
| そうですよ、普通の学生だったんだから(笑) |
| ●その級友たちにはあのソニーの御曹司っていうのはバレてたんですか? |
| いやあ、あんまり関係ないですよ。そういうこと聞かないし、いくら「俺はソニーだぞ」って言ったって、「俺はケネディだぞ」っていうのがいくらでもいるわけでしょ?「負けたぁー!」みたいなノリですよ(笑)。そんなこと気にしないしね。だから2年間の高校生活と4年間の大学生活っていうのが、けっこう今日の自分の考え方にいろいろ影響してますね。 |
| ●そうですよね。日本とは自由度が違いますよね。もし日本でずっと大学まで過ごしていらっしゃったら、やっぱり違ったキャラクターだったと思いますか? |
| そうですねぇ…もっとお金持ちのお坊ちゃまっていう感じだったかな(笑)。もう少しオシャレだったかもしれないけど。
夏休みにね、日本に帰ってきて友達と夜遊びに行くとね、クラブじゃなくてディスコとかの入場料が5000円とか6000円とかでしょ。 |
| ●そうでしたね。 |
| ねぇ。僕はたまげましたよ。5000円あったら僕らは1週間生活できますからね。一晩で5000円か6000円払ってさ、何か飲んで奇麗な所で踊って…。2〜3週間帰ってきてる時にお袋が小遣い3万円ぐらいくれたんですよ。こんなにあったら1ヶ月生活できるな、と思ったら、1週間もたなかったからね。 |
| ●東京はそうですよねぇ(笑) |
| 日本人ってお金持ちだと思ったもんね。僕はアメリカはお金持ちだと思ってたのに、日本人ってすごいなって。みんな若いうちからこんな高い所でこんな楽しく遊んでるんだと思ってたまげた。それでこれは自分に向いてないと思ってアメリカに逃げ帰ったようなもんですよ。結局大学出てからアメリカに3年ぐらいいたんで、17から27まで10年ぐらい日本にいなかったことになるんです。 |
| ●帰国子女とかそういうレベルじゃななくて、高校からしっかり自分で生きてこられたってことですね。 |
| うーん、確かに自信はできたかもしれませんね。 |
| ●最初の就職先はアメリカなんですよね。 |
| そうです。モルガン銀行のニューヨークとロンドンに1年半ずついました。 |
| ●就職を考えたときに将来の夢とかやりたいこととかあったんですか。 |
| 僕はね、ソニーが好きだったんですよ。小さい時のソニーを覚えてるから、ずっと一緒に大きくなってきたソニーっていう会社が好きだったし。うちの親父だけじゃなくて、井深さん(井深大氏:ソニー(株)創業者)たちも小さい頃からずっと見てたから「あぁ…すごい人たちがたくさんいるな」って子ども心に憧れてたんでしょうね。ソニーを大きく創っていく人たちを子供の頃から知ってて、みんな強烈な個性の人たちがたくさんいたでしょう。大賀さん(大賀典雄氏:ソニー(株)取締役会議長)もうそうだし、田宮さん(田宮謙次氏:元(株)アイワ代表取締役会長)もそうだし。今スカパーの会長をやってる卯木さん(卯木 肇氏)は、ソニーの国際部の外国部長だった人ですからね。だからいずれ僕もこの会社に入って仕事したいなとは思ってたんです。 |
| ●たしかに普通は出会えないような人達が周りにいらっしゃったんですからね。 |
| でも、アメリカの大学を出たから、そのまますんなり日本に帰って日本の会社に入っちゃうのはつまらなくて、それでアメリカの銀行に勤めたんです。一応アメリカの東部の大学出て、マンハッタンのウォールストリートで働くっていうと格好いいじゃない(笑) |
| ●いや、ほんとにすごいですよ。 |
| ねぇ。東大出て、丸の内や大手町で働いてるようなもんだからね。格好いいかな、と思ったんだけどね…頭使うより体使う方が向いてるみたいでねぇ(笑) |
| ●モルガン銀行では何をなさってたんですか? |
| 為替ですね。フォーリンエクスチェンジ・アドバイザリーグループっていって、お客さん相手に為替のアドバイスしたりとか、あとはインターナショナルマネージメントグループとか、コンサルタント系をずっとやってたんです。モルガンのお客さんは一流の大企業だから、大企業相手にいろんなアドバイザリーをやるチームの人と一緒にいて「世の中には頭いい人がたくさんいるんだな」と思いましたよ。自分は頭悪いけど、相手のお客さんはすごく頭いい。「すごいなー」って思って見てましたよ。 |
| ●じゃあ、そういう為替や税務などのことも全部勉強なさってたわけですか。 |
| 結果としてはそうなりますね。それでモルガンに3年、海外生活も10年になっちゃったから、親父が言ったのか僕が自分でが言ったのかよく覚えてないんだけど「そろそろ日本に帰ろうか」ってことになって。それで最後はモルガンのロンドン支店に移って、それから日本に戻ったんです。 |
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