エイベックス株式会社
代表取締役会長兼社長 依田 巽 氏
就職する気はなかった?

●それで何を目指されたんでしょうか?
大学を卒業した時から、僕は何か起業しようって思ってました。良い単位を取って成績を重視した就職活動をやるつもりはありませんでしたし、大きな会社に入って偉くなれるとはまったく思ってませんでしたから。
●いくつかアイデア持ってらしたんですか?
アイデアはなかったんですけど、どこでもいいから面白い会社があれば入ればいいし、何でもいいから商売してみたいなっていう気持ちは強かったですね。自分はどっちかっていうと、変わってる方ですからね。世間一般の尺度で試験を受けたりするところに入って、良い子でいられる自信はなかったし…。
●だけど最初は長田電気へ就職されてるわけですよね。
早稲田の教授が自分の下宿の一角に住んでおられて、僕をすごくかわいがってくれていたんですが、その教授の紹介で早稲田の大学院の理工科のゼミ卒生が経営している会社に行かないか?って言われたんです。そこに6年間いて海外ビジネスを全部マスターしたんですよ。
●じゃあ山水に入る前から海外事業部?
卒論は一応、原価計算のゼミでしたから、原価計算の担当で入ったんですけど、入って7ヶ月目でちょっとしたきっかけがあって、輸出の担当にしてもらって。そこから丸5年英語も含め、みっちり勉強したんです。当時流行りの輸出の専門職ですよ、輸出業務。それからもうそろそろ独立しようかと思っている時にある縁で山水に入ったんです。
●依田さんは山水電気にしても出世が早いというか、お若い時、アメリカですぐに支店長とか副社長とかになられてますよね。アメリカの生活はいかがだったんでしょう?
いや、ロスにいたんですけど、とにかく僕は仕事一筋でした。それから、日本の電機メーカーはほとんど全部アメリカに出てますけど、私のように日本人で現地従業員の先頭に立って営業やってたっていう人は大勢いませんでした。当時で言えば、東芝の西室さん、今は社長さんですけど、西室さんとはマーケット(流通業界)でよく顔を合わせましたね。ロスでは少ない存在でした。自分で現地のディーラーとの交渉とか、心臓英語を使ってやってたわけですけどね。
●その頃は単身赴任ですか?
ワイフと一緒でしたけど、まあワイフの犠牲の上に成り立っていた仕事ですよね。とにかく仕事、仕事、仕事がすべてでしたから。
●全米を飛び回られていた?
そうですね、楽しかったですけどね。
●若い時から起業を志されていたのはご両親とかそういう方の影響もあったんでしょうか?
それはあんまり関係ないですね、実家は運送業の商売をしていて、サラリーマンの家庭じゃなかったですけど。昭和10年からトラックを持って長野と東京間で運送業をやっていました。道路も悪い時で大変でした。碓氷峠なんてりんごを積んでトラックでゆっくり走ってると、泥棒が荷台から持って行っちゃったりするんですよ、山賊みたいに(笑) それで助手一人が常にトラックの荷台に乗って、木炭をかき回す小手みたいなので追っ払っていたということでした。
●木炭車!?
燃料は木炭ガスでしたから(笑) それでその棒を持って乗ってたみたいですよ(笑) 昭和23〜26年ぐらい。
●そういうご家庭でお育ちになって勤め人はつまらないと、何か自分でやってみたいと…。
つまらないっていうんじゃなくて、「はまらない」と思いましたね。

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▼就職する気はなかった?
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ルーツの再確認-----やっぱり小学校の時から怪物?
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