株式会社テイチクエンタテインメント
代表取締役社長 飯田久彦 氏
猛反対されたピンクレディーの大ヒット

●ピンクレディーはその後ですか?
それからもね三善英史さんとかいろいろやったんですよ、大ヒットはしなかったけど何人かやって、それでピンクレディーかな、ピンクレディーと岩崎宏美さんと同時ぐらいかな?
●最初から関わられてるんですか?
ピンクレディーはね。これは何回か話したかもしれませんが、"スタ誕"っていうのにね「お前も行ってこい」と。僕はあんまり好きじゃなかったんですよ、"スタ誕"て。こうやって旗あげて、人買いとは言わないけど(笑) なんか好きじゃなかった。"スタ誕"行って一回目か二回目の時にピンクレディーと岩崎宏美さんもいたのかな?その時は挙げなくて他の人が挙げたんだけど、その次にいった時に清水由起子さんっていう人がいたんですよ。ソニーからデビューしてギターでこう…。その人が新鮮でみんな旗挙げて「お前もこれを挙げろ」って言われて、でも挙げなかったのよ(笑) みんな何十本も挙がってね。ちょうどその頃ピーナッツ(ザ・ピーナッツ)さんが引退しちゃってね、ピーナッツさんって、接点もあるし大好きだったのよ。あぁピーナッツさんみたいなの引退したら寂しいなって、今度こういう歌って踊れるデュエット、双子だったらなおさら良いんだけど、そういうデュエット作りたいなって思ってたら、たまたま行った時にあの二人が出て来たの、それでパッと挙げちゃったのよ。会社帰ったら怒られてね。
●怒られた?
怒られたんですよ。「なんで清水由起子を挙げないんだ」ってすごい勢いで怒られた。清水由起子さんはね、桜田淳子さんと岩崎宏美さん取った後でみんなこれだけ何十本も挙がったら取れないですから、「僕はたまたまこの二人がいいなと思って挙げたんだ」って言ったら、又怒られた(笑) 
●でも、その後で褒められたんでしょう?
いや、褒められていませんよ。『ペッパー警部』出たときだって「馬鹿野郎!こんなゲテもの作りやがって」って怒られた(笑) 
●そう言えばとんでもなかったかもしれませんね。普通なら怒る人がいてもおかしくない感じですよね。
そうですよね。その頃から僕はね、こういう仕事は総意で物作ったら良くないなと。賛否両論、両極端あった方が良いなって。総論で作った物は大したこと無いなってその頃から思ってましたよね。それだけみんなに反対されたのもあったし、ようし、僕は良いと思ってるんだから徹底的に頑張ってみようっていうエネルギー、狂気の伝達っていうのかな?こういうのがね、ありました。ピンクレディーを作った時も宣伝マンが一人、一番ノってくれたんですよ。「協力してやりますよ!」って。
●そんなもんだったんですか?
そんなもん。会社は全然知らんって(笑) 他の者がイチ押し、イチ押しっていうまで。ピンクレディーは初回は大した事ないですから、ただ"スタ誕"から出たからある程度枚数付けなくちゃいけないって事で、4000枚とか5000枚じゃない?初回。
●ヒットのきっかけってテレビですか?
それは"スタ誕"がありましたし、でも初っぱなから『ペッパー警部』は売れた訳じゃないですから。一番最初発売されてオリコンの90何位に入ったんですよ。次の週はまた落ちちゃって100何位に。やっぱりそう簡単には売れないなーなんて思ってたんですよ。それで三ヶ月ローテーションで二作目っていうのが出来てたんですよ。 ただね、もう一つ、なぜ『ペッパー警部』が出来たかっていうのはね、あの頃新人賞だとかレコード大賞、歌謡大賞っていうのがもてはやされたっていうのかな?賞を取るとレコードが売れたって時代なんですよね。それでビクターはその年は新人があんまりいなくて。その頃コロムビアは新沼謙二さんと内藤やすこさんが売れてたんですよ。そうするとね、新宿音楽祭とかあってもビクターはあんまり新人がいないんで「そういうのに入るようなの作れ」と言われて、僕は一番はじの方でピンクレディー作ってたんですよ。まぁ"スタ誕"っていうこともあるんでね。新沼謙二さんとか内藤やすこさんを追い越そうとは思わないけど、あの人たちに少しでも近づくにはやっぱり同じ様なものを作ってもまずいかなと。面白いもの作るにはやっぱり阿久さんに!ってお願いしたんですよ。思い切ったもの、面白いもの作りたいんだっていう感じで、それで歌って踊れて、ザ・ピーナッツだと!
●当時はディレクターの役割がすごく大きい時代ですよね。
うん、あの頃僕はそれしか信念がなかった。それで阿久先生が面白いタイトル出してくれて、それで一発目出来た時にはもう次の『SOS』出来てたんだから。阿久さんがタイトルいっぱい作ってくれて。タイトルはね、アナログの時代からずっと大事だと思ってましたから、タイトルは顔だってね。
●タイトルって大事ですよね。洋楽も邦題が大事な時代がありましたけど。
映画の世界なんか、もっとそうですよね。それで『SOS』を作った時に、なんか仕掛けをしたいんで都倉俊一さんと相談して、シンセサイザーでSOSのモールス信号作ったんですよ。これは放送でかけたら絶対放送禁止になると、だからテスト盤だけ作ろうよってシンセサイザーで作って、本チャンはSOSを抜いといて。それでねニッポン放送かなんかでかかったらすぐに中止ですよね。案の定。
●ダメなんですか?
ダメなんですよやっぱり、間違われるから。それを新聞のネタにしてもらったんですよ。話題にしてもらって。それで『SOS』が出た時から若い子たちがみんなフリをマネするようになって。オリコンで『SOS』は一位になって『ペッパー警部』は二位になったのかな?確かそうだと思うんですけどね。
●ダブルで一気に行っちゃったんですね。
一気にね『SOS』からドンとですよ。たしか8月25日で『ペッパー警部』出して、11月25日に『SOS』。『ペッパー警部』はだんだん評判になって『SOS』出た後追いついてきた。そうしたらすぐに「アルバム作れ」ですよね(笑) いや、何を言ってんのかなと思って最初ピンと来なかったんですけど、アルバム作れったってね。アルバム無いわけですよ急に言われても。その頃はベイシティローラーズが次の年に来日する事になってましたから、ベイシティローラーズの曲を片面に付けてね。後からいっぱいベイシティローラーズのファンに怒られましたけど…。もう突貫工事でアルバム作ったのを覚えてますよ。

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