第139回 須藤 晃 氏 音楽プロデューサー

2. 「石川啄木になりたい」詩人に憧れた学生時代

須藤 晃 氏 音楽プロデューサー
−− 少年時代に何か熱中していたことはあったんですか?

須藤:僕はどちらかというと文学少年だったんですね。人と遊ぶことが苦手で、子どもって野球をやったり、外で遊ぶイメージですが、僕は学校が終わると隣接している図書館へ行って、閉館時間まで本を読んでいるみたいな少年でした。

−− 当時はどんな本を読まれていたんですか?

須藤:もう手当たり次第ですね。自分がちょっと興味ありそうなものは何でも読んでいました。自分が大人になってちょっと有名になった時期に、その図書館長だった人に会ったときに「図書館にあった本はほとんど全部読んでいたね」って言われたくらい、本ばかり読んでいました。それで子どもの頃から将来は詩人になりたいと思っていて、石川啄木が有名だったので「石川啄木になりたい」みたいなことはよく言っていたんですよ(笑)。それで高校のときに寺山修司が好きになって、彼からもすごく影響を受けました。

−− ご自分でも詩は書かれていたんですか?

須藤:ええ。小学校のときから夏休みの宿題とか出さなきゃいけないときに詩を書いて出していましたね。まぁ詩とは言えないようなものですけどね。散文を書くよりも詩を書くのが好きだったというか。妄想したり想像したり、お金もないし物を手に入れることができないので、そっちのほうにいっていた気がしますけどね。

−− 本物の文学少年ですね。

須藤:そうですね。レコードというメディアに出会わなかったら多分、物書きになっていたんじゃないかなって思いますけどね。最終的に音楽の仕事に就くわけですが、大学を受験するときですら親父に「将来詩人になりたい」って言って殴られていましたからね(笑)。「どうやって食うんだ!」って。

−− (笑)。やっぱりクラスの中でも須藤さんは変わった子だったんですかね?

須藤:変わった子だったと思いますね。でも、頭は悪くなかったんだと思うんですね。だから、なんていうんでしょうね…変わった人間なんだけど、あんまり喋らないし、夢想家みたいな感じなので、あんまり人が寄ってこないっていうんでしょうかね。

−− 孤高の少年っていう感じですかね。

須藤:そこまではいかないですけど、中学・高校で友達はあまりいなかったですね。まぁ大学のときも友達なんてほとんどいないですけど(笑)。その流れで就職して、仕事上の付き合いの人はいっぱいいますけど、人付き合いは未だに上手くないですね。仕事となればどんな人に会うのも全然平気なんですけど。

今もそうですが、僕は特にアーティストと一緒にご飯食べたり絶対しないんです。もともとお酒も飲まないですし、仲良しこよしというか和気あいあいとするムードというのが苦手なんですね。流石に最近はみんなそのことを知っているので、僕のことを誘わないですが、これだけ色々な仕事をしてきて、みんなが知っている仕事は凄く多いと思うんですが、その割には付き合いがどれも浅いです。仕事上は付き合うんですが「今度の休みみんなで釣り行こうよ」とか「サイクリングに行こうよ」とか、そういう遊びの類には一切参加しないんですよね。会社に入った頃はちょっと無理して付き合ったりもしていましたけどね。そもそも得意じゃないんですね。

−− いわゆる業界のパーティ的なものも苦手ですか?

須藤:ほぼ出ないですね。だからそうこうしているうちに嫌われることもあったでしょうし、「格好付けている」と思われたことも多いでしょうね。別に格好付けているわけじゃなくて、気の利いたことが言えないんですよね。だから女の子がいっぱいいるようなお店も連れてってもらっても、喋ることがないというか、例えば、女の子が一生懸命喋っていて、それに適当に相づち打ちながらちょっと親しくなるみたいなことが全くできないんです。「私って身体弱いじゃない?」って言われたって「いや、知らないんだけど…」ってそういう風に言っちゃうと元も子もないじゃないですか(笑)。良く言えば根が真面目なんでしょうが、なんか、気が利かないというか愛想がないんです。

−− 学生時代、クラスには女の子がいますよね。そういった女の子とはどうだったんですか?

須藤:いや女の子には凄くモテましたよ。女の子がついてきたり手紙貰ったり。

−− サービス精神がなくても向こうから寄ってきた?

須藤:寄ってきたというか声を掛けられたりしますよね。そりゃ、勉強ができるのに寡黙というか、ストイックな感じだと、思春期の女の子は興味を持つと思うんです。

−− 今チラッとおっしゃいましたけど、やはり勉強はできたんですね。

須藤:成績は良かったですね。特に英語と国語が得意でした。中学のときは富山だったんですが、近くに教会があって、そこにカナダ人の宣教師家族がいて、ちょっとしたツテで彼らから英語を習っていたんです。当時そういうチャンスってなかなかないじゃないですか。それで教会へ行っているうちに海外のカルチャーに急激に惹かれていくんですね。だから一生懸命英語の勉強をしていました。早く喋れるようになりたいとか、将来は外国に住みたいとか、そういうことは中学生くらいのときから思っていましたね。

数学とかはあまりできなかったんですけど、国語と英語の成績がいいのでなんとかバランスが取れていた感じがしますね。国語なんて試験があって「答えが違う」って先生に言われると、「それは正解が間違っているよ」って言いに行くタイプだったので(笑)。「これはそれぞれの解釈があって〜」みたいなね(笑)。

−− 扱い難い生徒ですね(笑)。

須藤:そうですね。でも、昔の先生ってある意味そういうことを受け入れてくれる度量があったような気がしますね。面白がられたというか。