コンポーザー/プロデューサー/ミュージシャン
佐久間正英 氏
プロ意識の芽生えは四人囃子以降

●ずっと、プロとアマチュアの境のないような活動されてきたと思うんですけど、仕事としてやっていくんだっていう意識の芽生えたのはいつ頃ですか?
最初は中学の時ですね。中学の時に僕は音楽家になるものだと。トランペットやってる時に決めてた部分はありますね。
●トランペットで音楽家をイメージするとそんなにロックロックした感じじゃないんですけど。
いや、どっちでも良かったんです (笑) もう既にバンドもやってたし、クラシックでも良かったし。まぁ芸大行こうかどうしようかは迷いましたけど。
●結構早い決断ですよね。他の道は考えた事ないんですか?
中学生の頃は車のデザイナーとかも考えましたね。工業製品等の。そういう方に行くか音楽に行くかってなりましたね。
●正反対の物に感じますけど、佐久間さんとしては?
同じですね。要は物を創るのが好きだったんですね。あと建築であるとか。
●なるほど。実際に俺はプロでやってるんだっていう意識は四人囃子入ってからですか?
そうですね。入った頃っていうのはすごく曖昧な関わり方で入ったもんで、自分でプロ意識を持ったのは四人囃子を始めて以降にいろんなアレンジの仕事とかそういうのを始めてからですかね。あの時代はバンドとかやってても今と違ってお給料でるわけでもなんでもないですから。プロだけどお金もらってない。何か変だぞみたいな (笑) レコードは出てるけどお金はもらってないっていう情況でした (笑)
●四人囃子のメンバーはとにかく若かったですよね。
僕より2つ下で当時20歳でしたからね
●あのバンドがあの若さであの時代に存在してたっていうことは、今考えてもびっくりするものがありますね。
ええ、今聴いても、最初のアルバムとか演奏すごいですね。信じられないですね。
●デビューアルバムの時にはいらっしゃらなかったんでしたっけ?
その次のシングルからです。
●そのへんで何か面白い話はありましたか?
あの頃は2枚目のアルバムやっててその時も自分はメンバーだと思ってなかったんですよね。でも他のメンバーは僕がメンバーだと認識していたみたいで、後になってその認識のズレが出て… (笑)
●それは謙虚だったという事ですか?
いつから正式メンバーとかそういう話もなかったし。お金も貰えたわけでもないって所がたぶん大きいと思うんですよ(笑)
●四人囃子は経済的には成功しなかったわけですか?
成功しなかったけど、なんか食えてた。ライブとかやるとギャラがちょっと出たりとか、そんないい加減な時代でした。かと言ってバイトしてるわけでもなかったんですけどね。
●再結成とかの言い出しっぺはどなたなんですか?
去年、日比谷野外音楽堂でやった時は、坂下が関係してるチャリティーの催しで。彼らはちょこちょこやってるみたいですね。僕は初めて参加したんですけど。
●その前にも再結成してアルバムも出てますよね。
えぇ、89年に。
●再結成が完全オリジナルメンバーっていう感じでもないですよね。
コロコロ変わってますからね。誰がやっても四人囃子みたいな (笑) 僕が知らない間にも再結成して結構やってますからね (笑) まぁ誰が 四人囃子って名乗ってやってもいいんじゃないかなって思ってますけど。
●今思うと、四人囃子からプラスティックスへの転身は劇的だなと思うんですけど。

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