| それをやってるうちにニッポン放送が音楽出版社を作るっていう事になって、高崎さんが音楽出版社の担当になって、「実際誰を働かせるか」って話になって、1966年の頭に「お前石川島播磨やめてこの音楽出版社の社員にならないか?」って誘われて「わかりました」って言って、それで1966年の3月1日に会社がスタートした。その時に評論家の木崎義二さんに相談したんだけど、「音楽が商売になると音楽聴けなくなっちゃうぞ、今みたいに他に仕事があってアルバイトみたいな事やって聴いてるうちが楽しいんだぞ」って言われて、確かにそうだなって思ったけど、自分が音楽が好きで音楽の仕事をオファーされてるのにこれをテイクしないで後で後悔するよりは、「やります」って言った方がまだ後悔の度合いは少ないだろうなって思って。 |
| ●高崎一郎さんっていうのは"レディス4"の司会をされているあの方ですか? |
| そう、夕方やってるあの番組。当時高崎さんは日本のディック・クラークと言われて洋楽系のディスクジョッキーではナンバー1と言われていた。 |
| ●そうだったんですか!ところで糸居五郎さんとはどっちが先輩なんですか? |
| 糸居五郎さんはニッポン放送深夜っていう会社があって、要するに夜中の番組の担当で。高崎さんは『キャンディーベストヒットパレード』とかやってて。 |
| ●同じ時期なんですか? |
| 結構シンクロする。『オールナイトニッポン』って番組が始まった時に高崎さんも糸居さんもパーソナリティーになってるから。 |
| ●ニッポン放送のゴールデン時代ですね。 |
| ニッポン放送はそういう意味では先見の明があって、音楽出版社をやるっていうのも早くて、もちろんその前にTBSが日音をスタートさせていたから放送局の出版社としては二番目なんだけどね。 |
| ●最初の名前は何だったんですか? |
| それで会社の名前を付けろって事になって、当時編成部長やってた羽佐間さんって方がいらして、羽佐間さんと高崎さんにファーイーストとか色々言ったわけ、でもそれは全部登録されてて、残ってるのがパシフィックで、これでどうですか?っていったらこれで良いんじゃないって。僕はほとんど洋楽が好きだったし、音楽出版っていうのは外国の権利を取るものだとばっかり思っていたから、パシフィックって名前ならアメリカに手紙出した時に日本の会社ってすぐわかるだろうと。 |
| ●立ち上げのネーミングから朝妻さんでしたか(笑) |
| 社員第一号で(笑) それで文化放送が出版社始める時にセントラルミュージックを作って。それは野球のパ・リーグに対してセ・リーグっていう事で(笑) |
| ●なるほど、パシフィックとセントラル(笑) 知らなかった! |