株式会社テイチクエンタテインメント
代表取締役社長 飯田久彦 氏
ディレクター奉公

最初はアルバイトで。じゃあ雇ってあげようかってそんな感じですよ。
●ビクターレコードには歌手時代に移籍されたんですか。
ビクターで一作二作やってみないかって、ちょっと出したんですよね。
●最後に在籍したのがビクターだったんですね。
そう。それでビクターで裏方の仕事あるからやってみないかって。それもね、とんでもないところですよ。メインじゃないところですから。今のユニバーサルビクター社長の岩田さんのアシスタントだったんですよ。
●えっ?岩田さんと飯田さんて、おいくつ違いなんですか。
岩田さんの方が一つ上ぐらいじゃない?違うかな?同じぐらいかな?岩田さんがポップレコードっていうのやってたんですよ。JCM(文化放送・出版)とビクターで作ったポップレコードって、今で言うレーベルかなんかで、そこへアシスタントとして入ったんです。それで岩田さんの所にしばらくいて、メインのビクターのほうに移るって事になって。だから、奉公ですよ"岡本正と梅祭り"とか最初やったんですよ。売れなかったですけどね。
●知らなかった。
それでポップレコードでしばらくやってて、まぁテープ繋ぎみたいな事もやりましたしね。
●そこでのディレクター業一年生っていうのは、楽しかったですか?
まぁ無我夢中ですしね、メッセンジャーボーイみたいな事もやりましたよね、アメリカでいうランナーかな。そういう事をやったりとか、そこで『宮田輝の"歌と共に50年"』っていう全集を作るときに、アシスタントでがんばって宮田輝さんにインタビューしたり、あとは2インチのテープを切って繋いでって編集したり。そういう仕事もやってました。
●よく聞かれる質問かもしれませんが、アイドルスターだった飯田さんがそっちの方に回ったときの周囲の反応は?
まだビクターのスタジオが出来たばっかりの時で、「おい歌い手くずれ!」とか言われましたよ。「お前にディレクターなんて出来んのか?」って言われて「出来るか出来ないかわからないけど、好きなんで一生懸命やりますからよろしくお願いします」って。
その頃は自分でそれはもう過去の事だって思って割り切りましたね。この仕事は一人じゃ何も出来ない、やっぱり周りの人に助けてもらわないと出来ないっていうのはその頃からわかってましたから。
●バンドボーイの下積みも生きてますね(笑) アーティストという立場からから裏方に回ることに対する抵抗が強い人が多い中で、そういう意味では前向きに、遠くが見えてたって事ですね。
いえいえ、とても見えてなんかいないですよ。歌辞めて僕は裏方の仕事をやりたいんだっていう時に、結構何人かに相談したんです。平尾昌晃さんとかね。平尾さんなんかは「じゃあ俺の事務所来い」って言ってくれて、「俺の事務所でプロデューサーみたいな事やれ」って。守屋浩さんとホリプロの堀会長からも「ホリプロで出版関係の仕事やってみないか」って。
●どこでも行けちゃうわけですね(笑)
いや、そんな事ないですよ。「来ないか?」って言われてたんですけど、結局はビクターへ。僕は敢えてその頃一番厳しいところ選んだんですよ。ホリプロ、ありがたい。平尾さんのところもありがたい。でもそこじゃ甘えもあるし、それより一番厳しいところ入ってやった方が自分の為になるだろうなっていう…。ちょっと迷ったんですよ、その時は。
---次回後編は自らの歌手としての経験を生かし、アーティストやスタッフとの人間関係を最重視する氏ならではの手法と感性でヒットを連発したビクター時代の秘話を初公開。そしてテイチクの社長になられた途端の『孫』の大ヒットから今後の展望までを語って頂きます。

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