第115回 吉田 真佐男 氏

3. さまざまな遊びで得た「形にとらわれずフリーにものを考える趣向」


−−大学卒業後のことは当時どのように考えていたんですか?

吉田:2年の初めに学生運動がすごくて学校封鎖になっちゃったんですよ。みんな「学校が封鎖されると大変だ」なんて言っていましたけど、僕は「よし、これで学校行かなくていいぞ!!」って思いましたね(笑)。それからずっと遊び呆けていました。オートバイ、車、カメラ、釣り、ヨットと・・・。ちなみに7、8月は鎌倉でずっと過ごしていました。友人4,5人で海辺の家を借りて、ずっとそこに行っていました。

−−鎌倉に一軒家を借りていたんですか?

吉田:そう。友人の中にいろいろなルートを持っているやつがいて、当時20万くらいで一軒家を貸してくれたんです。皆で友人・知人を40人集めて一人5千円のチケットを発行すると20万になるんですね。ガリ版でチケットを刷って、それ持っているやつは泊まりに来ていいよって(笑)。それで来た人には確か一泊400円ずつもらったりとかして向こうでの我々の小遣いにしていました。そんな感じで大学4年間、夏はほとんど鎌倉にいました。

−−鎌倉では何をなさっていたんですか?

吉田:海にまつわる遊び以外は何もしてないですね(笑)。後半になると、夜は赤坂のビブロスへ遊びに行って、朝の6時頃帰って時には早朝ボウリング。とにかくよく遊んで自由に過ごしていました。恥ずかしい話、なぜ大学卒業が遅れたかというと、学校が再開したことを知らなかったんですよ(笑)。ある日友達から「お前何やってるんだよ。もう学校始まっているぞ」と電話があって、、、それで学校へ行ったんですけど、勉強が全然追いつかないんですよ。当然卒業できず、就職もせず…まあ卒業はしましたよ。ただ、学生課に電話して卒業証書郵送してほしいと連絡して。

−−(笑)。

吉田:結局、僕は学生時代はほとんど遊び?趣味?のみで過ごしていたかな。そのことに関してはものすごく親に感謝しています。なんて言うんでしょうか…何か物事やるときに“境がなくなる“というのは、すごくいいと思うのです。

−−境、ですか?

吉田:枠にとらわれず、フリーにものを考える趣向ができたというか。当時は、色んな遊びをすること自体できない時代だったと思うんです。普通はお家の仕事を手伝わなくちゃいけないとか、アルバイトをしなくちゃいけないとかあると思うんですけど、そういったこともなかったですし、外国製のオートバイに乗ったり、色々な遊びや趣味で考え方が自由になったと思います。

−−生きるためのバイトはしたこともない?

吉田:全くないですね。もうお金は親からもらって遊んだ方がいいっていう発想でしたから。

−−そういう状況にいると聞いているだけで、めちゃくちゃモテそうだなと思ったりするんですけど…(笑)。

吉田:いや、モテる、モテないは関係ないですから(笑)。

−−でも、女の子も交えた遊びだったんじゃないんですか?

吉田:正直に言いますと、実家はオープンな家庭でした。高校時代、学期の終わりとかはクラスメイト10人以上はウチに泊まりに来たりして次の日の朝、ウチのおふくろが靴の数を数えて食事を作っていたり(笑)。

−−まるで合宿所ですね(笑)。

吉田:本当に色々なやつが出入りしていて、田舎だから家が広いんです。物置を改造した別棟があって、僕はそこで寝ていたんですが、その別棟にも3部屋くらいあるんですよ。だから10人くらい平気で寝られるような状況だったんです。

−−ご両親はそういうことにゴチャゴチャ文句を言うような人たちではなかった?

吉田:逆にものすごく喜んでいましたね。母親が食事を作っていると遊びに来ている女子たちが手伝ってくれたり、そういうことが楽しかったんでしょうね。