プロデューサー/ミュージシャン
ホッピー神山 氏
ゴッド・マウンテンレーベルの誕生

●その場所に行かないとまた売れないとか…。
それが変だなと思ってたものが非常にクリアになりました。90年ぐらいを境に私の考えが楽になったっていうか。「これは自分のやり方」っていう。だからプロデュースのやり方にしてもすべてにおいて自流でガンガンいって平気だって。そこからはイケイケ状態ですから。だから当然生活するために音楽業界で食べていく事も大切ですけど、半分は自分の好きな事をやっていきましょう。日本にいるって事の窮屈さとか日本の中でわからなくなってしまう事が多く出現するわけですから、なるべく海外でやれる事があれば海外でやれば良いんじゃないかと思って。自分が求められるところであればどこでもいいやと思って海外にもどんどん出るようになって。ちょうどその時に、海外に出て認められて良い音楽を作っているにも関わらず、日本の中ではなかなか活動する場所が少ない同じ様な年代のミュージシャンにいっぱい出会えたんですよ。それがゴッド・マウンテンをつくるきっかけですけど。みんな自主レーベルでやっていた例えば大友良英君がやってるようなグランド・ゼロにしても、自腹で作って。彼の音楽はメジャーの音楽じゃないですから、でもインディーのところに色々持ち歩いた。今だったら大友良英って言ったら「どうぞどうぞ」って言うじゃないですか。でもあの頃は例えばWAVEとかDISC UNIONとかそういところでさえ断られちゃって。それで私のものも色んなところにプレゼンテーションしても同じだった。海外のものは何でもアリなのに日本のものは下に見ちゃうんだなみたいな。ダメだなと思って。大阪だとアルケミーとか面白いレーベルがあって、東京にもP.S.F.なんてのもありますけど、自分でそういうミュージシャンを集めてそういう音楽作らないと出すとこがないなと。だからちょうどその頃に出会った良いバンド例えばRuinsやってる吉田達也君のバンドとかティポグラフィカって今でも今堀君がやってるバンドとか。そういうクオリティーがすごく高いにも関わらず、日本の音楽業界の中で認められない状況で苦しんでいるようなバンドをなんとかまとめてレーベルって事にすればプロモーションし易いですし、ショップに置く流通の事も簡単になりますし、雑誌に載るチャンスも増えますから、それでレーベルのファンが付けばバンドのファンじゃない人間も興味を持って買ってくれるチャンスもありますから、レーベルとして作りたいと思ったんですよ、それがきっかけで92年ぐらいにそうしようと思って。

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INDEX

まずヴィジョンありき
浦和ロックンロールセンター
近田春夫&ジョージ・クリントン
認知されてからのPINKは不満?
80年代を総括すると…。
海外によく出るようになってクリアーになったもの
▼ゴッド・マウンテンレーベルの誕生
『音楽王』はそれまでの音楽活動の清算

ミュージシャン兼アメリカ担当プロモーター、ホッピー
日本ではNHKが面白い?
CD店の事情は90年代後半に変わってしまった!
日本の音楽業界はアメリカ人を相手にビジネスしようとしていない
自分で物が判断出来ない日本人、批評出来ない評論家
アメリカが面白いのは健全なジャーナリズムのせい?

女装の意図するところ
わが心のバイブル"SHAGGES"(シャグス)
eX-girlのアメリカ戦略
やっぱり西洋人は日本の女性が好き!
ロラパルーザの体験を生かす
向こうのビジネスで頑張ってみようってバンドがいっぱい出てくるべき
歌・英語・アニメのキーポイントをしっかり押さえる
"豆腐の角に頭ぶつけて死んじまえ"
日本の言葉とか文化を広めていくって事が面白い
我々が海外で自信を持てる日が来なくちゃいけない
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