第115回 吉田 真佐男 氏

6. クオリティ、時間、量、すべてを超越して起こったビーイング・ブーム


−−ビーイングの存在を知るきっかけは何だったんですか?

吉田:たまたまある日、会社に戻ってきたら僕の机の上にシングルCDが置いてあったんです。宣伝マンの方が置いていったのでしょう?それがB’zだったのです。まだ売れていなかったB’z のCDを聴いて、衝撃を受けたんですよ。日本にもこんなアーティストがいるんだ、こんなにクオリティの高い音楽を作る会社があるんだとビックリしました。それでCDにBMGビクターと書いてあったので、すぐに松井制作部長に電話したら、「これはビーイングって会社が制作している」と教えてくれて、すぐに連絡しました。数日後、近くの喫茶店で長戸さんと会いました。僕はゴールデンで始まる新しい番組のオープニング、エンディングをやってくれと話を持っていったんですが、テレビというメディアと組んで仕事をすることに抵抗があるらしく最初は断られて、それでも説得してね。結局、引き受けてくれることになって、4,5曲くらい候補曲デモを持ってこられ選んだのが「BE THERE」でした。

−−B’zのブレイクのきっかけはタイアップだったんですか?

吉田:現在のB’zの活躍を考えると、たまたまその時僕が関わったということかもしれませんが・・・。僕の記憶では「BE THERE」がオリコン初登場7位、その次の「太陽のKomachi Angel」こちらは我社は関係なくカメリアダイヤモンドのCMソングだったのですが、この曲からオリコン初登場1位となりましたね。僕はビーイング以外で、音楽制作会社3社くらいに制作依頼して、どんどん曲を集めていましたが、圧倒的にクオリティが高いのはビーイングだったんです。ダントツに良い曲を作っていて、それがのちのビーイング・ブームになっていくんです。

−−90年代ですよね?

吉田:そうです。普通のレコード会社のプロデューサー・ディレクターの制作工程は、詞や曲の打ち合わせ、アレンジをして、オケを作って、歌入れして、約一ヶ月工程でやっていたんですね。まあ一ヶ月かからなくても最低3週間のところ、ビーイングは完パケまで一週間で仕上げていましたからね。早いものは更に短時間で・・・。やっぱり不可能を可能にするとか、時間を超越するとか、そういうことをしないと勝てないんですね。それが互いに仕事をしていくうちに意識としては普通になってしまう。クオリティ、時間、量、すべてを超越していく中でビーイングブームは必然的に起こったんです。

−−その毎日大量に作られる音楽を吉田さんは全て聴かれていたんですか?

吉田:我社が関連しているものは全部聴いていました。徹夜も平気でしたしね。ゴルフも良く行きました。午後3時か4時頃に会社へ帰ってきて、それから夜中2時とか3時頃までずーっと仕事して(笑)。

−−それはすごい体力ですね。

吉田:野球で培ってきたので体力だけはあった。ブームを作っていったというか、結果そうなったというか?長戸さんだって、多分小室哲哉さんもきっと人の寝ている時間も働いているから人より上に行けたわけで、それはみんな同じだと思いますよ。人と同じ生活をして、人と同じことをしていたら、人と同じになるだけの話。昔は「人より良い生活をしたかったら、人の倍働け」って単純な理屈だなと思っていましたけど、そのとき「なるほど、こういうことか」とつくづく思いましたね。

あと、ビーイング・ブームのときに、長戸さんが本当に良いものを作って、僕はフレーム、インフラを持っているだけなので、宣伝屋みたいなものだったんですが、一生懸命仕事をして、でも、一番儲けられたのは第一興商さんですよ、きっと(笑)。結局、カラオケブームになって「歌って楽しむ文化」というのが世の中にでき上がっちゃったんです。そこで、ソフトを創り提供している側とそれを聴いている受け手側は全く違うことを考えているんだとつくづく思いました。

−−受け手側の考えていること、動向を読むことの重要性に気づかれたんですね。

吉田:そうですね。だから、それをいち早く市場としていた第一興商さんはすごいんですよ。その後、小室さんが出てきて、エイベックスさんが一生懸命売る。その結果、世の中に「踊って歌って楽しむ文化」ができ上がった。それで次に何がくるんだろうと市場の動向を考えたら、「下手でもいいから自分で作って、自分で演奏して歌って楽しむ文化」がくるだろうと。それで一生懸命探していたらインディーズがあったんですよ。これは面白いということで「Break Out」という番組を作ったら、やっぱり当たっちゃったんですよ。

「Break Out」では、インディーズなんて社会では誰も知らない、というか興味もなかった、と思いますが、ヴィジュアル系、Rockバンドの大ブームとなり「インディーズ」という言葉が初めて社会認知されましたね。僕が「Break Out」を作った1年後位から、テレビ・ラジオ局でインディーズを大々的に取り上げる番組が無数にできましたね。「Break Out」が大ムーブメントを起こしていく中、「ライブハウス」のほか「クラブ」も手掛けようと「FUTURE TRACKS」という番組を創りました。これもまた、クラブ系インディーズを取り上げて、ヒップホップ・R&B系のアーティスト達がブームになりました。両番組とも、音楽のジャンルとしてビッグビジネスに成長し、現在も生きていますね。