ぴあ株式会社
代表取締役社長 矢内 廣 氏
「ぴあ」の窮地を救ったふたりの「恩人」

●創刊第一号っていうのは、何部ぐらい作ってどういう風に置いてもらったんですか?
それがね、10,000部刷って2,000部しか売れなかったんですよ。
●それでも2000部売れたんですか。
うん。でもね、当時はね、なんで2,000部しか売れなかったんだろうって。もっと売れるはずだと思ってたの、僕はね。でも、考えてみればね、100軒足らずの店にしか置けなくて2,000部っていうことは、1軒平均20部売ってるんだよね。何の宣伝もしないでね、店頭に置いただけですからね。
●置き方っていうのは、流通大手を使ったわけじゃないんですか?
いやいや。それがね…大変だったんですよね。取次店。ご存じの通りトーハン、日販ありますよね。この流通に乗せれば全国の書店にまかれるんだけども、そこまではわかってて、トーハンも日販も取次店の雑誌の仕入部に行きましたよ。で「今度ぴあっていう雑誌を出すことになりましたけども…」って言うんだけど、こっち学生だからね(笑)。向こうキョトンとしてたよね「ぴ、ぴあですか…」って(笑)。ぜんぜん相手にしてもらえなかったんだよね。今だって雑誌の口座を開くっていうのは大変ですからね。今から30年以上前で、学生がそんなこと言ったら相手にしなかったでしょうね。
●今でも同じじゃないですか?今、学生が行ったって、もっと相手にしてもらえない。
うん。それで、ま、取次店は相手にしてくれないだろうなと、そこまでは織り込み済みだったんですよね。当時ミニコミ誌っていっぱいあったんですよ。大学のキャンパスのそばの本屋さんなんかに、けっこうね、学生が作った詩集なんかや評論集なんかを置いてくれてたんだよね。そういうのをずっと普段から見てたから、最後はもう書店に直接持っていって、直取引で置いてもらえればいけるだろうって、たかくくってたところがあるのね。それでサンプル持って「さあ、書店まわろう」って書店まわったら、これがね、予想に反してことごとく断られちゃうわけですよ。
●置いてもくれない?
置いてくれない。まあね、たしかに「売れるか売れないかわかんない本、そんなスペースない」って言うわけね。場所もないし、取次じゃなくて直取引だと清算とかがめんどくさくてしょうがないみたい。それでみんなに断られちゃって…それで弱ってね(笑)。どうしようかと思って。もう印刷あがってくるし、みたいなね。
●あの、そのリサーチはしなかったんですか?こういう見本を作って、サンプル作ってこういう本を置いてくれるかっていうことはしなかったんですか?
しなかったんです。
●しないでいきなり1万部刷っちゃったんですか?
そう。もう…周りにそういうのいっぱいあったからね。置いてくれるはずだってもう信じてたのね。それで…その時にね、偶然ね「日本読書新聞」っていう新聞見てたの。そこにね、もう亡くなった新宿紀伊国屋の社長やってた田辺茂一さんっていう人の記事が載ってた。茂一さんが悠々会っていう会の会長をやってたのね。この会はね、書店の田辺さんを中心とした親睦団体みたいなもんで、東京都内の有力書店は、ほとんどそこに加盟してたのね。その田辺さんが「書店のマージンをもっと引き上げていかないと、日本の出版文化、活字文化はなくなってしまうという危機にこれから向かう」というような警告をしてたわけ。その記事を読んでね「あ、これだ!」と僕は思ったんです(笑)。意外と短絡的なんだよね(笑)。「この人は書店の取り分を増やしたいと言ってる。我々ぴあは直接本屋さんに持っていくんだから、取次店はいらない。そこのマージンをうちと書店と半分ずつわければ、書店のマージンは増える。利害は一致してるはずだ。これだ!」って思って、悠々会に電話するわけですよ。そしたら、女性が出て「はい。こちら紀伊國屋書店新宿本店です」って言うわけね。「あ、そうですか…悠々会じゃございませんでしょうか?」「悠々会にどういうご用件でしょうか?」「いや、実は『日本読書新聞』っていう新聞を読みまして、大変感激しました。私どももいろいろと考えていることがありましてね、共闘できるんじゃないかと思ったんです」。
●共闘(笑)。大きく出ちゃったんですね(笑)。
そしたらさ(笑)、その電話に出た女性がね「いや、そういう難しいことでしたら、ちょっとお待ちください。こちらの番号におかけ直しください」って言って、別な電話番号をくれたの。それですぐそっちの電話番号にかけ直したらまた女性が出て「はい。こちら『風景』編集部です」「悠々会じゃありませんでしょうか?」「どういうご用件でしょうか?」「いや、実は『日本読書新聞』で大変感激しまして共闘できるんじゃないかと思いまして」。そしたらその女性がね「はぁ…そういう難しいことでしたら、ちょっとお待ちください。今、会長おりますので代わります」って(笑)。
●ご本人が(笑)
そしたら、田辺さんが電話に出ちゃったわけ(笑)。それで「これこれこうで共闘できるんじゃないかと思って」って言ったら「うーん」とか言って。「そんな難しい話、ちょっと電話じゃダメだ。こっちに出てこい」って言うわけ。それで住所聞いて行った。行ってわかったんだけど、田辺さんの自宅だったの(笑)。「風景」っていう冊子が当時あったんですよ。舟橋聖一さんが編集長をしてて、作家、物書きなんかの人たちがエッセーを寄稿してたり。田辺さんご自身がそういう方たちと親交が非常に深かったってこともあってね。自宅のスペースを開放してその編集部に使わしてたの。だから、その電話番号っていうのは、風景編集部の電話であるし、悠々会の電話番号でもあるし、なんと実は、田辺さんの自宅の電話番号だったわけ(笑)。それは後でわかるんですけど。それで田辺さんといろんな話したんだけど…。そうそう、田辺さんは当時「二日酔いの後はカゴメトマトジュースがいいや」とかなんかっていうコマーシャルに出てた人ですよ。お会いして(この人か〜)って思ったけどね(笑)。それでいろいろお話ししたんだけど、「うーん」とか「あぁ…」とか言ってるばっかりでね「俺にはこれは難しい話だ」とか言うわけですよ。それで「いいのがいるからそっち行ってくれ」って言われてね。「体よく断られたかな…」って思って。「あの…日キ販っていう所に中村ってのがいるから、今電話してやるから」いきなりそこに電話して「そっちに今イキのいい若い奴行くからよろしくな」とかなんか言って(笑)。それで、教わった所へ行くわけですよ。飯田橋にあってね。日本キリスト教書出版販売っていう、これも取次店の1つで、バイブルとかね、キリスト教関係の書物を中心に扱ってる取次店なんですよ。そこの専務をしてた中村(義治)さんっていう人がいたんです。今、銀座の教文館っていう本屋さんの社長をやってますけどね。それで、中村さんに会った。で、同じ話をしたんだけど、こっちは話が早くてね。「あ、それはダメだよ」って言うんだよ。「君が何考えてるんだかよくわからないけど、一緒にしないでくれ」って(笑)。まあ身なりを見ればね、そんな学生が何言ってるんだろうってことですよね(笑)。それで「これでもうこの先がないな…」って思ってたら、「ところで君はいったい何考えてるんだ?」と中村さんが水を向けてくれたんで、初めて「実は…こういう雑誌を出そうと思って取次店まわったけど全部断られて、書店まわったけどここもみんな断られて…実は大変困ってるんです」という話をして(笑)。そしたらその中村さんが「どんなものかちょっと見せてみろ」って言うんで「ぴあ」のサンプルを見せたら「やめた方がいいな」って(笑)
●(笑)
言われた(笑)。それで、その後、何しゃべったか全然覚えてないんだけど、まあいろいろ説明したんですね。そしたら、しばらくしてから中村さんが「いったいどこの本屋に置きたいんだ?置きたいと思ってる本屋をリストアップして持ってこい」ってことになった。で「わかりました」ってその日は帰った。僕のアパートにみんな集まってきて「どうだった?」「いや、これこれこうで本屋さんリストアップして持って行くことになった」。今だったらね、全国書店組合名簿なんてあるから簡単にそのリスト使ってできるんだけどね、そんな存在すら当時知らないから、記憶をたどって電話帳ぐらい使ったかな…新宿の紀伊國屋とか渋谷の大盛堂とか神田の三省堂とか、みんな大きな本屋ばっかり(笑)。それでもね、100件ちょっとぐらいリストアップして、翌日持っていった。そうしたら「また明日何時に来い」と言われて、次の日行った。そしたら、これはもう僕にとって一生忘れられないことになったんだけども、デスクの上にね、封筒を山のようにして用意して待ってる。で「これを持っていけ」って言うんですよ。「何ですか?」って言ったら、一通一通ね、僕らがリストアップしていった本屋さんに宛て紹介状を書いて下さってた。文面はコピーだったけども、最後は直筆で署名がされてて、実印が押されてて、宛名もね、僕ら書店の名前しかわからなかったのに、中村さんは「○○書店○○社長殿」っていう風に社長の名前まで入れてくれて、それ封筒に書いてね「これ持ってまわりなおせ」って言うの。それでね…これはもう感激しちゃって、こんなことしてもらっちゃっていいんだろうかっていうね。びっくりしちゃってね…。だって、田辺さんの紹介があったというもののね、ほんと見ず知らずの…。
●縁もゆかりもない…。
ない人間がね、ほんと海の者とも山の者ともわからない奴がね、そんなばかげた話をしてそこで紹介状書いてくれるのかって、ほんと驚いちゃってね。もう…ほんとにちゃんとお礼言えたんだろうか、って。その時の記憶あまりないんだけどね。ただ、帰る時にね、その封筒の束かかえて、日キ販の建物は古い建物だったんで…木の階段だったのね。で、ギシギシ音がするわけ。で、夕日がここからこう斜めに差し込んで。その風景、今でも思い出すんだけどね。膝がガクガク震えててね。こう階段を下りるたびにギシギシ階段がきしんだ音たてて、夕日の中を封筒を抱えて出ていく…っていうね。それは時々ふっと思い出すんだよね。今でも。それで、その紹介状を持って、翌日またみんな手分けしてね、一度断られたお店にもう一回まわり直すわけですよ。「しょうがねーな、中村さんか」とかいろんなこと言いながらも置いてくれました。
●全部OKだった?
いや。そんなことなくて断られたお店もあったけど。89軒の店が置いてくれたんですよ。これがぴあのほんとのスタートなんです。だから、ほんとにね、田辺さんに出会ってなければ、中村さんにも出会ってないわけだし、このお二人に出会ってなかったら、ぴあは生まれてなかったんですね。
●それもやはり矢内さんの積極的な生き方が何かを呼び起こしてくれた。
ま…無謀というかめちゃくちゃだったよね。考えてみるとね…。ほとんど思いこみで動いてたしね(笑)。
●でも、やっぱりそれはお若かったし、ダメならダメでしょうがねーやっていうのがどこかにあったんでしょうね。
それはもちろんそうですね。何か守るものも何もないわけだしね。 まあそんな感じで「ぴあ」は誕生したんです。

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小学生の哲学者!?
企業家人生の始まり!?「甘納豆事件」
発明に明け暮れた高校時代
映画とバイトの日々…「ぴあ」誕生へ
TBSから生まれた!?「ぴあ」創刊
▼「ぴあ」の窮地を救ったふたりの「恩人」
【メールインタビュー】
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