株式会社テイチクエンタテインメント
代表取締役社長 飯田久彦 氏
歌手になりたかったわけではないけれど…

●それで、いつからご自分で歌うようになっちゃったんですか?
その頃うちの親はバンドボーイをやってる事に大反対だったんですよ。決定的だったのは忘れもしない、まさにこれから旅立つって時、うちの親父が東京駅に来ちゃったんですよ。第一プロの岸部さんの所に怒鳴り込みに。「うちの息子はそういう風に育てた覚えはない。最近夜も遅いし、学校も行ってないし、冗談じゃない」って。それで岸部さんが「今回の仕事は人手が足りないのですぐは困るけど大阪から帰ってきたら辞めさせます」という事になったんです。僕も「じゃあ、しょうがないから辞めます」って話になって、後の事は後で考えようという事で大阪に行ったんです。それで大阪行って、旅館でバンドの人のギター磨いたりするでしょ、そうしたら「ボーヤは何すんのって」聞かれて、「歌、大好きなんですよ」って言ったら、「じゃあ、歌ってみる?」ってこうなっちゃったんですよ。
●最初から「いつかは自分も!」って思ってバンドボーイをやっていらしたんですか?
いやいや、ないですね。その頃歌い手になろうなんてこれっぽっちも思わなかったです。ただね、お金なんかいらないから、ジャズ喫茶で一回ぐらいは歌ってみたいなとは思ってましたね。今でいうとオーディションのようなね、チャンスがあったら歌ってみたいなって思ったんです。でも大阪から帰ってきたら辞めるっていう話がありましたからね。大阪で「何か歌えるの?」って言われたときに、「カントリーだったら『ホンキートンクマン』とか『ダイアナ』、『オーキャロル』とかプレスリーの半分ぐらい歌えます」って言ったら「じゃあ歌ってみろ」って、それで歌ったんですよ。そしたら、バンドの人が聴いてて、「お前、面白い声してるな」っていう話になって、たぶん岸部社長に話したんでしょうね。それで帰ってきたら「お前ちょっと一回歌ってみろ」って言うから。それはもう、歌えるんだったら辞める気なんてさらさらないですよね(笑) それで新宿の、たしかスワンってジャズ喫茶で、一回目のお客さんがあんまり入ってない所で歌ってみたんですよ。そのときに、何人か気にしてくれたんじゃないんですかね。こいつなかなか格好良くて面白いんじゃないかって言われたのをなんとなく覚えてるんですよ。

昭和16年生まれの巳年で結構執念深いですからね、それからは親の言うことも聞かないで、ジャズ喫茶で歌うっていう憧れもあって、勉強した訳じゃないんで自己流ですけど、前歌で何回か歌ってるうちにだんだんと…。その頃テレビの『ザ・ヒットパレード』が7時から7時半まであって、その時間のジャズ喫茶はメインの人が抜けるんですよ。その間のトラで僕と田代みどりさんの二人で前歌をやってろって言われて、ワンステージ歌ったんです。1ヶ月のうち何回かあったんですが、そのうちに段々ファンが付いてきたんです。
●そういう風に歌われるようになったのは、バンドボーイを初めてすぐの事ですか?
以外と早かったですね、2〜3ヶ月ですよ。そのかわり、歌い終わったら、バンドボーイの格好に着替えて、シンガーとボーイ兼任でした(笑)
●そのうち歌うのが快感になってきたんですね(笑)
それはやっぱりね、そのへんの差っていうのはね、すごいですから(笑) 女の子とはまるで無縁の坊主頭で汗かいて野球やってたのが、突然こんなに女の子にもてはやされるっていうのは、気持ち悪くなるくらいの差ですよね(笑)

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