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| ●では、当時はかなり話題になったロフトの「立ち退き事件」の経緯をくわしく教えて貰えませんか。 |
| 立ち退きの話が持ち上がったころ、僕はまだドミニカに住んでたんですよ。それで帰ってきてすぐ(下北沢)シェルターを作ったんです。要するに新宿の都市再開発で、ビルを立て直すからいったん出ていってくれっていう話だったんですよ。新宿ロフトは1976年に作ったからもういろんな意味で限界だったし、僕らも何がなんでも都市開発に絶対反対というわけではなくて、ビル立て替えるならしょうがない、そのかわり再入居させてよという交渉をしてて、出来たらパワステぐらいの規模の新しいタイプのライブハウスを作ろうと思っていたんです。だからその避難場所としてシェルターを作っただけなんです(笑)。 |
| ●だからシェルターなんですね(笑) |
| そうです。でも新宿ロフトの大家さんは初めは(立て直したら)自由に使わせてあげるよ、とか、好きな設計で店作らせてあげるとか、おいしい話がいっぱいあったのに、その後バブルがはじけて大家がとんじゃって、一銭も出ない、ただ出てけって話になってしまってね。それでトラブルになって裁判でうるさい、汚い、迷惑だ、無条件で出て行けって訴えられたわけ。で、僕も10年間日本にいなかったんで、日本の裁判制度がどんなものか見てみたくって、なにもやらずに弁護士に任せたままただ裁判だけやってたんですよ。そしたら見事に負けちゃった(笑)。 あら負けちゃったよって、これは面白いと思って、俺ってばかだから若い奴全部集めて、こう宣言したんです。「俺が尊敬している一人に、三里塚の大木よねさんっておばあさんがいて、この人は三里塚で千葉県の執行官や機動隊に住んでいる家をぶちこわしに入ったときに、自分の体を柱にくくりつけてがんばった不屈の農民のおばあさんなんだ」。もうイデオロギーとかじゃなくて、信念とか権力の横暴に対する怨念とかね。だから闘うんですよ、あきらめないで、最後まで。そういう人は必要だと思うんだよね。で、「オレもそれをやってみたい。みんな嫌なら辞めてもいいけど、オレはロフトに籠城して、機動隊とか都の執行委員に囲まれるなか、電気や水道も止められても最後の最後まで戦い抜いて籠城したい。当然破れていくのだろうけど…それで電源だけはなんとか確保して、それでも来てくれるミュージシャンだけでライブをやってみたいんだ」ってね。何かそれの方が面白いし、かっこいいじゃないですか?そしたら、今のロフト社長(小林)連中は「このオヤジは何をするかわからない、気が狂っている」って思ったんでしょうね。若い連中が署名運動を始めちゃったんですよ。BOOWYを育てた土屋さんやアナーキーの(仲野)茂、キース、(スマイリー)原島、ホットスタッフの醍醐なんかが立ち上がってくれて「新宿のロックの伝統を守れ!」ってね。それが3〜4ヶ月で署名が18,000も集まったんです。全国から署名簿が送られて来たんですよ。今までロック野郎が署名運動に協力してくれるなんて思ってもみなかった。それで「ああロフトってのは結構みんなから愛されてたんだな。自由でめちゃめちゃだったけど、愛されてたんだな」って思ったんです。 |
| ●すごいですね。 |
| それでその署名を裁判所で裁判長の前にどんと積んだんですよ。さらにマスコミが「ロフトの大家は日本の全ロックファンを敵に回した」「日本のロックの聖地の危機」とかいろいろと大げさに書くわけですよ(笑)。筑紫哲也さんの「異論反論オブジェクション」にまで登場したりしてね。そうなると裁判所がびびるんです。これは政治じゃなくてただの立ち退き問題じゃないですか。これが政治だったら、裁判所はもう法もへったくれもないようなひどい判決をくだすんだけど、音楽で大話題になってしまったから司法権力がびびっちゃって、なんとか調停に持ち込もうと大家をおどすんですよ。調停に持ち込まなければ不利な判決が下るよ、って脅したんで、それで僕らが勝っちゃったんです。 でもロフトはお金の要求は全くしてないんですよ。単に再入居させろって言ってただけなんです。新しいビルが建つわけですから、僕らもある程度自由に設計できるわけじゃないですか。今ならパワステに勝てるっていう意識が強かったのかな。でも今やパワステもなくなってしまって、その時パワステ存続運動一つ起こらなかったね。この時代いくらパワステが天下とっているといっても、やはりロフトとは違うんだと思いましたね。 僕がさらにびっくりしたのは、ロフトの立ち退きに関してたくさんのミュージシャンや若者が動いたこと。このイベントもそうですけど…(ロフト存続を訴えるライブイベント「KEEP THE LOFT〜ででで出てけってよ!」)…100名近くミュージシャンがノーギャラで出演してくれたんだけど、これはうちの若い連中がやったんですよ。こういう署名運動なんていうのは僕は嫌いなんです。バカだから「ただ実力闘争あるのみ」なんて思っていたんですね。でも若い連中が頼まれもしないのに自主的にやったんです。若い奴らは俺に任せたらなにやるかわかんないって思ったんでしょうね。そしたら職も失っちゃうし(笑)。 |
| ●ということは、これを勝訴に結びつけたのは若い力だったんですね。 |
| そうなんですよ。びっくりだよね。『ミュージック・マガジン』で小野島(大)さんなんかが「ロフトの戦いは、今の無気力な若者達に、負け犬にならないで闘えば道が開ける事を教えてくれた」なんて書かれたときは本当にうれしかったですね。 |
| ●いつのまにか育ってたんですね。それで、ロフト裁判は結局どうなったんですか。 |
| 裁判としては2審には進まずに「調停」で勝って、再入居の権利を勝ち取っていたんですけど、その後バブルが想像以上にはじけちゃって、立て替えどころじゃなくなったんですよ。大家が潰れてしまったんです。ビルは第三者が競売で競り落としていて、新しい持ち主はロフトになんの義務もないわけですよ。勿論闘おうと思ったら闘えるんですけど、新宿ロフトも古い機材のままなんで、もう新しい時代に対応できないから、やっぱり出るしかないってことになってね。結局今の場所(歌舞伎町)に移って1年ほどになります。それも、場所を移してもどうしてもロフトを続けたいっていうのは、僕の考えではなくて、うちの若い連中で、彼等が作ってきたんですよ。僕はもうロフトを続けてること自体それほど興味なかったんですけど(笑)。 |
| ●もう興味ないんですか。 |
| そうですね。でもロフトって不思議なところでね、ロフト信者っていうのが育ってくるんですよ。うちの今の社長とか、あいつらのほうが全然僕よりロフト大好きだもの。彼等のロフトを愛する気持ちからの提案にはとても勝てないと思ったんです。 |
| ●それはいつのまにか後継者を育ててたってことですよ。 なんか本田宗一郎みたいですね。 |
| 本田宗一郎さんとは格は違うけどそうなんですかね(笑)。そう言えば僕も今は会議にも呼んで貰えないですよ。あの人が来ると何言い出すかわからない、会議が進まないからって(笑)。本田宗一郎さんもそうでしょ。ロフト20周年の武道館でコンサートをやった時も「有名バンドの中に俺の推薦するバンドいれろ!」とか言い出すし、「ちんぽしごいて32年、とか、中途半端な人生、なんて名曲を持っているシンガーのゴールドマン(AV監督)を出せ!」とか言ってたんですよ。このゴールドマンっていうのが面白くてね。丸裸でステージするんですよ。そしたら小林が僕にこう言ったんです。「わかりました、悠さんの指示ならやりますけど、そのかわり、スピッツや布袋さんやなんかは多分出ませんよ、スポンサーも降りるでしょう。多分赤字は6〜7千万になりますけど、それでもいいんですか?」…なんて脅かされてしまったりして。若い奴らから完全に無視されるの(笑)。議題が違う方向へ行っちゃうから。だから今のロフトの音楽関連の話では会議すら呼んでくれない。呼ぶとろくなことにならないから(笑)。それでいいんじゃないですかね。あとは若い奴がやればって。 |
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