作曲家
宮川 泰 氏
ピーナッツとの出会い…華麗な作曲家人生の始まり

●宮川先生のキャリアのなかでもわりと最初のほうなんですね、ピーナッツっていうのは。
うん、シックスジョーズ入って1年もしてないのに…あ、松本英彦さんがいたときだ。だからやめる寸前かなぁ?ピーナッツ入ってきたのは。それでお前に任せるからちゃんとやれってね。
●ということはそのころから大先生を40年ぐらいやってらっしゃるわけですね(笑)。
大先生じゃないけど(笑)そうなるね。カバーじゃないオリジナル曲で最初のころに作ったのはね、そのころ流行ってたロックンロールの「エイエイオー、ウォーウォーウォー」っていうのを「♪ふりむかなぁ〜いで〜エイエイエー♪」(「ふりむかないで」/1962年)ってやってね。ロカビリーの初期の真似をしたわけ。真似はなんぼでもできるわけよ。ジャズやってたから、あれよりもっと高度なことやってたわけだからね。アメリカンポップスってこんなのかってね。スラスラ〜っと書けたんだよ。それで『ザ・ヒットパレード』に入れちゃったらいきなりトップいっちゃって。それで「お、俺は作曲もいけるな」って自信ついてね(笑)。次の年かなできたのが「恋のバカンス」(1963年)。それでいくつか歌作ってさ、ある程度は認めてもらえるようになったけど、中村八大さんとかバーンといるからさ、なかなか…。
●中村八大さんと交流はあったんですか。
うん、同じ会社で渡辺プロだったけど、もう大先輩だからね。雲の上の人だよ。まあ僕も少しは売れて関係者にも認知されるようになったんだけどね。それで昭和38年(1963年)のレコード大賞ね、いろいろ賞あるじゃない。僕が最初にもらったのが「恋のバカンス」の編曲賞。あの年にはいい編曲がなかったの。でも「恋のバカンス」のアレンジはジャズ風で、歌謡曲には全くと言っていいほどなかった時期だったから、だから編曲賞もらったの。翌39年は「ウナ・セラ・ディ東京」とかたくさん作ってた。今度は作曲賞に該当するのがいなくて、「あの、去年の宮川ってのはたくさんヒット曲つくってるから、あれにしましょう、そうしましょう」って簡単に俺にくれたのよ(笑)。38年の編曲賞の次は39年の作曲賞でしょ。じゃあその次はレコード大賞だ!って俺は思ったの(笑)。がんばったがんばった。でもいっこうにできないんだよね(笑)。やっぱり欲を出すとなかなかね…こうやったら売れるかなとか、ノウハウを少しずつ学んだ気でいるわけですよ。あのメロディはこういう風にしたからよかった、とか、このアレンジは、ハーモニーは、リズムはこうしたほうがいい、とかね。ジャズやってたから、そういうことは演歌や歌謡曲の世界の人よりも優れているわけですよ。そのジャズの手法で伴奏書くと、とてもあか抜けていて素晴らしいってみんな思ってくれるの。だから(編曲は)楽だったのね。でも作曲となると話は別で、インスピレーションと、あとはいい詞をもらって自分が歌がうまくて、酒飲んでどこでも大きな声で歌えて、歌を歌うのが好きで…そうじゃないと曲は書けないね。流しの歌手上がりの作曲家がものすごい多いわけ、日本は。船村徹とか遠藤実とか、みんなそうだもんね。

だからどうやったら受けるかとか、大衆は何を求めているかとかね、音楽的な学問はともかく、そっちのほうはみんなすごいからね。
●それは今の音楽にも言えることですね。
うん、でも今の音楽はね、音楽学校ちゃんと出たヤツがいっぱいいるしね、マニュアルや資料も山ほどあるんですよ。音だって何だって今の機械はいいからさ、優れた音楽がいつだって聴けるし、すぐ作れちゃう。だいたい最初はピアノが芯だったのが、ある時期からフォークギターが全盛になって、その後はギター中心で、今もやっぱりギターでしょ。フォークで生ギター弾いてたのが、エレキでガーンと音が出るようになって、さらにエレキでいろんな音が出せるようになって、世界中でそれが主流になったでしょう。日本は真似するの好きだからね。それで日本のポップスは急激に…60年代の後期から70年代、80年代の前半まで。これが日本の歌謡曲・ポップス界にいい曲ができた時期だね。あのころヒットした曲を今聴くと、ああ日本人はすごいって思いますよ。モノマネばっかりしてるようで、日本人の曲がちゃんとできてるじゃないかって。しかも外国風の着物を着せて飾り立てて、そしてそういう歌を日本で流行らせて、それでおばちゃんもおっちゃんも若いヤツもみんなそういうの好きだし…ジャズはまた別のルートでね、一生懸命やってたけど、ジャズだけはどうしてもなかなか芽が出なくて…今は何人も(ジャズのトップミュージシャンが)いますけどね。
●ジャズはやっぱり(昭和)30年代がいちばんすごかったんでしょうね。あとは日本はポップスのほうへ行っちゃいましたからね。
そうね。でも今でも日本でジャズで優れた人いっぱいいるからねえ。
●テクニック的にはみんなすごいですよね。
うん、すごいよ。だけどね、ジャズっていうのは昔スイング時代、1920〜30年代はね、社交ダンスのフォックストロットの伴奏がメインだと言ってもいいぐらいで、ッチャッ、ッチャッっていう踊りと一緒にでね…
●それで大衆と結びついていたんですね。
そう、ダンスがあってのジャズだったのに、モダンジャズはダンスできないんだよ、難しすぎて。
●それで頭のほうへ行っちゃって、大衆と別れちゃったんですね。
だからみんな貧乏になって苦労して、酒飲んでブツブツ言って体壊して薬やって…ってなっちゃうわけでしょ。勉強すればするほど難しいドツボにはまっちゃうわけですよ。

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