株式会社テイチクエンタテインメント
代表取締役社長 飯田久彦 氏
ついにレコード・デビュー!

●正式なレコード・デビューはいつですか?
そうやって歌ってるうちに、事務所の社長とかの口伝てでレコード会社の人が来て、「やってみないか?」みたいな話になって…。バンドボーイで歌ってる頃はね、外人の女の子にモテたんですよ。日劇にも出てカバーソングとか歌ってたら、外人の女の子のファンがついたんです。当時ワシントン・ハイツとかグランド・ハイツっていうキャンプがあって、レコードがいっぱいあるから聴きに来ないとか言われて、キャンプに行くようになった。今の代々木公園にワシントン・ハイツってのがあって、まだジャニー(ジャニー喜多川氏)さんがそこにいる頃ですよ。そこにはレコードがいっぱいあって聴けるんですけど、歌詞も何もない。こういうボール紙の中にアナログとかバーンと入ってて、それで聴かしてもらうと良い歌があるんですよ。『グッドタイミング』だとかね。もう一つは漣(サザナミ)健児さん(現シンコーミュージック会長草野昌一氏)の事務所が四谷にあって、そこに遊びに行って曲聴かせてもらって、お前にはこういう歌が合うよって。デル・シャノンの『悲しき街角』をデビュー曲に選んでくれたのは、コロムビアのディレクターでもあり、シンコーの漣健児さんでもあるわけですよ。お前の声にはこれが合うって、『ルイジアナ・ママ』もそうだと思いますよ。その頃の草野さんはいち訳詞家じゃなくて、プロデューサーですよ。それで僕のキャラクターに合った詞に翻訳してくれました。あんまり極端に変わらないように…。
●すごい功績ですよね、後にも先にもいない重要な方だと思います。当時は平凡とか明星の付録にその辺のヒット曲が出てて、全部詞は漣健児。どんな方なんだろうなって、子供心に尊敬してました。
●ところで、レコードデビューしちゃうと親も諦められたんですか?
諦めました(笑)
●『悲しき街角』が最初で『ルイジアナ・ママ』は何枚目なんですか?
四枚目か五枚目ぐらいじゃないかな?
●一番売れたのはどれなんでしょう?
一番売れたのは『ルイジアナ・ママ』じゃない?売れたって云ってもその頃30万枚か40万枚ぐらいじゃないかな。
●そのころコロムビアからクラウンに移籍されたんですか?
僕がデビューしてすぐクラウンが出来たんですよ。出来たって言うよりね、なにかあったみたいで、コロムビアの人が(クラウンに)ごっそり移ったんだね。今思うとなんとなくわかるんだけど。北島三郎さんだって最初コロムビアからのデビューだったんですよ。僕は北島三郎さんとも一緒に前歌やったりしてたんですから、井上ひろしショーとかでね。
●(北島さんといっしょということは)ジャンルはごちゃまぜだたんですか?
北島三郎さんはギターでお話をしながら歌っていたんですよ。色々な人の歌を歌ったりなんかして。
●今のイメージとは全然違うんですね。ギター漫談のようなものですか?
いや、そうじゃないんだけど。まぁでも同じ様なもんかな?それで僕も一曲だけ前歌で歌う、今で言う一時間何分のステージなんだけど。それはジャズ喫茶じゃなくて、どっかの公会堂だとか市民会館だとかそういうところの井上ひろしショーで。

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