株式会社テイチクエンタテインメント
代表取締役社長 飯田久彦 氏
裁ちばさみで切り開いたディレクターへの道

●僕らは当時飯田さんのファンだったんですけど、もっと飯田さんの歌を聴きたいのに段々歌わなくなってしまった時期がありましたね。
昔からほんとうは引っ込み思案で恥ずかしがりの性格だったんですよ。歌の勉強した訳でもないし、たまたまカバーやって、ジャズ喫茶が好きで、自分でも想像もつかないような事になってしまってね。でも、格好良い言い方するんじゃないですけど、 人に知られるようになっても、歌は自分にとって男の一生の仕事じゃないなって最初から思ってたんです。若気の至りでちょっと人にもてはやされたりして有頂天になってた時期はあったと思うんですよ、21〜22歳ぐらいの時ですから、生意気で。でもその頃からこれが一生続くとは思っていなかったし。
●冷静ですね(笑)
冷めてるのかな?性格的に合ってないんですよ。どちらかって言うとやっぱりアーティストっていうのは常に勉強っていうか、悪く言うと人を押しのけてもっていう所があるじゃないですか。それで僕は自分には向いてないなって思ってたんで、「いつ辞めようか、いつ辞めようか」って思ってはいたんですよ。ただキャバレーなんかで営業やってデカイお金が入って来たりとかしますよね。そういうのでついつい辞める時期を逸しちゃったりして、生活の為にも全国のキャバレー回りなんかやってたこともあります。その頃も「いつ辞めようか、いつ辞めようか」ってずっと思っててね。だけど当然自分に決断力はない。それである時に酔った勢いもあって、家に帰って裁ちばさみで衣装とか譜面だとか全部破いた。これでもう仕事出来ない、やらないって疑問を感じて(笑)
●それは何歳の時ですか?
26〜27歳ぐらいの時かな?
●普通だとまだまだそういう気持ちにならない年齢ですよね。まだ売れてらっしゃった訳だし。
その頃のね、レコード会社のディレクターさんてすごく格好良かったんですよ。昭和45〜46年の。ディレクターっていいなって思ってたのもあるし、もう一つは自然の流れっていうのかな、自分がカバーを歌ってたら今度はオリジナルを歌え、その次はこれ歌えっていう風になって、なんで僕がこの歌歌わなくちゃいけないのかな?ちょっと違うな、上手くも歌えないし、合ってないなって。
●歌いたいものじゃなくなってきた?
そうですね。その時に、僕がもしディレクターになったら、アーティストと相談するって訳じゃないけど、アーティストの気持ちとかアーティストのキャラクターも含めて考えて物作った方が良いのになって疑問に感じた事もあるんですよ。もちろん単純にディレクター格好いいなっていうのもあったんだけれど。ディレクターになってもっとアーティストの気持ちをわかった上で裏方の仕事をした方が、今までのディレクター、プロデューサーとはまた別な見方・やり方でディレクターの仕事が出来るんじゃないかなっていう風に思ったんです。
●ディレクター転向されるには、はっきりと自分の意志がおありになったんですね。
良い言い方をするとそうですね(笑) そこまでは深く考えなかったと思うんだけど(笑)
●現代の26〜27歳に比べると考え方がすごく大人っぽいですよね。
でもそれは音楽の流れがこう来てピッとなったみたいなね。ロカビリーブームが去って、グループサウンズが来て、フォークブームみたいになってって事もありますからね。
●じゃぁそういう状況の中で冷静にならざるを得なかった?
うん、確かにそれもありますね。
●そういう意志があって、人との出会いもあってビクターへ入社ということになるんですね。

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