| ●飯田さんのお仕事で大きなヒットを見ていくとピンクレディーが有名ですけど、ご自身としてもあれはいい仕事だったなっていうのは、ほかになにがありますか。 |
| 田中星児さんの『オーマニアーナ』と『ビューティフル・サンデー』のカップリング。これが最初なんですよ。これはカバーですから。僕はカバーやりたくてしょうがなかった。カバーっていうのはセルフカバーでも良いんだからね。よく日本のアーティストはカバーを嫌うけど僕はカバー大好きなんですよ。今でも「なんでカバーやんないの?」って思いますよ。それは方位を問わずね、日本の曲のカバーがあったって良いと思うし。 |
| ●良い時代でしたからね。洋楽をあんなに聴き易く日本語で身近にしてくれた漣健児さんもいて、楽しかったですよね。最近だと郷ひろみとか西城秀樹がカバーで甦ってますよね(笑) |
| もっとやるべきだと思いますね、日本の楽曲だってやるべきだと思いますよ。 |
| ●みんな利権に走ってるんでしょうかね。 |
| なるほどね。それもあるかもしれないし、シンガーソングライターが多いって事もあると思うし。でも、これからそういうのたくさん出てきてほしいな。 |
| ●やっぱり名曲を出したいですよね。 |
| 出したいですよ。それで詞がもし古くて時代に合わなかったら、改めて補作したって良いと思いますよ。 |
| ●歌い継がれるような歌って言うのをね…。 |
| 僕は決してトントン拍子じゃないですからね。今思えばその時はその時でつらい思い出はいっぱいありますよ。でもどちらかと言えばポジティブな方ですから、そういものをエネルギーにしてた部分はありますね。 |
| ●話を戻しますと、二番目の大ヒットは松崎しげるさんの『愛のメモリー』ですか? |
| そうかな、『愛のメモリー』かな?いや、でもね、そんなには大ヒットしなかったけど隠れた名曲もあるんですよ。佐良直美さんでね、『一人旅』っていうのをやったんですよ。あんまり世間では知られていなけど、30万〜40万売れたんですよ。これはね、佐良直美さんの歌をカントリーに変えたんです。浜圭介さんと吉田旺さんが作ってきたものをカントリーにアレンジしちゃったんですよ、スチールギターいれて。みんなぶっとんだんですよ。「何でこれにスチールギター入ってるんだ」って。その頃はまだ社員じゃなかったんだけど。その頃から「こいつ面白いな」って言われはじめてね。それで社員にしてくれたのかな? |
| ●松崎しげるさんは一発目から担当されたんですか? |
| 一発目じゃないです。途中からです。『黄色い麦わら帽子』かなんかもうヒットは出てたんですよね。それでその後、ビクターを辞める辞めないってもめてた時に「僕がディレクターやるから、やろうよ」って。 |
| ●そこは大きいんじゃないですかね。 |
『愛のメモリー』の前にね、何だっけな?松崎さんと最初につくった楽曲、これも良い出来でね。その頃4000枚のうち3000枚大阪で取ってくれたっていうのがあって、松崎さんとマネージャーの三人で大阪へ行った覚えがあるんですよ。レコード出る前に挨拶に行って、松崎しげるさんと「大阪でアパート借りて住もうか」って言った事もあるくらいですから。その時に僕が大阪で歌うたってた頃お世話になった電通の岡さんってグリコのCMやってた人がいらして、その人の所に行ってみようって。犬も歩けばじゃないですけど、それでその後も『愛のメモリー』なんか持って行ったんじゃないかな。もう亡くなられてしまったたんだけど、岡八さんて、有名な方だった。その頃、三浦友和さんが初めてCMで使われて、まだタイアップがあんまりなかった時代ですけど、もしかしてこれ使って貰えるかもしれないと。それで松崎さんでグリコのCMを二発か三発やったんですよ。
松崎さんとはよくヒマな時は、彼がロッテに色々知ってる選手がいたんで、大阪球場に南海vsロッテの試合を見に行ったりとかね。彼とはそういう思い出があるなぁ。 |